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あたたかいものが好きな理由

温泉
岩盤浴 
韓国で食べたかぼちゃのおかゆ
こたつ
豆乳鍋
アールグレイの紅茶

私の好きなものはあたたかいものが多い。
季節も夏が好き。そして夏でもやっぱりお風呂に入ってあたたまるのが好きだ。
とにかく、あたたかいものが好きなのだと思う。

何となく浮かんだ好きなものたちのことを考えていると、なぜか好きだった保育園の先生のことを思い出した。

その先生は、笑顔が素敵で、背が高くて、若くて、元気いっぱいだった。
芸能人でいうと山田邦子さんに似ていて、それが先生のキャラクターとも合わさって、私の中で先生を思い出すと、先生の顔と山田邦子さんの顔がが一緒に浮かんでくる、というような不思議な現象が起きた。

私は先生と保育園が大好きで、それは小学校に上がってからも続き、学校から家に帰ってランドセルを下ろすと、毎日決められたことのように保育園へ向かった。
そして先生たちは、保育園に通う小学生の私を、笑顔で迎え入れてくれていた。
令和の今では絶対に許されないのだろうけれど、こっそり残ったおやつをもらったり、先生と一緒に自分より小さい子どもたちのお世話をさせてもらったりした。
それは全て、昭和という時代の優しさだったのだと思う。あの頃は今のように"正しくないこと"を監視し指摘し合うような生真面目さはなかった。
そのおかげで私は、救われたのだ。
そして一年ほど経ち、二年生になる頃には、私は第二の保育園時代を卒業し、学校生活に戻って行った。

当時、女性の社会進出だとか、男女平等だとか、そんな過渡期でもある時代に子どもとして放り込まれた私たちは、状況を受け止めつつも、心のどこかでは寂しさを抱えていたのかも知れない。

同級生はというと、みんな学童クラブというところに行っていて、そこに通っていなかった私は、その特別な団体に入ったら楽しそうだな、と考えたりすることもあった。
学童クラブではどうやらおやつが出されるらしく、家でいつもお茶菓子入れから(だいたいお煎餅しか入っていないから)、お煎餅を取って食べていた私はそれもなんとなく羨ましかった。
小学生の私の一番の憧れは、洋風のエクレアとかシュークリームといったおやつを、お母さんにお皿に乗せて出してもらうことだった。

母との思い出が少ないことを、小さい頃はあまり深刻に気にしてはいなかったけれど、大人になるにつれて、何とも言えない寂しさが私にずっとつきまとっていた。
その考えや努力に、どうしても決着がつかず、自分の過去と試行錯誤して戦っていると、いつも、あの第二の保育園時代のあたたかいイメージが浮かんでくるのだった。
私は、そのイメージについて、思い出としてただ流れてくるものだと思っていたのだけど、私はあることに気がついたのだ。

それは、「私はあの頃、本当は色んな人のあたたかさに包まれていた」ということだった。

私は、自分がなぜかずっとひとりだと思っていて「強くなって1人で生きていかなければいけない」と、物心ついたときから思い続けてきた。「頑張らないといけない。上を目指さないといけない。そうしないと、ここにいてはいけない。」と思っていた。だから、ほっとすることもゆっくりすることも休むことも許されなかった。
けれど、私があたたかいものを好きだと思えるのは、あたたかさの心地良さを本当は知っているからだったのだ。
あの頃、色んな人が関わってくれて、一緒にいてくれて私は育ってきた。その温かさを、優しさを私は教えてもらっていた。
愛されていた。
私はひとりじゃなかった。


あのイメージは、そう私に教えようとしてくれていたのかもしれない。

あの頃から今この時まで、私に関わってくれた人がいた。
育ててくれた人がいた。
支えてくれた人がいた。
救ってくれた人がいた。
色んな人がたくさん私のそばにいてくれた。
その環境は有難いものだったのかもしれないと思えた。

あたたかいものが好きな理由を考えていたら、私の考えはこんなところまで辿り着いていた。

考え事というのは、だいたいいつも悲観的な方向に向かうことが多いのだけれど、今回は最後に辿り着いたポジティブな答えに、こんなこともあるもんだなと、珍しく自分に関心するような出来事だった。


つらい時にはまわりが見えなくて、自分のことしか考えられなくて、自分の成長のなさや、変わらない毎日にうんざりしたり、もうだめかもしれないと繰り返し絶望している自分がいる。

そんな時、顔を上げて目を外に向けてみると、周りには、本当は助けてくれる人がいたりするのだ。その時は、今は、見えていなくても。
ぼろぼろの私でも、あなたのことだって見てくれている人はいる。

私は、一日の終わりに、あたたかいお茶を飲む。余裕がない時は、それすら出来ずにひたすら眠るだけなのだけれど、本当はその時間が好きだ。
紅茶、ハーブティー、緑茶などその時の気分や家にあるもので。
そんなあたたかい時間は、私に大切なことを教えてくれた。
私の周りにいてくれる人や物たち。
その全部に、有り難く思ったり、楽しんだり、感謝したり出来る人になりたい。

ずっと抱え込んで捨てられなかった寂しさも、いつか見返してやると誓った恨みも、あの時言い返せなかった悔しさも。
私だけじゃない、みんな誰もが笑顔の中で持ってるものなんだろう、きっと。
苦労がない人なんていない。見せていないだけ。だから私だけじゃない。

でも私ももう随分背負ってきたからこの辺で荷物を下ろそうかと思うよ。
この重い荷物をこれからも背負い続けて行くのは難しいし、重すぎる。軽いものだけにしよう。

さぁ、軽いものとは何だろう。
何となく自分の気持ちがワクワクするものかな。きっと好きなものだな。
それから、あたたかいものも。
また良いアイディアをくれるかもしれないから。
今日からは、自分の大好きなものだけを持って出掛けていくよ。

梅雨が明けた。
私の好きな夏が来る。
夏の青い空も、私が大好きな空だ。
雲が少しあるくらいがちょうどいい。
夏が来るから、そんな新しい自分になろうと思う。


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