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平穏・活力・他者貢献


そもそもこの本を読んで、どうなって欲しいか

ここでは、みなさんにこの本を読んでどうなって欲しいか?僕の私塾に入ってどうなって欲しいかについて書いていきます。
まず、僕は皆さんにタイトルで主張したように「平穏」「活力」「他者貢献」この3つを持って欲しいと思っています。
なぜなら、こうすることで皆さんに幸せになって欲しいからです。
そして、その手順の概略がこの項になります。
まず「平穏」について。
平穏とは、心の穏やかさを指します。
心が穏やかであることは幸せの第一条件です。
皆さんも優しい気持ち、余裕を持った気持ちでいたいですよね?
だとしたら、まずは平穏な気持ちを持って心に余裕を持ちましょう。
その平穏になる方法は何かというと「禅」です。
宗教的な意味の禅ではなく、心構えとしての禅です。
なので、悟りを開くとか、真理を探すといったようなスピリチュアルな意味合いは込めていません。
僕自身、スピリチュアルな感覚に苦しめられた時期がありますので、みなさんに同じ苦しい思いをしてほしくありませんので。
禅については他の項で解説しますので、まずは「禅」の心構えで「平穏」を手に入れるのだと覚えておいてください。
次に「活力」についてです。
活力とは生きる力、生命力、前向きなパワーのことです。
これがあれば、皆さんも活き活きと活躍できそうですよね。
「活力」は「ポジティブ心理学」でその答えを導き出そうと思います。
「ポジティブ心理学」についても他の項に譲ります。
この項の最後に「他者貢献」についてです。
これは「人のために何かすること」です。
こうすることで、結果、自分が幸せになり、他者も幸せになり、人間関係が素晴らしいものになります。
人間関係が素晴らしくなることは心理学的にも幸せになれると証明されています。
この「平穏」「活力」「他者貢献」をこの本を読んだり、僕の私塾に入ることでみなさんに持ってほしいわけです。

