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小説|赤いバトン[改訂版]|第9話 一学期(語り:クミコ)

コウサク先生は帰宅するなり、
「クミコ先生! バトンがつながっているよ!」と珍しく興奮していた。
「どうしたの? 何があったの?」とわたし。
コウサク先生は、今日、勤務先の小学校で、娘とほぼ同世代の女性教諭、ノリコ先生と交わした話を詳しく聞かせてくれた。
わたしも驚いた。ほんとビックリした。
コウスケくんの[赤い折り紙のバトン]には鳥肌とりはだが立った。
手紙の番号さえ分かれば、コウスケくんのママが誰なのか、すぐ分かる。すぐ思い出せる。なぜならわたしは、氏名と出席番号をセットですべて記憶しているし、教え子四十人全員の顔もはっきりおぼえている。だから2‐D女子の、当時の顔がつぎつぎと浮かんだ。でも誰なのか分からない。……あぁ、もどかしい。
それにしても、つい先月の珊瑚婚式さんごこんしきで、コウサク先生と2‐Dの話をしたばかりなのに、今日も2‐Dの話。来月からは令和。今月までが平成。このタイミングでの昭和の思い出二連にれんチャンは、まるでタイムスリップに巻き込まれたような感じで、コウサク先生といっしょに若返った気分にさせてくれる。

わたしにとって最初で最後の担任が、2‐Dだった。産休育休代替だいたい教員(サンキュー先生)が担任クラスを持つことに、いささか反対意見もあったみたいだが、三学期から復帰される女性教諭の先生のことも考慮こうりょされ、担任をまかされることになった。
一学期、意気込んで初担任にのぞんだものの、その難しさにいきなり悩まされた。
2‐Dには、リーダー格の男子生徒がいたが、クラスには男子女子いくつものグループが存在していて、それぞれに個性の強いリーダー格の生徒がいた。しかもグループを掛け持つ生徒たちもいたため、新学期早々、複雑にからみ合ったクラスが形成けいせいされた。
授業中、一つのグループが騒ぎ出すと、連鎖れんさして他のグループも騒ぎ出し、あっという間にクラス全体にひろがり、手にえなくなった。学校の中でも、一、二を争う評判の悪い、授業崩壊ほうかいクラスになった。
でも、いじめがまったくなかった。いくつものグループがからみ合っているため、いじりがエスカレートしていじめになる前に、いずれかのグループの誰かが止める。いじっていた生徒と止めた生徒がケンカになることも。その際は、その場に居合いあわせた他の生徒たちが力尽ちからづくで引き離す。2‐Dには、そんな暗黙あんもくのルールができていた。
当然わたしは、毎日のように職員室でめられた。授業が成立しない2‐Dのことをめられた。わたしは「すいません。すいません」と謝りつづけ、ひどく落ち込んだ時は、職員室からのがれ、一人ぼっち校舎の裏の片隅かたすみで、タバコを吸っていた。
その場所は、どこからも死角になる場所だったので、誰にも見つからない。授業が行われている時間内にしか行かなかったので、生徒たちと出くわすこともない。一人になって気持ちを整えるには絶好の場所だった。もちろん痕跡こんせきを残さないために、携帯灰皿も持ち込んでいた。

