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日本人、それって失礼すぎるよ (2)

日本人は気づいてないところでこんなに失礼なんだよ、ということを書いていたら、次々に書くことが浮かんできて長くなったので 2回に分けました。 今回は 2回目。
 
▶前回
日本人、それって失礼すぎるよ (1)
https://note.com/maca39inches/n/n13602575adbc
 
 
人にぶつかっても謝らない、というのは誰が考えても失礼なことで、今さら言うまでもない事ですよね。 これについては私も以前書きました(リンクは最後に)。
 
ぶつかるのも失礼ですが、それに似ているというか何というか、邪魔だと思った他人に蹴りを入れる人がいますね! これも、そんなに珍しいことではなくて。
 
渋谷の駅の中に、横幅が狭く一人ずつしか乗れないエスカレーターがあるのです。 つまり追い越しはできないということ。 そのエスカレーターでは、普通に乗っていて全く問題ないのだけど、前の人が歩いて上っていたら、次の人もつられて歩いてしまう、というのがよくあることですよね。 私は歩きたくないので、人の流れが途切れたところで、ゆっくり乗るようにしていました。
 
朝の通勤途中、いつものように集団の最後に立って乗っていたら、明らかに誰かが後ろから、私の足か足首あたりを蹴ってきたのですよ。
 
無言で。
 
このとき私はまだ日本に帰国して間がなかったこともあり、心底驚いて、心底むかつきました。 いったいどんな人間が、わざと蹴りを入れるようなことができるのか!?
 
振り返りながら 「蹴らないでください!」 って言ったら、相手は 30歳前後ぐらいの女性だったのです。 もちろん社会人ですよね。 仕事の場ではきっと立派に振る舞っているのでしょう。
 
エスカレーターを上りきって、彼女は謝りもせず、顔を見ようともせず、私の横を通りすぎていきます。 私は彼女が知らん顔をしていることが信じられなくて、去っていこうとする彼女の手首を思わずつかんで、「蹴らないでって言ってるでしょう!」 と言ったのだけど、彼女はそれでも無視して行こうとするのですよ。
 
もう、ぞっとしました。 この、まったく話ができないというのは、ニューヨークの感覚からするとまともな人間ではない。
 
何か正当な理由があって蹴ったというなら(蹴る理由って・・・)、堂々と主張すればよいではないですか。 立派な社会人の彼女が、それを言葉で言えないのですか? 見ず知らずの他人を蹴るなんてことができるのに、私が面と向かって問いただしたら、何も言えなくなるのですね。
 
言葉で何も言えないから、蹴ったということでしょう。 それって小学生以下ではないのか。 小学生、いや幼稚園児だって、友達を叩いたり蹴ったりしたらだめと教えられますよね。 人を蹴ったらいけないと知っているはずです。
 
こうなったらもう、礼儀の話なのか、精神年齢の話なのか、わからなくなってきます。
 
そもそも、エスカレーターは安全面からも、歩くものではない。 それを歩くというならそれはあくまでもその人の選択と責任においてすることで、前にいる人を邪魔と思う筋合いではない。 何をどう考えたら、人を蹴ってもいいと思えるのか。
 
ニューヨークでは考えられないです。 もし他人に蹴りを入れるなら、自分の命をかけるぐらいでないと出来ないですよ。 喧嘩を売ってる以外の何物でもないですからね。
 
つい先日も、ニューヨークの地下鉄のホームで、そういう事件がありました。 男性 2人の肩がぶつかったことから殴り合いになり、ひとりが線路に落ちて、ちょうど来た電車にはねられ亡くなったのです(10月17日の夕方)。 彼らは亡くなったほうが 48歳、もうひとりが 50歳だったとのことで、別に血気盛んな若者というわけでもないですよね。 この事故は人が亡くなったからしっかり報道されましたが、そこまでいかないぐらいのことはよく起きています。 身体が触れる(ぶつかる) というのは、命にかかわるほどの結果を招いてしまうということです。
 
日本で、蹴ってくる人は珍しくなく、そのほとんどが 30代ぐらいまでの若い人ですね。 こちらが何か言っても無駄なことが多いので、余計にストレスがたまると思うようになってからは、あまり構わないようにしています。 が、ひどすぎて忘れられないのが一回ありました。
 
東京ではなくて、西日本の地方都市でしたが、ある店内でしゃがんで見ていたとき、ひざ下全部を使って身体を蹴られました! またまた無言で、前触れもなしに!
 