自己紹介:「病気になっても諦めなかった僕」

この項では完治が不可能と言われる僕の精神疾患との闘病について書きます。
僕の話が続きますが、よければお付き合いください。
さて、いきなりですが本題に入ります。
僕は小中高と平和にスポーツも勉強も友達付き合いも平均以上にこなし、順調に生活していました。
そしていよいよ大学生活。
現役ストレートで京都市にある立命館大学法学部に合格し、無事大学生になりました。
高校時代、クラスの成績は出席日数が足りずに評価の低い同級生が一番したで、その次に下なのが僕でした。
つまりクラスでは下から2番目という成績の僕が、上位の生徒と偏差値的には同じくらいの大学に合格を果たしたのです。
この状況に僕は納得していました。
それは、僕は学校内の授業のテストは悪かったのですが、全国模試では常にクラスで上位にランクインしていたからです。
これはどういうことかというと、学校内の成績は教師が授業で教えたことをもとに作られたテストの点数で決まりますが、全国模試は大学入試と同じ形式で出題されるからです。
授業はろくにきかず僕はなんとなしに教科書を眺めるだけでした。
勉強で馬鹿にされながら過ごした高校時代ですが「模試の成績はいいから僕は大丈夫」と思って一人で自信を持って過ごしていました。
成績面では恵まれなかった僕ですが、友達には恵まれました。
中学からの親友で、一緒にニュージーランドにホームステイしに行った経験のある二人です。
この二人の親友といつもつるみ、三人組で遊び回っていました。
そして、所属していた硬式デニス部の仲間。
このメンバーとものちにさらに深いつながりとなる出会いが生まれ、いい経験をしました。
このように僕の大学生までの生活は順調でした。
しかし、大学生活。
ここで僕は挫折をします。
ただでさえ人混みが苦手な僕が満員電車に乗り、これまた満員のバスで片道2時間かけての通学が始まったのです。
あまりの辛さの通学でした。
さらに、高校のようにクラス単位の生活ではない大学では友達ができず、僕は一人寂しく大学で過ごしていました。
友達もできないし、通学もとても辛い。
だんだんと、僕は大学に行かなくなりました。
そこで新たな出会いが。
二回生の時、ドイツ語の授業で声をかけてくる人が現れたのです。
それは一回生の時のゼミ形式の授業で出会った一回浪人して入学した年上の男性でした。
その人とつるむようになり、その人の家に行くとゼミ形式の授業で出会った友達がもう一人。
そして、その先輩の家で3人で哲学について語り合うようになりました。
そこから僕の様子がおかしくなり始めます。
その大学の年上の男性は過激な発言を繰り返すので、正義感の強い僕は言い返して激論を繰り返しました。
でも、他に友達のいない僕はその人の家での3人での会話に参加しつづけました。
なぜなら、寂しかったからです。
そうこうしているうちに僕の精神状態は悪くなり、大学の年上の男性の過激な発言は勢いを増し、ついに僕の大事な正義感が崩れその先輩に迎合するようになってしまいました。
そこからどんどん、その過激な発言をする年上の男性の影響を受け続け、僕は精神疾患を発症してしまいました。
最初、地元でまだつるんでいた、ニュージーランドに一緒にホームステイに行った親友たちが僕の言動・行動のおかしさに気づき始め、母に伝えてくれていたそうです。
母は仕事で忙しく、僕の状況をなかなか知ることができませんでしたが、明らかにおかしいと気づいてくれ、僕に内緒で精神科に相談に行ってくれていました。
そして、母に精神科に行くよう説得を受けながらも、僕は精神疾患を認めず、ある女性と恋に堕ちます。
そして、その女性の家に入り浸っていたのですが、精神疾患は悪化し、その女性とも別れ、僕はそのショックで自殺未遂を起こしてしまいました。
そのため、僕は精神科に即入院とされ、隔離病棟でとても劣悪な環境で数ヶ月、入院しました。
入院当初は病気を認めなかった僕ですが、パニック発作を起こすたびに看護師さんを呼んで注射を打ってもらうたびに回復する経験を繰り返しているうちに「注射で治るということはやはり病気か」と思うようになり、診察で当時の主治医に病気であることを認めました。
すると、僕は即退院となり、驚いていたところ、それには理由があることをのちに母に聞かされました。
それは「あなたが病気であることを認めたから退院できたんよ」とのこと。
主治医は僕をなぜ数ヶ月も退院させなかったかというと「僕が病気であると自分で認めさせるため」だったようです。
晴れて退院した僕はまた大学生活に戻ります。
そして、年上の先輩とは距離を置くようになり、一人で大学にいると、後ろから背中をコツコツと叩かれました。
振り向くと、そこには懐かしい顔が。
そう、高校の同級生です。
その高校の同級生が大学入試に失敗して浪人していたことは知っていたのですが、「なぜいるのだろう?」と思うと、僕を追いかけて立命館大学を受験して一浪で入学したそうです。
そこで、その同級生から「おい、お前、ドラムやれ」と言われ、突然僕はロックバンドに加入することに。
そこで文学部の生徒がボーカル、ギターでいて、ベースは高校の同級生でした。
そこで初めて、友達ができた感じがしました。
そして初めてのバンド活動。
そこでも精神疾患の影が。
それは、スタジオの帰り道でパニックになり動けなくなる僕。
バンドのメンバーには病気を打ち明けていたのでメンバーも心配してくれ、そのままバンド活動を続けられたのは感謝です。
その後、新たな女性との出会いが、それが今も付き合っている彼女です。
彼女はとても優しく、親身になってひたすら僕の話を聞き、僕のわがままに付き合ってくれました。
ほどなく、彼女の家で同棲が始まり、僕は司法書士での開業を目指しアルバイトをして彼女と生活しながら受験勉強。
まず、司法書士のワンステップ手前で行政書士試験に合格し、次は司法書士試験。
そのままアルバイトを転々としながら気づくと31歳。
彼女との結婚の話が出てきました。
そこで、彼女の親御さんも結婚を許してくれ、彼女と婚姻届を出しに市役所へ。
無事結婚したのですが、その後、僕が彼女を養っていくだけの給料をもらえる仕事が見つからない。
その焦りと、結婚生活の仕事もしないといけないけど、ずっと夢だった司法書士試験を諦めきれませんでした。
そこで、まずは仕事を探しましたが決まらず絶望、司法書士試験も諦めきれず、精神疾患も悪化し出していて、僕は2度目の自殺未遂へ。
その後、彼女とも離婚し、またも入院へ。
ただ、彼女とは42歳になった今もまだ関係は続いています。
今も、親身になって話を聞いてくれます。
その入院から10年間。
両親と暮らす生活に戻った僕は闘病の日々。
僕は両親と彼女の愛情と、親友の支えもあり、上がったり下がったりしながら快方へ向かって行きました。
僕はその10年間で、病気と戦うべく、心理学、脳科学の本を読み漁り、ネットでも障害についてかなり勉強しました。
そして、コロナ禍で連絡を再開した中学からの親友とのやり取りで、私塾というアイデアを思いつき。
今回、その私塾のテキストとして使うため、この本を書くことにしました。
僕の私塾では、禅とポジティブ心理学をベースに、僕の闘病経験をもとにプログラムされており「平穏・活力」を得られ「他者貢献」を実施するものとなっています。
つまり入塾された方にどうなってほしいかというと「私塾でのプログラムで心の平穏さを得、他者貢献をすることで幸せになってほしい」ということです。
ご興味ある方は是非こちらへどうぞ。

