見出し画像

47歳までに転職10回以上、大手上場企業で年収4000万円稼ぐまで!波乱万丈、居場所は自分で作るもの(第5話完)

https://amzn.to/3AnHBWC

(第4話からの続き)
ほぼほぼプランと資産書を見てHご夫婦は満足げだったが契約するとは言ってくれなかった。
翌日、私が一人で行ってみると、「あのさ、支店長は胡散臭いから信用できないけど、あなたを信じるよ」と注文・契約の内諾を頂けた。


2棟14戸の大型案件だつた。

その後も、Hさんご夫婦とは妻も含めた家族付き合いをさせて頂いている。

さて、その2か月後に更なる大型案件に遭遇するが、これは次回に。

(前回までを読み逃しした方の為に)
・・・第一話:47歳までに転職10回以上!波乱万丈な人生を生き抜きました。(第一話)|真淵慶|note
・・・第二話:47歳までに転職10回以上、大手上場企業で年収4000万円稼ぐまで! 営業力開花への第一歩(第二話)|真淵慶|note
・・・第三話:47歳までに転職10回以上、大手上場企業で年収4000万円稼ぐまで!波乱万丈、営業に一番大切なモチベーション(第三話)|真淵慶|note
・・・第四話:47歳までに転職10回以上、大手上場企業で年収4000万円稼ぐまで!波乱万丈、最後の試練!(第四話)|真淵慶|note


第5話:居場所は自分で作るもの

振り返ってみると、全てに流されてきた人生であったが、人生半ばすぎてやっと「自分で選ぶ人生」を歩み始めた気がする。
今までの自分の為ではなく、自分の働きで、他の人に喜びを与える事こそがモチベーションに変わった瞬間であろう。

大東建託では、入社3か月以内に新人合宿研修が泊まり込みで自分の時は4日間あった。また、今は無くなったが当時は課長になる為の、または部長になる為の合宿研修も14日間あった。

私は、当時のK課長から散々「課長研修」の事を聞かされていたので、新人合宿研修も嫌だったが、課長の合宿研修の方が数倍きついらしいので、絶対に課長にはなりたくないとその時思った。

新人研修に行くと、講師が6人くらいいて、各班に6人くらいづつ分けられ、様々な課題を強いられた。
日々行動や言動や行いで「従順な者」ほどポイントが加算される仕組みで、私の班の部長とやらに一発で私は嫌われたらしく、合宿期間中はマイナスポイントをただ一人つけられた。
毎日トイレ掃除もやらされた。
大声も出させられ、「ここは軍隊か?あほらしい」とバカにしてたので、余計に居残りさせられマイナスポイントつけられた。
最後の日結果発表で、私は30人中最下位ではなく24位だった。
しかし、後から先輩に聞くと、上位だった奴はやめていくよ。残る奴は下の順位の奴だけ。と聞かされ、「そりゃそうだよな、上司の顔色観てやってたやつが上位だし、社の経営戦略会議で一番に挙げている顧客第一主義に全く関係ないもんな」と思った。
所詮、2-8の法則で、社内の8割は使えない存在。自分が2割側に入ればいいだけ。上司もクソもない。
私は、山本五十六の「男の修行」や「親父の小言」を座右の銘にしている。
”流された人生”と共に”馬鹿にされてきた、舐められてきた人生”も同時にあったが、それらの言葉を思い出し乗り越えてきた。

山本五十六の男の修行
親父の小言


さて、研修が終わりガラガラ声で会社に出勤し、鬼の十訓(大東10則と呼ばれていた)の朝礼から始まり1時間にも及ぶパワハラ支店長の説教。一日の始まり。

私は、昼前にやっと解放されると、見込みの家に向かった。
たまたまその日が休みだと聞いていたので、当時サンヨー電気で働くご主人の元に行ってみた。

自用地は市街地に合計6反(6000平米)ほど持っており、母親が所有者であり、その母親は80歳近くで入院中だった。
相続税対策も必要だったので、入社当時から通っていたが、その日話をしてみると、「悪かったね、介護施設で契約しちゃったよ」の第一声。

