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オリンピアンだった叔父が遺したもの。

先週、叔父が亡くなりました。コロナ禍で葬式にも出られませんでした。

長野県白馬村出身、1968年のグルノーブルオリンピックのアルペンスキー日本代表選手として、そして、2014年のソチのパラリンピックではアルペンスキーの監督で金メダルに貢献。白馬高校出身のオリンピック選手は確か7人いたと思いますが、初代にあたります。

そんな華々しいスポーツの経歴があるものの、全くそれを感じさせない(僕は直接、選手時代の話を聞いたことがほとんどない)、まるで傾奇者のような言動で、白馬村の良いところといい加減なところ、そして面白いところをまさに体現するような、本当に本当に大好きな叔父でした。

ここ数年調子が悪く、死因はコロナでは無かったけれど、この状況なので葬式にも出ることは許されませんでした。直接の別れも言えないのがこんなにも悲しいこととは。現状は本当におかしい。一刻も早くワクチンが行き届き、あらゆる意味で、こんな現状の世界は早く終わらせねばと思います。

叔父は、正確には、母の従兄弟なので直接の叔父ではなく、従伯父(いとこおじ)にあたります。でも、16歳で父を亡くした僕にとって、父親のように接してくれた叔父が二人いて、二人とも元オリンピック選手。その一人でした。

スキー選手を引退し、百貨店の伊勢丹で要職を務めましたが、社会人になりたての頃の僕に、量販店ではなくデパートでちゃんとしたスーツを買うことや、伊勢丹がなぜ他の百貨店と品揃えで一線を画しているのか、そして新宿のゴールデン街での遊び方を教えてくれました。叔父がキープしていたボトルも(勝手に)良く呑ませてもらいました。

選手として実績を残しているのに、終日売り場に立ち続け得意先のお客さんに頭を下げ続ける、いわゆる「普通のサラリーマン」に見えたその姿勢は、ガキの僕には「なんで?」と最初は思ったものです。(それ自体がアスリートを特別視した悪しき考え方で完全に間違っているのですが、当時の僕にはわからなかった)

現場に立ち続けて、顧客を観察し、市場の声を常に拾い続ける。あれこそがプロフェッショナルの仕事だったと今なら分かります。多くの指名客が付くというのはそういう結果なんだと。その叔父のおかげで、やがて我が親族一同もすっかり伊勢丹の虜になっていました(値段高いのに)。

僕は、2011年から長野県白馬村で、地方創生のために「白馬国際トレイルラン」という2000人規模の大会を、地域の仲間とともに開催してきました。

当時、僕にとっても白馬にとっても、マラソンやトレイルランニングの国際大会は、経験がありませんでした。しかし、スポーツ大会やイベントの開催はお手の物。長野オリンピックを開催した土地の経験やパワーはすごいんです。

そんな"オリンピック・レガシー"に着目し立ち上がった大会のスタートセレモニーは、「白馬出身の歴代のオリンピアンに並んでもらって選手を送り出す」と決めていました。

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<写真>2018年白馬国際トレイルランのスタート風景(右から従伯父、叔父、渡部暁人選手、ゲストの鈴木大地さん、上村愛子さん、福島のり子さん、成瀬野生さん)※鈴木大地さん以外は全員白馬村出身のオリンピアン

渡部暁斗選手や上村愛子さんは誰もが知る国民的英雄ですが、他にも多くの素晴らしいオリンピアンがいます。1968年のグルノーブル大会から、直近2018年の平昌大会まで、伝統がつながって、今がある。人口たった9000人の白馬はそんな土地だということを多くの人に知ってもらいたかった。

従伯父は、当初は文句を言いながらも、スターターとして何年も現場に立ってくれました。いつも、近所に買い物にいくようなジャンパーを羽織って。

白馬国際トレイルランに参加した多くの友人たちもたくさんハイタッチしてくれたと思います。そんな人がいたんだということを知って欲しくて書きました。

もちろん、いまONE TAP SPORTSというアスリートのパフォーマンス向上のためにやっている事業は、叔父たちに大きな影響を受けています。

とあるオリンピアンの晩年の、最後まで粋な姿で影響力を示してくれたこと、僕はずっと忘れずにいようと思います。

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※タイトルの写真は、skicomp1947さんのブログから拝借しました。貴重な古い写真の宝庫です。御礼申し上げます。(もし問題あれば削除させて頂きます) 

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