家族からの愛情


この項では、僕の家族の話をしたいです。
僕には両親がいて、兄弟が一人います。
その家族からたくさんの愛情を注いでもらって、僕は生きてきました。
僕が精神科で三回入院しても、車で片道2時間を両親は毎日お見舞いに来てくれて、病院の看護師さんもびっくりしていました。
毎日、精神疾患のパニックと苦しみながら戦う僕を根気強く支えてくれ、感謝でしかありません。
僕も少しでもできることをと思い、新聞取り入れと皿洗い、ゴミ出し、風呂掃除、掃除機がけを手伝っています。
両親には本当に世話になっていて、感謝の気持ちしかなく、いつか精神疾患から完全に立ち直って、私塾で社会貢献している僕を見せたいです。
家族からの愛情、それに僕は恵まれていると思います。
様々な苦労をかけましたが、僕は両親が大好きです。
思慮深さ、頭脳明晰、優しい、有言実行、誠実、この要素は全て両親に当てはまると思います。
このような、思いやりがあり、愛情の深い家族は他にはいないのではないと思います。
両親のもとに生まれて僕は幸せだと思います。
このように僕は愛情ある家族に恵まれ、生活をしています。

根気強く付き合ってくれている、彼女、親友


この項では、僕を支えてくれている、彼女、親友について書きます。
僕には彼女と親友がいて、長年根気強く接してくれ支えてくれています。
悩み相談に乗ってくれたり励ましてくれたり。
その中でも一番支えになっているのが彼女の存在です。
彼女とは長年会えていませんが、毎日メールをして、毎週電話をして関係を続けています。
僕から友達に戻ろうと言って、彼女を怒らせてしまったので、彼女は友達と言って譲りませんが、僕は彼女として扱っています。
そして、彼女からの変わらぬ愛情を受けています。
次に、親友です。
僕がよく連絡をとっている親友は3人いて、大学の同級生、中学の同級生、小学校の同級生です。
彼らには本当に世話になっていて、僕のしていることに対し、自分ごとになって質問してくれたり、アドバイスをくれたり、できうることを全てしてくれていると思います。
中学の同級生とは毎日頻繁にメッセンジャーで連絡を取り合っていて、事業の進め方について優秀なビジネスコーチをしてくれています。
彼女、彼らには定期的にLINEギフトでプレゼントを送るようにしています。
僕からの気持ちです。

闘病経験


僕は20歳の時に精神疾患を発症し、彼女の支えで回復しました。
しかし、定時薬をしっかり飲まず、32歳の時再発。
それが理由で入院して、退院後も10年間闘病しています。
その経験から定時薬の大事さに気づき、確実に飲むようになりました。
その闘病経験はとても辛かったですが、両親や彼女、親友の支えもあり、諦めませんでした。
闘病を開始してから10年後、禅とポジティブ心理学に出会い、目が覚めた思いをする経験をしました。
まず、禅の精神で(宗教的な意味ではなく)自分自身の嵐のような心を平穏にしました。
そして、ポジティブ心理学で前向きに生きる方法を知りました。
さらに、人に尽くす。
つまり、他者貢献で自分が満たされることを知り、人に尽くすようになりました。
こういった流れで僕の精神疾患は回復していき、この経験を社会貢献のために使おうと、この本を執筆する流れになりました。
この本は僕が開く私塾で使う予定のテキストとして書かれており、僕の私塾に対する想いを込めて書いています。
まずはこの本で、僕がなぜ私塾を開いたのか、そして、私塾に入って得られることとは何か、僕が何を考えているかを知っていただこうと思います。
そして、この本を書くきっかけとなった、中学からの親友、根気強く支えてくれている両親、彼女、大学からの親友、小学校からの親友、主治医をはじめとした病院の方々に感謝します。