「ええええ!」
ビックリして聞き直した。
どうやら3反(3000平米)の土地を使って介護施設を作り運営するという、5億円もの契約をしてしまったらしい。

https://amzn.to/3OIslYV


私は持ち帰り、その契約会社はもちろん、片っ端から介護施設に関して調べた。支店長にも報告し、アドバイスを貰った上で、満を期して翌日再度お伺いした。


私は作成した資料を見せながら「Aさん、色々調べました。契約した会社は「○○○○設計事務所」でしたよね。大東建託でさえ30年保証は大変なことです。契約書によると、一介の設計事務所が全てを保証する内容が書かれていますが、介護1級・2級・3級など介護施設によって、主治医の常駐や看護師何人とか規定があり、介護施設を建立し更に運営する矢面に立つと言う事は、その方々の給与などの人的保証もあり、身障者の保証も含めAさんが責任を負うことになるんですよ。到底無理ですよ。」
「解約金が600万円でしたよね。もし、大東建託で完全な補償を受けて資産運用を考えて頂けるのなら、その解約金はうちが更に値引きという形で弁済します。いかがでしょう?」

Aさんは一日考えさせてと言い、私は翌日に控えた。

翌日お伺いすると、予想通り、「大東建託でやることにするよ、任せる」
と快い返事を頂けた。
結局、6棟48戸の大型注文となり、私は完全に流れに乗った。

後日談だがAさんから聞いたのだが、「あの設計事務所倒産してたよ、やらなくて良かったよ、本当にありがとう」と感謝の言葉と共に、自分が間違ってなかった、役に立てたという思いで凄く嬉しかった。
そのAさんとも妻を含めた家族ぐるみの付き合いを今でもしている。
年も同じことから、友人のような存在にもなった。

その後、そのAさんには、残りの3反の土地でもアパートを建ててもらい、他に良い土地が出たら真っ先に紹介して「土地を購入して建てるランドセット」で現在まで28棟140戸くらい建てて頂き、Aさんの年収も7500万円となり、50歳の時にサンヨーがパナソニックに買収されるのを機に退職してから、今では、のんびり地区の活動などしながら暮らして頂いている。一人の顧客様の人生を豊かに出来た瞬間だ。

その後支店長が変わり、次の支店長はかなりやり手で定年間際。
私は来て早々から可愛がられ、その支店長の時に年間12筆達成、3年間で30筆達成し、あらゆる賞を総取りした。
当時の三鍋社長にも名前と顔を覚えて頂けれるほど本社にも招かれた。
ここが、人生の山場だった。
47歳。年収4000万円到達から絶好調の3年間で50歳になっていた。

その後、支店長の延長が途切れ退職に至ると、また再びパワハラ支店長が戻ってきた。
パワハラが更に進化し、いきなり私にも噛みついてきた。
「お前はスーパースター気取りか!馬鹿じゃないか?」
「報告は毎日しろ!」
毎朝自分をターゲットに朝礼後に1時間の理不尽な大声の説教。
毎日毎日、馬鹿に馬鹿と言われ、私も堪忍袋の緒が切れそうで、殴って辞めてやろうかと思った。
私の次はKくんがターゲットで、次はSくん。
半年が過ぎると、支店長のパワハラが更に酷くなったが、悪事千里を走るで本社に知れ渡り、その支店長は降格になり東北に飛ばされ、同調した課長も降格で他店に飛ばされた。

その頃から世間で「パワハラ」「セクハラ」が叫ばれ始めたからだ。

世間体を気にする執行部役員たち。
本社の幹部も皆「パワハラ常習者」なのだが、そのころから”パワハラ禁止”が前面に出るようになってきた。
不祥事や犯罪を犯した者や自殺者などもかなりいる。
どの大手企業も体裁が第一。
もみ消しにはあらゆる手を尽くす。

そんな会社だが、私は顧客第一を貫き通し、人生を変える収入を得て家も購入でき5年で返済し終わっているのも事実。
サラリーマンでも稼げたのだ。

私は、入社当時の課長の「課長研修は泣くほど辛い」の言葉から、また課長に上がっても給与が飛躍的に上がるわけでもなく、責任と労働時間だけが増えることから、歴代の支店長に「課長昇格は許してください、担当で頑張りますから」と告げ、ずっと今に至るまで役職に上がってない。
大東建託の15年選手では本当に珍しい部類だ。

そんな私もついに60歳を迎え、現在定年延長・再雇用という立場だ。
もう、ここには未練がない。
次のステップに立ち上がる準備を今している。

(完)

https://amzn.to/3IdrX24



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?