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初心① 日本語教育

こんにちは。
まかろんししょうです。

残り2週間です。
何がって?
日本語教育能力検定試験です。
10/27に行われるこの試験と、来月の日本語教員試験(国試)に向けて1年半ほど勉強してきました。

実は日本語教育を知ったのは高校生の時で、その時から気になっていたけれども当時は進路の変更をするのが怖くて。
見て見ぬふりをして、英語教育の道に進みました。
でも結局大学に入ってから勉強し始めるので一緒ですね。
ちゃんと知っておけばよかったって思ったりもする、たまに。

私がこの試験の勉強を始めたのは、大学に入ってすぐのこと。
大学の国際交流の一環で、留学生の日本語の勉強を手伝う日本語支援チューターの募集がありました。
当時はバイトをしてみたいから、何かを教えられるならなおよいし…という軽い理由で応募し、ある留学生の勉強を手伝うことになりました。

その時に、私は日本語を勉強したことがなかったので軽~い気持ちで日本語教育の入門書を買い、パラパラと読み始めました。
その結果、惨敗。
うん、ニホンゴワカンナイ。

実際に教えてみようとしてもさあこまった。
まったく日本語を教えることができません。
担当の留学生はヨーロッパ出身で、彼女のレベルは中上級。N2取得を目指していました。
彼女のほうが日本語を論理的に勉強している分、うまいと感じたこと数多。
類似表現同士の細かな違いを説明できなかったり、読解のサポートで答えを言ってしまったり。
言語を教えるうえでやってはいけないことを連発。
そんな私だったのに、彼女は帰国するときに私と会えてよかった、私がチューターでよかったと言ってくれました。
それがうれしくて悔しくて、私は日本語教育をもっと勉強して、感覚ではなく論理で日本語を説明できるようになりたい、そして日本語を学びたいすべての人を助けられるような、日本語を通じて学ぶ楽しさを伝えられる存在になりたい。
さらに同時期に、外国につながる子どもたちに関する話に触れる機会がありました。
母語として外国語を持っている子が日本で生活をし、学習をして行く中で日本語の習得ができない、彼らの学習を妨げる大きな要因になっていたり、親と教師、親と子ども等のコミュニケーションが言語の壁のせいで充分に取れていないことで、子供が苦しんでいるという現実があることを知りました。
これを解決したい。
そう思って本格的に勉強を始めました。
身近にいる留学生の力になりたい。
将来出会う子どもの力になりたい。
言語を学ぶことで、その人の人生を豊かにする手伝いをしたい。
これが勉強を始めるきっかけです。

ところが人間は恐ろしい生き物で、自分のやりたいことのための一手段として始めた受験勉強が、気がついたら試験に受かることそのものが目的になっていました。
何のために勉強をしているのかということを忘れていました。

目的を忘れてからは、どんどんモチベーションも下がるばかり。
とりあえず勉強はしているけれども、少しでもやったら「やった」という形だけで満足してしまって、結局さして進歩していない。
何ならさぼっても罪悪感がほぼない。
さらに一年以上コツコツやっているのは変に仇となって(?)ボーダーラインぐらいの点数は最初から過去問で叩き出せてしまうという何とも言えない状況。
つまり壁にぶつからなかったんです。
過去問は難しいと思っていたのに。
自慢じゃないんです。困っているんです。
で、気が付いたらもう2週間前で、このままだと受かろうが落ちようが後悔するような勉強しか出来ていないということに気がつきました。
後悔だけはしたくない。
やると決めたからにはやり切りたい。
だから今回のこの記事で、私は自分自身を見つめ直そうと思ったのです。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
またいつか、私が教員を目指そうと思ったきっかけについて書こうと思います。

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