ポジティブ心理学

この項ではポジティブ心理学について解説します。
ポジティブ心理学とは、比較的新しい心理学の学派で、従前のフロイト、ユング、アドラーなどの「ネガティブを改善すること」を目的とせず「人を、よりポジティブにする」ということを目的にした心理学です。
僕はこの心理学を、ストレングスファインダーという世界的に有名な心理テストの開発者とそのお孫さんが書いた「心のなかの幸福のバケツ」という本で知りました。
それまでの僕は「アドラー心理学」を概説した「嫌われる勇気」など、古典の心理学書を読みあさっていたのですが、ポジティブ心理学に出会えたことで目が覚める思いをしました。
それはどういうことかというと、ネガティブを改善する心理学書を読んでさらにネガティブになる僕を救ってくれたからです。
どのように救ってくれたかを以下解説します。
僕は従前のネガティブを改善する心理学で「自分のネガティブな部分」に注目するようになることでさらにネガティブなっていました。
そこをポジティな話が多く書かれているポジティブ心理学に出会うことで「ポジティブ」に注目するようになり救われたということです。
ポジティブ心理学を学んで前向きになった僕は、どんどん前向きになり、活き活きと自分の中に活力が生まれるのを感じました。
このことがきっかけで、禅で学んだ心の平穏さの次に「ポジティブ」つまり「前向き、建設的、創造的」といった感覚を覚え、悩まされていた精神疾患から回復していくようになりました。
この経験は僕の10年の闘病生活のうち、わずか2週間ほどですが、大きなことでした。
この経験をみなさんにもしてもらいたく(精神疾患とは関係なく)この項でポジティブ心理学を紹介したわけです。

活力を得るには

この項では活力を得る方法を書いていきます。
活力を得るには「前向き」になることから始まります。
「前向き」になることでポジティブ(建設的、前向き、元気、創造的)な感覚が生まれ、活力を持って生きることができます。
では、どうやったら前向きになれるのか?
その答えは、ポジティブ心理学にあります。
ポジティブ心理学のノウハウを使うことであなたの気持ちは「前向き」になり、活き活きと生活できるようになるわけです。
では、ポジティブ心理学をどう使うか?読者の皆さんはそれについて知りたいと思います。
前向きになるためにどうやってポジティブ心理学を使えばいいか?それは具体的には3つに表せます。
それは「楽観的」「レジリエンス」「グリット」です。
ポジティブ心理学で楽観的になることで、自分の中からネガティブな要素が減り、「どうにかなるさ」という感じで物事を難しく考えすぎずに済むようになります。
違う言い方をすると「世の中には2種類の人間がいる」ということです。
それは「戦略的オプティミスト」と「防衛的ペシミスト」です。
戦略的オプティミストとは、物事を楽観的に考え積極的に活動する人のこと。
防衛的ペシミストとは、物事を悲観的に捉え、慎重に行動する人のことです。
これは遺伝子配列で決まっており、日本人は世界で最も防衛的ペシミストの比率が高いと言われています。
こうなると、この本を読んでいる日本人であろう方は、防衛的ペシミストの方の可能性が高く、悲観的に物事を考え、慎重であるという可能性が高いです。
と、いうことは防衛的ペシミストでありながら、そこから戦略的オプティミストの考え方を真似すればいいということになるわけです。
その具体的方法は、「なんとかなるさ」と期待を込めて流れと勢いに任せるようにする、リスクをあえてとってチャレンジしてみる、コンフォートゾーン(心理的安全地帯)から飛び出してみる。
こうすることによって、戦略的オプティミストのように楽観的に思考・行動できるようになるでしょう。
これは訓練が必要で戦略的オプティミストの真似をすることを習慣化し、癖づけることが必要です。
僕の私塾ではこのトレーニングも行います。
さて、先ほど述べたコンフォートゾーン(心理的安全地帯)って何?と疑問を持った方に、その意味を概説します。
コンフォートゾーン(心理的安全地帯)とは文字通り「安心できる場所」のことで、その逆を言うと「この場所は落ち着かないなあ」「この人と会うのは緊張するなあ」「この道はなんか危なそうだな」と感じることです。
このコンフォートゾーン(心理的安全地帯)の逆を説明したことで理解が深まったのではないでしょうか?
そしてこういったコンフォートゾーン(心理的安全地帯)から抜け出すことも「流れと勢いに身を任せる」「リスクをとる」とともに楽観的になるために必要なことです。
これがポジティブ心理学の要素の一つ目「楽観的であること」の解説になります。
次にレジリエンス、グリットについてですが、これらについては他の項で詳しく説明していますので、そこを参照してください。

