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幸せと不幸せの資産的定義

自分には各世代でそれぞれの幸福感があった。

10代は、とにかく家が裕福ではなかったので、自分の小遣いなどは新聞配達で稼ぎ、高校・大学時代の一人暮らしも全て喫茶店や引越しのバイトでやりくりした。親から小遣いを貰った記憶は無い。例え2~3万円でも大きな喜びと使い道が膨らんだ時期である。

20代前半は、体力には自信があったので出版会社のアルバイトと引き続き引越し屋を掛け持ちしていたが、性格が親分肌だったので友人や後輩に金も無いのにおごって、同時に借金も増え続け、25歳時には700万円ほどの債務整理をした。学が無ければ「ただの能書きこき」だと思い、大学は法学部で法律も学んだので債務整理も抵抗なく弁護士に依頼できた。

22歳から出版関係のデザイン編集中心の会社で働き32歳まで働いたが、同時に25歳で結婚を意識した彼女が出来たので早期借金返済のために夜10時から朝の8時まで更にコンビニで働き睡眠時間も含めて自分の時間は4時間という日々も1年以上は経験した。

20代前半に稼ぎが20万円程度なのに月50万円ほどは浪費して多額の借金をしてしまったので、20代後半は、借金をただただ返す日々に追われ月に1~2回友人と飲み明すのが唯一の楽しみになり日々虚しさを感じた時期であった。

しかし、29歳で余裕のない自分が悪かったのだが結婚を強く意識していた彼女と悲しい別れをし、30歳を超えて借金が粗々無くなってきたので、しばらくして後輩の紹介で心機一転稼げる営業の世界に足を踏み入れる事にした。

思えば、借金に追われている時期は、貧乏な家に生まれたのが悪い社会が悪い政治が悪いと自分の不遇を人のせいにしていたと思う。同時に夢や希望も薄れていき、そんな自分が嫌で、色々な宗教を経験して宗教哲学が自分の精神を支える術となっていた。

様々な友人の勧めで宗教の門を叩くきっかけは他にもあった。19~20歳ころから母親が霊体質だったせいかも知れないが自分も数々の不思議なものを見てしまった経緯があったのです。

夜コンビニへ行く途中とある駐車場のど真ん中に青白い手が地面から出ていて回転しているのを見た時には「面白いおもちゃがあるもんだな」といったん通り過ぎ気になって戻ってみたら既に消えていたり、車で国道を走っていたら横断歩道の真ん中に白い着物姿の女性を見たり、電車に乗っていたら端の座席にすごく青白い顔した女の子が座っているのを見かけたのですが再び見直した時にはどこにも居なくなっていたり、友人と二人で友人の家に徒歩で向かう途中幅4.5メートルほどの細い道を前方から車くるのが見えたので友人に「わき道に寄って!」と叫んだ直後その車はスピードを上げながら通り過ぎL字型のコーナーで減速しないままものすごい衝撃音とともに人の家に突っ込んだり、昭和天皇崩御の日には、国道246を川崎に向かう途中瀬田の交差点立体交差で信号待ちで停車している時、何故か反対車線の登り車線の一台の車が気になって見ていたら片輪を立体交差で登る手前の縁石に乗り上げて大きく側転しながらジャンプし車の上部から地面にガシャーンと落ちて私の真横まで滑って近づいてきたときには「やばい!巻き添えになるな!」と一瞬覚悟したぐらい怖かったのを覚えています。

また、30過ぎてからも土砂降りの中東京の外れの2車線のくねくねした登り車線を走っていたら歩道に人影がたたずんでいたので近くに来た時よく見たら全身黒ずくめのロングドレス姿で傘もささずに両手で胸のあたりに花束を持って車道をうつむきながら見ている女性を見てしまったり。

とにかく歩いていても「お線香の匂い」や「突然の寒気」を感じる時があって、そちらを見ると大抵廃墟があったりしたので、霊感はあったと思います。この年までに今の嫁も体験しましたが、全ての女性が「今まで金縛りとか霊なんか感じたこともなかったのに、あなたと付き合い始めてから寝てるとわたしの上に座って首を絞めてくるの知らない女性の霊が!」と私に訴えていました。幸い今の嫁は題目で追い払い二度と出なくなったみたいで良かったと思っています。

さきほど「霊感はあったと思います」と言いましたが、そうなんです、嫁が追い払ってくれた以降は全く霊感が無くなったのです。

今では何も感じませんし、今まで見たいな不思議なものは見えなくなりました。ただ、時々ジェット機の速さの2倍くらいで飛んでいて止まって方向を変えて去っていくUFOらしきものを今でも数回見ています。今度はチャンスあったら動画を撮っておこうと思っていますが(笑い)。

さて、30代後半になってくると借金から解放され営業で稼ぎ出したので毎日また飲み歩くようになっていました。同時に「もう結婚なんかいいや」と独身宣言までしていたほどで、100万あろうが200万あろうが全て毎月使い果たして、今思えば「虚しさ」を忘れる為に人生を捨てていた時期だったんだなって思います。

40過ぎて今の10歳下の嫁と出会い人生初めて「幸せになる為に自分以外の人の為に頑張る喜び」を知り、「自宅購入(完済)」「2台のマイカー」「海外旅行」「親の為に墓購入」「愛犬」など描いた二人の夢を成し遂げてきました。

しかし、新しい一部上場企業に入社し成績を挙げていくうえで、直面した困難も多々あります。

今とは違い、10年余前は「パワハラ」「時間外労働」が常習であり、100人入社して10年後には一人二人しか残らない、へたしたら99%3年以内に退社するような会社だったので、歩合の高さには魅力があったのですが精神的にはかなりのものでした。

あと今までは時代背景もあり中小企業だったので税金にも無頓着だったのですが、結婚を機に一部上場企業で稼ぐことになると、控除額の多さにビックリし更に2千万円以上稼いだ時などは所得税で半分近く無くなった上に翌年の住民税も月に20万円以上、同時に厚生年金や社会保険で約30万円引かれて実質手元に残るのは50~60万円(月平均に直すと)しかなく、数年続けて行くうちにサラリーマンの虚しさも感じてしまいました。ましてやそれらの給料はあくまでも歩合が発生した場合で、歩合が無い月は数万円しか振り込まれない月もあるんですよ。まあ、10年間のトータルでは3億円は稼いでいたと思いますが、「お金を増やす」ことを考えていなかったので多少の後悔はしていますが、他の人よりは色々な経験が出来た人生だったので「人生経験を買った」と思って納得しています。

「幸せと不幸せの資産的定義」と題しましたが、「お金は使わないと経験とならない」「資産的余裕がないと精神的余裕が生まれない」って事で、年代や自分の置かれた環境や自分の夢や希望によってその定義の結論は変化し、人それぞれに色々な人生が待っていて、「苦難を乗り越える力」も必要だし「どんな時でも笑顔でいる事」も必要だし、決してお金があれば幸せって事にもならないのでして、今、50代後半になって思うのは月30万円ほど入って来る人生を確保できれば死ぬまで幸せでいる自信はあります。

年を取ると「欲」が無くなってくるんですよね。

でもまだまだ夢は捨てていないので「できれば海外旅行に毎年行くことが出来る人生」を目指して頑張ります!

最後まで読んでいただきありがとうございました。


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