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『社会教育』とは

これまで、個人としても、仕事としても、”社会教育”に携わってきたと思っている自分がいる。
”携わる”=”何かを行う”時に「社会教育をしよう」とはあえて言わないけれど、一つ一つの活動が、その本質的が、”社会教育”だと思っているという感じ。
”社会教育”をどうとらえようと、それぞれの考え方があるとは言え、例えば、誰かと共に活動をしようとする時、"~感じ。”では、活動の本質が、伝わりにくく、共有しにくい。

著書やネット上には、どのように言葉として表されているか、まずは、調べてみようとう思う。

インターネットで調べると、最初に登場するウイキペディア。
多くの人がまず最初に目にする言葉は、どう書かれているか…

社会教育(しゃかいきょういく)とは、社会において、都道府県や市町村などの自治体や公的機関、博物館、図書館、あるいは大学などが公的にだれでも参加できるカタチで提供する学習の機会のこと。無料ないしは僅かな費用で提供される。公民館、社会教育センターなどで開催される文化、教養講座、市民大学講座などをいう。社会教育は、教育という営為が行われる「場」に基づいて、政策上、学校教育や家庭教育と並ぶ領域とされる。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

この文章によると、社会における公的な学習機会。
「場」で区分けると学校教育と家庭教育と領域を分けられているようだ。

社会教育を「学校教育法に基き、学校の教育課程として行われる教育活動を除き、主として青少年及び成人に対して行われる組織的な教育活動(体育及びレクリエーションの活動を含む)」と定義している。
社会教育法 社会教育の定義

社会教育法は、社会教育を学習する機会に、よく目にする言葉であり、この言葉が原点なのだろうと思ってきた。
この文章によると、学校の教育課程と分けた組織的な教育活動。
対象が、”主として青少年及び成人に対して”とあり、子どもから成人まで全てが対象者であることが記載されている。
※ここで、新たな疑問。”組織的な教育活動”とは何を指すのだろう?

社会教育は、社会において行われる教育を広く指すことが多い。社会教育法は、社会教育を「学校教育法に基き、学校の教育課程として行われる教育活動を除き、主として青少年及び成人に対して行われる組織的な教育活動(体育及びレクリエーションの活動を含む)」と定義している。

日本の社会教育は、明治期には「通俗教育」と呼ばれ「国民教化」の手段として位置づけられた。社会階層の中以下の国民(言い換えれば庶民である)に平易な教育の機会を提供する施策に始まり、1921年(大正10年)6月、文部省官制が改正[1]され、「通俗教育」を「社会教育」に改めた。近年は、「社会教育」に換えて「生涯学習」という用語を狭義の同義語として使う場合も多いものの、生涯学習は、法的にも学問的にも学校教育を含む概念であるため、扱いが難しい用語となりつつある。

近年、行政庁では社会教育を担当する部署名を「生涯学習課」と呼称するケースが増えた。文部省(当時)は、1988年(昭和63年)に社会教育局を生涯学習局(現、生涯学習政策局)に改め、平成2年には社会教育審議会を生涯学習審議会に改称した。これに習うように、地方教育委員会でも社会教育部・課を生涯学習部・課に改称・改組するようになった。これは社会教育という用語が関係者以外には一般化していないためであるほか、学習者の主体性を重視したからである。また生涯学習は、社会教育法の施行時には想定されていなかった、首長部局の文化行政、ボランティア、カルチャーセンター、大学の公開講座、大学通信教育(放送大学など)などの様々な「学び」を包括した用語として定着しつつあるからでもある。なお、臨時教育審議会は、その第四次答申において、「生涯学習体系への移行」を前面に打ち出したことで知られる。同答申は、今後、わが国が社会の変化に主体的に対応し、活力ある社会を築いていくために、学歴社会の弊害を是正するとともに、学校中心の考え方を改め、生涯学習体系への移行を主軸とする教育体系の総合的再編を図っていかねばならないと提言している。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』”社会教育”概要

概要を読むと、『社会教育』という言葉が、『生涯学習』に変換されてきたことが記載されている。

社会教育は、主として青少年から成人を対象となっていることから、人の生涯を対象とした教育と言い換えることができるかもしれない。
そして、その機会をつくる上では、社会課題や地域課題の課題解決に向けての取組みという点から『教育』と言いたいところだが、実際には、その機会(場)に参加するかどうかを決めることができるのは、個人の主体にかかっていることから、『学習』という言葉が受け入れやすいのかもしれない。

こう考えてみると生涯において、学習できる環境、機会、社会課題、地域課題から内容の提案をすることが、『社会教育』と言えたりしないだろうか。

そう考えると、私は、『社会教育』は『人権』と同じくらい、人が生まれ、生きていく中で、根本として大事な要素だと思う。

(つづく⇒)