ここまでくると嘘みたいですが、本当の話です。 私は蹴られてよろけてしまう程でした。 振り返ると全く知らない他人ですよ? あまりのことに私も黙っていられず、何て失礼なことを!と言い合いになりました。 このときは 20歳前後ぐらいの若い人だったのです。 私が何を言っても、自分は悪いと思っていないところが、非常に不気味でした。 逆ギレ、ってところでしょうか。 私はその日一日、怒り(と衝撃) が収まりませんでした。
 
日本人って、自分が立っているところに誰かが通ろうとしたら避けなきゃいけない、と思っているのですよね。 それはとても美しいことなのだけど、反対に、自分が通るときに誰もが避けてくれるはず、と考えるのはおかしなことです。
 
目の前の相手に、どんな事情があるかわからないのだから、他人に対して何かを期待してはいけない。 期待するのは傲慢なことなのです。
 
前回も書いたように、ニューヨークでは、自分から “Excuse me,” と言って、よけてもらってから通ります。 声をかけられたほうからすると、そのように言われてから避ければいいので、何もないうちからわざわざ周りの人の様子を気にしていなくてよいということです。 日本では、自分が邪魔にならないように、と常に緊張して、周りを気にしていなければいけない感じがありますが、それってきりがないことですし、疲れますよね?
 
最後に少し懐かしい話から。
 
1990年代のバブル華やかなりし頃、海外へブランド物を買いあさりに出かける、景気のいい話がよく聞かれました。
 
カネに物を言わせて、高級ブランド店で買いまくっていたのですが、そのような店では日本人客がかなり顰蹙を買い、嫌われていた、という話はわりと知られていましたでしょうか。
 
なぜ顰蹙だったか。
 
日本人は、店員と会話するのを嫌がりますよね。 店員に邪魔されずに、自分の好きなように商品を見たいし、選びたいと思う。 海外で言葉が通じないからなおさらなのでしょう。
 
でも海外の高級店とは、そのような場所ではないのです。 店員と挨拶して、言葉を交わし、その店とその品物に見合う振る舞いをしなければならない。 それがブランドとお店に対する礼儀です。
 
それなのに日本人は、挨拶もろくにできずにずかずかと店に入り込み、店員の案内なしに商品を触りまくり、ごっそり品物を買って帰る。
 
ブランド店では、店員に出してもらわないと商品を手にできないところもあるぐらいで、触りまくるのはルール違反。 ろくに品物を見もしないで何個も買うというのも、商品に対するリスペクトに欠けていると映ります。
 
お店の人からすると、自分たちの守ってきたブランドの歴史も価値も何もわかってない成金が、カネの力だけで商品を奪っていった、という感じでしょう。 決して歓迎される客ではなかったのです。
 
イメージしやすくするために高級ブランド店の話をしましたが、これって高級店に限ったことではない。 もっと庶民的なお店でも、近所の文房具屋でも、店員を無視して買い物するのは失礼なことです。 「カネを払うほうが偉い」 のではない。 海外ではそんな概念はありません。
 
「お店が客の必要なものを提供する」 というサービスと、「お客が店に金銭を払う」 という行為は等価です。 店員と客も平等です。 お互いが相手の行為に感謝するから、コミュニケーションが生まれる。
 
今の日本人は、コミュニケーションスキルがとんでもなく低くなっていて、失礼なことを平気でしてしまう。 仕事の場では、失敗があるとまずいので、自分の身を守るために礼儀正しく振る舞っているだけ。 面が割れてない外の場所では、他人に気を遣うなんて無駄だと思っている。
 
時と場合によって礼儀正しくなったり、そうでなくなったりするのでは、礼儀正しいとは言えませんね。
 
日本人が失礼だというのは、今どきの言葉でいう 「劣化」 のひとつです。
 
しかし、劣化は、ひとりひとりの資質もありますが、社会全体が劣化しているのだから、個人を責められないところがあります。
 
日本とはまったく違うニューヨークという社会で暮らしたことで、双方の良い点、悪い点がよくわかりますし、日本のどこが問題なのかも見えてきます。 つきつめて考えると結局それはコレだな、ということはあるのだけれど、それだけを書いても解決にならないので、いろいろと地道に書いていきたいと思っています。
 
相手が自分の想定通りに行動しないとイライラする日本人。
 
相手は自分と違う人間だから、どう行動するかはわからない、と考えるニューヨーカー(と海外のほとんどの地域の人々)。
 
どちらが健康的かは、言うまでもないですよね。
 
 
↓ぶつかっても謝らないことを書いたのはこちら。
日本人は「アジア人」でしかない
https://note.com/maca39inches/n/n160b78d8a0d2
 

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