僕の思うレジリエンス

ここでは、しなやかな心つまり「レジリエンス」について書きます。
レジリエンスは「心のしなやかさ」「回復力」といい、打たれ強さを表します。
レジリエンスがあると、何か困難にぶつかった時、心がポキっと折れず、困難をいなしてまた元に戻ります。
そう、レジリエンスは困難に負けない力・困難に屈しない力です。
そして、レジリエンスとセットの言葉に「ストレスコーピング」というものがあります。
ストレスコーピングとは、ストレスの対処法のことです。
ストレスの対処法を知っていると、困難によってストレスを受けても、すぐに回復することができます。
レジリエンスの中で一番大事なのはストレスコーピングではないでしょうか。
このストレスコーピングの「引き出し・ネタ・種類」は数が多ければお多いほどいいです。
僕のストレスコーピングをここで紹介すると、「寝る」「飲み物を飲む」「コーヒーを多めに飲む」「シャワーを浴びる」「サイクリングをする」「散歩をする」「家の中で作業をしていたら外に出て外の景色を見て外の空気を吸う」などでしょうか?
みなさんもストレスにぶち当たった場合の対処法をできるだけ多く集めてください。
それがみなさんが将来ぶつかる困難に負けないレジリエンスを鍛えることになります。
レジリエンスに関してはその話題だけでも一冊の本が書けそうですので、今後書いていくことにします。

僕の思うグリット

この項では、グリットについて書いていきます。
グリットとは「やり抜く力」「粘り強さ」と呼ばれ、物事を最後までやり通す強さを表します。
この力があれば困難や壁や障害を乗り越えていくことができます。
では、グリット(やり抜く力・粘り強さ)とはどうやって身につければいいのか?
それを順番に説明していきます。
まず、グリットを身につけるには、長い練習時間に耐える力が必要です。
長い練習時間とはどれくらいか?
それは1万時間です。
「1万時間の法則」と呼ばれ、何事を習得するにも「効果的な練習」を1万時間する必要があるということです。
この1万時間の練習、やるには相当な粘り強さが必要だと思いませんか?
そうなんです。
何事かを極める。つまり、やり抜くためには粘り強さが必要なんです。
これは結局同じことを2度繰り返していると思われるでしょうが、それくらいやり抜く力が大事ということです。
そして、この1万時間を難なく易々とこなす人たちがいます。
驚きですよね?
それには理由があります。
それは心理学者チクセント・ミハイ氏が提唱した「フロー理論」と呼ばれるものです。
その、フロー理論とは一体なんなのか?
それは「その対象と一体になるほど没入した状態」です。
この状態になると、練習している人は「しんどい・辛い」を一切忘れて練習に没頭できるわけです。
これは魅力的な状態ですよね。
このフロー状態はどうやったら作り出せるのか?
それは、「適度な難易度の練習をすること」です。
これがフロー状態を作る方法のうちの一つとなります。

