見出し画像

世界文化遺産アユタヤ/ワット・ラーチャブーラナ!


〇WAT RATCHABURANA

世界文化遺産アユタヤ遺跡群の中で、今回はワット・ラーチャブーラナを紹介させて頂きます。

 

画像1

 


★CHAPEL(礼拝堂)

今回の旅では、スコータイ、ピマーイの遺跡を廻って来ましたが、このように礼拝堂が残っている、復元されているのかも知れませんが、礼拝堂の形を観るのはここが初めでした。他では柱が僅かに残っている程度で、これまで全体像をイメージすることが出来ませんでしたが、このようになってるのかとここを観て想像できました。

 

画像2


画像3

 

 他の遺跡では柱だけ残っていたのに、ここでは何故か壁だけが残っているのが不思議でした。それにしても礼拝堂の中はかなり広いです。

 

画像4

 

ここには仏像が何体か安置されてましたが、いずれも上半身が無くなってます。

アユタヤ王朝は、ビルマとの度重なる戦いの末1767年に陥落した。その後ビルマ軍の手によって、王宮を始め礼拝堂、仏塔、仏像等の全ての構造物が徹底的に破壊されたそうである。同じ仏教国でありながら、戦争をしていたとは言え、どうして仏像までもがここまで無残に破壊できたのか不思議でなりません。

 

画像5


画像6


礼拝堂の全景です。

  

 

★CHEDY(仏塔)

次にクメール様式で創られた美しい仏塔に向かいます。

この仏塔は、アユタヤ王朝の王様の一人ボロムラーチャー2世により建てられたことになっています。

またちょうどこの頃、9世紀頃から長きに渡りこの地域を支配してきたクメール王朝が、アユタヤ王朝に敗北し幕を閉じようかと言う時期でもありました。

にも拘わらずボロムラーチャー2世は、わざわざ新しい仏塔を敵対するクメール王朝の建築様式にて建造したのかは(私の個人的な)謎である。 

 

画像7


クメール様式の仏塔、砲弾型と言うか流線型と言うか、とにかく美しい曲線が特徴だと思います。更に、タイで従来から建てられていたレンガ造りの仏塔とは異なり、精緻な装飾が壁面いっぱいに施され、単なる建造物ではなく、まるで芸術作品であるかのように仕上げられています。

 

画像8


この仏塔は途中まで登り、ひと廻りすることが出来るので、風景を愉しんだり、彫刻を愉しんだりすることが出来ます。

 

画像9


画像10

 

画像11

 

これは私の個人的な感想ですが、壁面の装飾の素晴らしさを評価するとすれば、トップは断トツでピマーイの遺跡、2位がスコータイの遺跡、そして3番目がここアユタヤの遺跡となります。

しかしアユタヤの遺跡は、ビルマ軍に徹底的に壊されたと言われているので、この塔も一度壊されたのを復元したものとなる。実際にどこまで壊されたのかは不明であるが、現代の技術者がここまで修復したのだとすれば、それはそれで敬意を払わなければならず、単純に芸術性だけで比較することは慎むべきなのかも知れません。

 

画像12


塔の後ろ側にも礼拝堂があります。

至る所で仏像が破壊されているのが分かります。

 

画像13


画像14


画像15

 

画像16

 

 

〇イメージソング

『Simply  Falling』 



★OTHERS

同じ敷地内にある他の仏塔です。明らかにクメール様式ではなく、この地に古くからある様式で創られています。アユタヤ朝の前は、クメール朝と併行してスコータイ王朝の時代が200年くらいあったので、この仏塔は(仮称)スコータイ様式とでも呼ぶのかも知れません。

実際にスコータイ遺跡でもこの仏塔に似た者が大半を占めていました。

 

画像17


画像18

 

ビルマ軍による惨状です。同じ仏教国でありながら、何でこんなことが出来たのか理解できません。戦争とは恐ろしいです。

 

画像19


画像20


これは面白いです。クメール様式とスコータイ様式のハイブリッドに私には見えます。アユタヤ王朝では、たとえ敵国の形式であっても、良いものは積極的に取り入れる自由な発想が許される国だったのかも知れません。

 

画像21


スコータイ様式の仏塔も破壊されてます。

 

画像22


典型的なスコータイ様式です。



〇タイ国政府観光庁案内サイト(参考資料)

タイ国政府観光庁によるタイ観光案内サイトを以下に添付します。各地の観光案内からグルメやホテル等タイに関する様々な情報が発信されていますので、旅行の前に一度確認してみることをお勧めします。


この記事を最後まで読んでいただきありがとうございます。少しでも気に入っていただけたら「すき」をお願い致します。そして少しでもサポートしていただければより一層の励みになります。