四月を何とか乗り越えた五月のある日、いつものように秘密の場所でタバコを吹かしていると、
「あら、先客せんきゃくがいましたね」とコウサク先生に見つかってしまった。
わたしはあわててタバコを消した。
「あーあ、消さないで良かったのに」とコウサク先生。
口癖くちぐせになっていた「すいません。すいません」とわたし。
「今日でやめます。もうここでは吸いません」
コウサク先生に「どっちの、すいません、ですか?」と言われた。
「ごめんなさいの方? それともタバコの方?」
「あの、それは、どっちもです!」とわたし。
コウサク先生は「どっちも気にしなくて大丈夫ですから」と笑ってくれた。
コウサク先生も、ときおりこの場所に来ていたそうで、先客せんきゃくのわたしがいるのをさっすると、こっそり帰っていたらしい。
「ここは一名限定の場所ですから」とコウサク先生。
「さっきも職員室でしかられていましたけど、大丈夫ですか?」
そう言われて、わたしは強がった。
「大丈夫です!」
コウサク先生は「そうですか。なら、いいんですけど」と微笑んだあと、
いきなり「ボク思うんです」と語り始めた。
「あの子たち、来年は受験生です。最初の人生の岐路きろなんですよね」
タバコに火をけるコウサク先生を見ながら、
わたしは(この人、なんかカッコイイことを言おうとしてるぞ)と思った。
「カッコイイこと言うつもりはありませんけど……」とコウサク先生。
(あ、ヤバ、心読まれとる)とわたし。
「勉強以外にも、部活とか、友人関係とか、なかには家庭のこととか」
(長くなりそうだな、こりゃ)
わたしは二本目のタバコに火をけた。
「いろいろ抱えながら、来年は受験生なんですよ、あの子たち」
(やっぱり、長くなりそうだ)
「だからあのまま、一年間過ごさせてあげればいいと思うんです」
(おや? 他の先生たちとはまったく違う意見?)
「どう思いますか?」
(ヤバ、どうしよう。質問された。なんか答えなきゃ)
「しかし、いつもわたし、しかられてばかりで、どうすれば先生方の期待に」
するとコウサク先生は、
「あなた、そんなこと思っていませんよね?」
(なんだ、この人? まぁまぁ失礼だぞ)
「いえ。はい。思っていません。……あっ!」
(げっ! しまった! つい本音が)
コウサク先生は小さくうなずいて、
「子どもたちのために頭を下げるのも、ボクたち教員の仕事です」
(おやおや? なんだ? なんだ?)
「すいませんとか、申し訳ありませんで、その場が一件落着するなら」
「何度でも頭を下げればいいんです」
わたしは「……その場しのぎですか」とつぶやき、
自虐じぎゃく的に「まるで今のわたしみたいですね」と苦笑にがわらい。
コウサク先生は、また小さくうなずいて、
「こうします、とかを、かたくなに言わないあなたは、正しいと思います」
(いや、わたしはできない約束をしたくないだけで)
「きっとあなたができない約束をしないのは……」
(あ、また、心読まれた)
「あの子たちのためを思ってのことですよね?」とコウサク先生。
(違う。それは違う。深い理由はない)
「いえ。わたしは、できない約束をしたくないだけで……」
「でしたら、そのままでいいと思います」
コウサク先生がわたしを肯定。
つづけて「でも、頭を下げる時は、こうしませんか」と。
「申し訳ないという気持ちだけじゃなく」
「生徒たちのために、という理由を追加しませんか」と提案してきた。
(どういうこと?)
「そうすれば、ストレスなく何度でも頭を下げられるようになります」
「これからは、びる時、謝る時は、生徒たちのためと思い込みましょう」
「たとえ今はそう思っていなくても」
(えっ?)
「いずれ生徒たちのため、と強く思えるようになるはずです」
「生徒たちのためだと思えば、何度でも頭を下げられます」
「生徒たちのための謝罪なら、いつでも、どこでも、どんとこい」
「ちなみにそれが、ボクのポリシーです」と得意げな顔。
でも、気にさわるような感じは一切ない。むしろ清々すがすがしい。
わたしはいつの間にか、コウサク先生の話に引き込まれていた。

「熱っ!」とコウサク先生。
コウサク先生のタバコが根元まで燃えていた。
わたしのタバコの火は、知らぬ間に消えていた。
「大丈夫ですか?」とわたし。
「大丈夫です」とコウサク先生。
二人ともタバコを吸うのを忘れていた。タバコがどんどん短くなっていることに気づいていなかった。コウサク先生とわたしは、それぞれ自分の携帯灰皿に吸いがらを入れた。
コウサク先生は腕時計を確認すると、
「職員室に戻りましょう。そろそろ授業が終わる時間ですから」と言った。
わたしは咄嗟とっさに申し出た。
「今日、部活後、お時間ください! 話のつづきを聞かせてください!」
「はい。でしたら、美術室にお越しください」
コウサク先生は「さ、走りましょう!」
そう言って、わたしの肩をたたいた。

~ 第10話 馴れ初め(語り:クミコ)に、つづく ~


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