この項では「禅とは何か」について解説していきます。
「禅」とは、「禅即行動」「とらわれない」「執着しない」の3つから成り立ちます。
ただ、これは僕の独断と偏見であり、僕は禅宗でも、修行僧(雲水)でもなく、禅について学んだのは枡野俊明さんという禅宗の中の「曹洞宗」という宗派の方の本を読んんだだけです。
ただ、その「禅」に関する本からたくさんのものを学びました。
その中でも心にとまったキーワードが「禅即行動」「とらわれない」「執着しない」の3つというわけです。
つまり僕のいう「禅」とは宗教でも思想でもなく、禅という「僕なりの心構え」です。
では、一つ一つの言葉を噛み砕いていきましょう。
まず「禅即行動」からです。
「禅即行動」とは、「何も考えずまず動け」ということです。
これは禅の言葉なのですが、僕なりの解釈ですので気をつけてください。
僕は長い間、独学で坐禅を組みながらさまざまな「考え・先読み」を自分でしていることに気づきました。
ですが、それが自分の行動にブレーキをかけているのだと気づきました。
そして、精神疾患もありあまり動けなくなっていた僕は、「禅即行動」という言葉に出会い、目が覚めました。
「物理的な行動は責任が伴うが、言葉を発することはすぐできるしやり直しができる(相手に発するとやり直しは効きませんが)」と。
そこで、まずは「本を書こう」と思ったわけです。
中学からの親友と色々とメッセンジャーで話しているうちに、「私塾」というキーワードが僕に引っかかって、「私塾を作ろう、そのための本を作ろう」と思ったわけです。
それが僕の最初の「禅即行動」の体験であり、みなさんにも「行動」を起こしてほしいわけです。
この本で紹介する行動とは「他者貢献」という「人に親切にする」というものですが。
そして僕は「禅即行動」で前向きに行動し始めたわけです。
次に「とらわれない」についてです。
これは、僕が日々、坐禅をしたり、日常を送っている中で気づいたことです。
「僕らはいろいろな利害損得にとらわれて生きているな」と。
これも、坐禅をしたり、日常の中で「利害損得から離れよう」そう思い立って、意識してとらわれないようにすることを実践し始めました。
そうすると、自然に心がとらわれなくなり、気持ちが軽くなりました。
この方法については「体感」しないと感じることができないので、必要とされる方は僕の私塾に立ち寄ってみてください。
一緒に会話などを通して、とらわれから離れてみましょう。
最後に「執着しない」についてです。
「執着しない」とは「とらわれない」をより強くしたものです。
物事に「こだわりすぎない・こだわり続けない」状態です。
どういうことかというと、自分のコントロールできないことに、いつまでも凹んだり悩んだりしないということです。
自分のコントロールできることだけに集中すること。
それが「執着しない」です。
執着しないようになると気持ちが晴れやかになります。
自分のコントロールできるものだけに集中するようになるので「どうしようもない」ということがなくなり「なんとかなる」だけになるからです。
逆に「執着する」とは「どうしようもない」という状態を自ら作り出しています。
それは、ただの「とんでもなく辛い」状態です。
自分のコントロールできるものだけに集中し、「執着しない」ようにしましょう。
以上が「禅」についてでした。
この3つを押さえることで、心が「平穏」になり「幸せになる第一歩」になります。

禅の平穏な心の効果とは

この項では、禅の平穏な心の効果について書きます。
ここでいう禅とは禅宗でも、修行僧(雲水)でもない僕独自の「禅」です。
禅の平穏な心とは何が起こっても湖の水面のように静かな心です。
波打ってもすぐにおさまる。
これを禅宗の一つである曹洞宗の枡野俊明さんは「動じない」と言っています。
そう、何か起こって一時的に「動揺」したとしても「動じないこと」が大事なわけです。
何かがあって心が揺れたとしても、そのまま揺れさせ続けず、穏やかな気持ちを取り戻すことが大事です。
このことは禅の心構えを日常生活に取り入れることで実現できます。
定期的に坐禅を組み、呼吸を整え、自分と向き合い、現実と向き合うことで物事に動じなくなります。
さらにおすすめなのが、何か起こって心が動揺した時に、目を閉じて合掌して深呼吸をすることです。
こうするだけで気分がかなり落ち着くのでおすすめです。
僕自身、精神疾患を患っていますが、そのワークに何度助けられたか数えきれないほどです。
もちろん、精神疾患を患っていない方にもおすすめです。
普段から坐禅を組むことも穏やかな心を持つために大事で、坐禅も可能なら定期的に行ってみましょう。
この坐禅で精神を落ち着かせるという方法は「マインドフルネス」という名称でGoogleの運営会社など各種世界的大企業でワークとして取り入れられています。

禅は宗教ではない

いきなりですが「禅は宗教ではない」というのが僕の考えです。
禅とは「日常」であり「生活」であり、坐禅を組んで自分と向き合うことだけが禅ではないと思います。
日々の生活を丁寧に行い、何ものにもとらわれず、執着せず生活していくことが、僕の考える禅です。
「僕の考える禅」だけでなく「僕の実践する禅」です。
ということは「禅」という言葉をこの本で使うのも失礼かもしれませんが、そこは許してください。
「禅」という言葉が世の中に浸透しているので、僕は「禅」という言葉を使いました。
僕自身の「禅」との出会いは枡野俊明さんという禅宗の曹洞宗の方の本との出会いがきっかけでした。
枡野俊明さんの本との出会いで、僕はスピリチュアリティをものすごく感じ、苦しみましたが、それでもくっついたり離れたりすることで、僕の中のスピリチュアルな葛藤はなくなりました。
そうやって「禅」は僕の生活スタイルの一部になったわけです。
みなさんもスピリチュアリティの高い方は最初、禅と向き合うのは辛いかもしれません。
ですが、禅はスピリチュアルな要素もありますが、「スピリチュアルではなく生活様式だ」と考えれば受け容れ易いのではないでしょうか「ミニマリスト」という生活様式的に。
ただし、禅とミニマリストは全く違う考えであることに注意。共通する部分もありますが。

