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1音1音に向き合うこと

先日、門下生による発表会があり、出演させていただきました。

例年、特に何も考えることなく出演していたのですが・・・
今年は「日本語を美しく歌う」こと「中低音の強化」を目標にしようと、選曲しました。

大学時代から、殆どがイタリアのものだったので・・・実は日本歌曲は殆どチャレンジしたことがありませんでした。なので、今日本の唱歌や懐かしい昭和歌謡曲などを歌わせていただく時に、なんとなくしっくりきていなくて、もっと何かできるんじゃないか?と思うようになりました。

音楽に対する考え方も変わりました。
正直、ここ数年まではそんなに深くは考えていなかったなと思います。

ですが、「自分の意志」で学ぶようになってからは音楽に対する考え方、歌う事に対する考え方、1音1音に対する考え方がガラリと変わりました。

作曲家の人は、
なぜその音にしたのか?
なぜその長さにしたのか?
なぜ前後の音との関係性をそうしたのか?
なぜ強弱やテンポなどをそう設定したのか?

恥ずかしい話ですが、「書いてあるから」そう歌っていた時期がとても長かったように思います。

自分で考えるきっかけになったのは、数年前に東京で行われたマスタークラスでの授業でした。ヨーロッパから先生方がおいでになって、曲の分析を丁寧に教えてくださいました。その時代の社会情勢、宗教、作曲家の人生背景、作詞者の人生背景・・・この音がここでこう跳躍しているのは、こういう気持ちがあるから、など、1つ1つの音に対して丁寧に教えてくださいました。

そこから、私の音楽に対する意識はガラッと変わりました。

当たり前ですが、作曲家さんは適当に音を作っていません。オペラのアリアであれば、オペラの全体像からアリアの1音にかけて全て繋がっています。意味を考えて作曲している。意味を作って作曲している。

だから、奏でる私としても、その1音1音に向き合って歌わないといけないと考えるようになりました。

しかしまた、これがかなり大変なことです。
練習をして身になるまでは神経をかなり使います。

声を出す事や歌うことは、考えなくてもできてしまうことです。
それをあえて「意識する」というのはとても神経を使うことです。

合唱団の指導の時でも「ここの音がなぜこの音なのか?1音1音丁寧に考えましょう。でも1音1音をはっきり歌いすぎればいいというわけではない」というお話をよくします。

すると、歌い手さん達は練習の終わりの方はへとへとです。
本当に考えて集中して練習をすると、体力を消耗します。

それが練習を積み重ねていくことで、体にしみこんでいくのではないかな、と思います。それが練習の意味であり、練習までの準備(楽曲分析)もかなりの時間を要すると思います。

当たり前のことですが、できていなかったなーとつくづく反省します。

正しい音で歌うこと、正しい発声で歌うこと、は勿論練習で大事なことだと思います。でも、音楽を奏で、伝える立場である以上は、そのもっともっともっと先を見据えてやっていかないといけないな、と実感しております。

でもそれに気付いてからの方が音楽が好きになりました!

次はどんな曲と出会えるか、楽しみです♪

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