心が乱れた時は目を閉じて合掌して深呼吸を

心が乱れること、ありませんか?
そんな時の対処法をこの項では紹介します。
僕は精神疾患を患っており、パニックになったり、心が乱れることが多くあります。
そういう時に役に立つのが、合掌して深呼吸することです。
僕は坐禅を通して、精神を落ち着けた経験があるので、その時に宗教的意味でない仏教的精神に立脚しています。
仏教では感謝した時に両手を合わせて、つまり合掌してその気持ちを表します。
その癖が僕にはついているので、合掌すると心が穏やかになります。。
そして、坐禅をする時には呼吸を整えるものなので、心を穏やかにするには呼吸を整えます。
呼吸を整えるには深く息をする必要があります。
深く息をするとはつまり深呼吸です。
心が乱れた時にすることは深呼吸ということでもあります。
さらに、合掌して呼吸する前に目を閉じる必要があります。
順番的には目を閉じる、合掌する、それから深呼吸です。
それをすることで、心が穏やかになります。
この方法で心が穏やかになるためには、坐禅の習慣を取り入れる必要があります。
坐禅をすることで、心を穏やかにする習慣がつき、どこにいてもできる、目を閉じて合掌して深呼吸するだけで、いつでも心を穏やかにすることができます。
僕の私塾では坐禅のレッスンもしているので、お気軽にどうぞ。

実践が大事

この本を読む上で、大事にしていただきたいと思うことがあります。
それは、「読んだら実践」が大事ということです。
この本を読んで実践するか、実際に僕の私塾に入っていただけたら学び実践することができます。
なぜ実践することが大事かというと、読んだだけでは文字情報が頭に入るだけで忘れていくからです。
この本をきっかけに禅やポジティブ心理学の学びをより深めるという行動に移してくれても嬉しいし、僕の私塾に入ってくれてももちろん嬉しいし、何某かこの本を元に行動してみてください。
100回本を読むよりも、行動に移したら1回読んだだけで充分なほどです。
だから、まずは読んだら行動に移すこと。
この本を読んでいる途中でもいいので行動に移してみてください。
僕は読書をしている最中、突然動き出して行動を始めることが多いです。
僕自身のADHDの性質もあるでしょうが、思い立ったら即行動。
まさに「禅即行動」です。
それをみなさんはまず頭に入れておいてください。
また、このことは大ベストセラーである「夢をかなえるゾウ」でも度々主張されていることです。
それはどんな主張かというと「どんな名著も実際にその内容を行動に移さなければ意味がない」と。
実は読書家の中でも本を読んで終わりという人が多く、僕はそれをもったいなく思っています。
実際に読んだら一つや二つ、実践していきましょう。
実際、僕はこの本を書くにあたって「執筆術」について本を2冊読みましたが、2冊とも一回読んだだけで今回の執筆に活かされています。
要は実践しているわけです。
繰り返し申し上げますが、みなさんも本を読んだら実践してくださいね。

前向きに行こう

この項では「前向きに行こう」をタイトルとして、前向きにいくことをお勧めしていきます。
なぜ「前向きになること」をお勧めしているのか?
それは、前向きになると事態が好転するようになり、あなたの人生が幸せなものとなるからです。
前向きにいくためには、ポジティブ心理学についての項で説明したように、楽観的になることがコツです。
楽観的になることで、目の前に立ちはだかる壁や障害、困難、リスクがあなたにとって小さくみえ、チャレンジしやすくなるからです。
僕自身、たくさんの転職を重ね、様々なことにチャレンジしてきました。
お金にならなかったことがほとんどですが、様々なことにチャレンジしてきて楽しかったです。
そしてその経験は役に立つものとなり、自分にとって糧になりました。
今回のこの本を書くきっかけになった私塾についてもそうです。
中学からの親友とのメッセージのやり取りで、私塾というキーワードが引っかかり、僕の禅とポジティブ心理学の個人的見解と、精神疾患の闘病体験というものをいかし、私塾を開こうと決断しました。
その決断は一瞬の出来事で、僕は数々の職種を経験することにより、即決力も身につけていたわけです。
そしてこうして実際にこの本を書くという行動力も出ています。
この僕の行動力こそが前向きさを表すといってもいいでしょう。
このように前向きになることで、あなたの人生は建設的で幸せになるわけです。

根性では何も解決しない

この項では、「根性」について書きます。
結論から言います。
根性では何も解決しません。
一時的に踏ん張れても、後で反動が来て長期的にみるとトントンになるだけ。
特に睡眠時間を削る根性の出し方はやめましょう。
睡眠時間を削ると、時間は確保できるかもしれませんが、生産性が落ちます。
さらに、睡眠時間を削ることは、自分の健康を害することになります。
根性で寝ずに作業するなんてことは、たとえ納期が迫っていようとやめましょう。
納期が迫っていて、無理にやったとしても、睡眠不足でミスが出やすくなって結果やり直しとなってしまいます。
根性でなんとかするというのは、体力的にも健康な20代前半までが限度でしょう。
そして、20代前半より若かったとしても、根性で何かをやり切るということはメンタルに不調をきたします。
そう「根性」は精神にダメージを与えるわけです。
根性をナメてはいけません。
確実にあなたのメンタルを蝕み、あなたを動けなくさせてしまいます。
あなたはあなた自身のキャリア、もっと長期的目線で見てみませんか?
人生はマラソンです。
長期的目線で見て、一つずつ目標を確実にマイペースにこなしていけばいいだけです。
だから「根性、根性」と言わないで、穏やかに楽しくやっていきましょう。
物事、楽しんでいる時点で、根性は使いませんが気合いは入ります。
その気合いも根性で無理して入れるのでなく、自分で楽しんでいるからこそ入るものです。
根性では、何も解決しません。

感謝の気持ちを持つ

この項では、感謝について書きます。
感謝。
みなさんはその気持ちを持っていますか?
この気持ち、持っていない人はいないと思います。
もし皆さんがイライラしていたり、孤独を感じている時は、この感謝の気持ちを忘れていることが多いです。
僕自身、相手への感謝の気持ちを忘れて攻撃的なことを言ってしまったり、心が荒れたりすることがあります。
感謝の気持ち、ありがたいと思う気持ち、大事にしましょう。
この気持ちがあれば、生きていけるというくらい、感謝の気持ちは大事です。
何かしてもらったら、ありがたい。
朝起きれたら、ありがたい。
家族が元気で、ありがたい。
彼女、親友が元気で、ありがたい。
ご飯が美味しくて、ありがたい。
ご飯を食べられて、ありがたい。
社会インフラが整っていて、ありがたい。
こうやって、僕らはありがたいことに溢れた世界に生きています。
究極的には「生きているだけで、ありがたい」です。
そう、僕らは存在しているだけで意味があり、ありがたいんです。
世の中に感謝の気持ちが溢れたら、もっと素敵な世界が広がると思います。
お互いの違いを認めあい、お互いの存在に感謝し合う。
そう、感謝って素敵で大事な言葉だと思います。

「平穏・活力・他者貢献」3つのつながり

ここまで、平穏・活力・他者貢献について書いてきました。
では、これらはどのようにつながるのでしょう。
それは人の成長を指します。
つまり、まずは心の平穏を得て、自分の内面の平和を作ります。
そして、活力を得て、仕事・私生活を充実させます。
最後に、他者貢献することにより自分をしあわせにするようになります。
この順番が大事なんです。
まずは平穏になることで、自分の精神状態を安定させ、安定したパフォーマンスを出せるようにしないといけません。
次に、生きるためにはエネルギーがいります。
これをポジティブ心理学を使って生きるエネルギーを得て、エネルギッシュで周りにポジティブな影響を与えます。
最後に他者貢献をして人との関係を築き、みなさんにしあわせになっていただきます。
どうして他者貢献をすると、幸せになれるか。
それは人間は社会的動物であるので、人とのつながりを得ると幸せを感じ、誰しもが人に何か親切をしたいと思っているからです。
このように、平穏・活力・他者貢献の順番でそれらを身につけていくことにより幸せになります。
それでは続きは僕の私塾で語り合いましょう。

言葉の力

言葉の力、皆さんはご存知ですか?
言葉にはとても強いパワーがあります。
人は言葉で作られていると言っていいものです。
話す言葉、書くことば、考える言葉で僕らは作られています。
それなら、どうせならポジティブな言葉で自分を埋め尽くしたいと思いませんか?
人はポジティブな言葉を浴び続けることで幸福度が増していきます。
そして、ポジティブな言葉を発し続けることで、周りにポジティブな影響を与えることができます。
それを可能にする環境が僕の私塾です。
私塾はまだ準備期間ですが、開校したら、このnoteで告知しようと思います。
ちなみに私塾の開校予定は2025年8月。
それまではnoteやXで発信したり、YouTubeを展開しようと考えています。
今後ともよろしくお願いします。

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