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読書レポート『起業の天才!-8兆円企業リクルートをつくった男-』


 

全体所感(100%個人的な見解)


昭和・平成・令和と日本の激動時代の空気感をコンパイルしたドキュメンタリー映画を観る感覚に近い一冊(第一部~三部まで分かれている)

膨大な史実データをもとに、丁寧なその時々の江副氏の感情をはじめ、関係人物の動きや心情を描いており小説タッチのような味わいもあった。

リクルートという巨大企業を創ったストーリーの奥には、一貫して「圧倒的な当事者意識」「社員皆経営者主義」のテーマがある。

栄枯盛衰の人生を送った内容は、0から1を作ること、スピード、情熱、マネジメントの本質、ビジネスの着眼点など日々仕事と向き合い我々がヒントを得られる部分も多いと感じた。スタートアップのベース、GAFAMの源流としてもあまりにも時代を先取った。ただ、好景気に生かされ殺されてしまった(最後は検察や司法、国民のフラストレーションなど)壮大な人生の記録。
ビジネス的な発想、構造のとらえ方、社会のインサイト(情報の非対称性)の気づき、今でいうところのPMFを実行する動き方などは、第1部をメインに読めば分かる。

登場人物の解説が丁寧。激動の時代が章ごとに分かれている。


第2部以降は、リクルート事件の物語。リアルに描かれているハードボイルド系小説のよう。

昭和後期から平成にかけて様々な規制緩和や国有化された組織のディスラプションの中で江副氏がスキーリゾート、株の投資、土地媒体事業など事業を広げすぎたが故に足元をすくわれる様、一人の人間の変容(成功後の慢心、不安)がメイン。検察の実態(99%の有罪率、圧倒的な権力、無法地帯の拘置所、非人道的な尋問や証言の取り方)もドラマ・映画の題材にしても面白いコンテンツだと感じた。

また、時代の法整備が整っておらず、1980年代半ばはインサイダー取引に関する規制もなく、明確な線引きがなかった。既得権益を手に入れてしまった江副氏がダークサイドに墜ちていく様も運が悪かった。また、当時は未公開部の譲渡も証券界の常識だった。最終的には贈賄賂が違法か合法かといった論理ではなく、リクルートの成功や起業家の江副氏に対する羨み、妬み、メディアの国民に対するアジテーション、社会全体の空気がトリガーとなった点は運命と感じた。

A面とB面がある人物。
A面:鬼才の起業家
B面:趣味が高じて没落(株・土地など)


特にB面の足元をすくわれるきっかけとなった。加えて、情報媒体のみを扱っていれば良かったが、プラットフォーマーになろうとしたことで様々な人物と関わる中でリスクが生まれた。そういった意味でとても人間味はあるが、何か一つパズルのピースが変わっていれば日本経済、GDPの変化、日本発のユニコーン、GAFA系の企業が誕生していた可能性もあり、今とは全くちがった可能性も感じ妄想を膨らませる内容。


巻末の年表(上段:江副氏・リクルート関係 下段:世の中の動き)


※もし、リクルート事件でNTTを真藤氏(初代社長)が逮捕・失脚していなかったら、日本の通信市場にGAFAのような競争市場が早くに生まれiモードに代表されるインパクトのある事業が日本から世界へ発信されていたかもしれないエピローグにあった、江副氏の顕彰碑(盛岡/安比)、いつか見に行きたいと素直に思えた。

学んだこと

●ヒアアンドナウ


「過去のことを聞かれるのは弱い。夢や理想を追うことより未来を見つめる。働くことに生きがい、喜びを感じる」(自伝「かもめ」から)
幼少期の複雑な家庭環境の中で経験した飢餓や貧しさがハングリー精神の源となっていた。
アダム・スミス『国富論』
「個々人が自己の利益のために働けば、資本は富の生産と分配のために有効に働く。

各々が自らの利益を追求していればあたかも「神の見えざる手」に導かれるように、国全体として最高の利益が達成される。自由競争のもとでは需要と供給の関係で価格は自ずと決まる」

江副氏本人の中でこの考え方が貧しさとハングリー精神に火をつけ
「今ここ」に存在意義を求め資本主義の根本的な原理として落とし込まれた。

江副氏が東京大学に入学した1955年当時の日本は全体的に社会主義のイデオロギーが蔓延していた。建前は資本主義だが、実質はマルクス(ドイツの哲学者・経済学者/「資本論」が有名)主義をベースとした均質な暮らしと統制経済の国。リクルートの成長のベースとなった規制緩和は1980年代に入り、”紙”から”コンピューターネットワーク”へ飛躍していく土台となった。この時代に国営の組織が次々と民営化に向けて分散し始めた(例:NTT、JR)

●ゼロ・トゥ・ワン(ビジネスモデル)

「ビジネスに同じ瞬間は二度とない。もちろん、新しい何かを作るより、在るものをコピーするほうが簡単だ。おなじみのやり方を繰り返せば、見慣れたものが増える、つまり1がnになる。だけど、僕たちが新しい何かを生み出すたびに、ゼロは1になる。行政にも民間企業にも、途方もなく大きな官僚制度の壁が存在する中で、新たな道を模索するなんて奇跡を願うようなものだと思われてもおかしくない。そう考えると気が滅入りそうだけど、これだけは言える。ほかの生き物と違って人類には奇跡を起こす力がある。僕らはそれを”テクノロジー”と呼ぶ」(著書『ゼロ・トゥ・ワン』より)


ここでの”テクノロジー”はITの技術ではなく、
「ものごとへの新しい取り組み方」「より良い手法」を指している。

1962年、「リクルートブック」が誕生(当時の媒体名は「企業への招待」)。
規制のメディア、大学新聞内に広告を出す企業の求人案内を掲載する内容から、自前の媒体を用意し求人広告に特化した内容に変更。しかも、売るのではなく、無料で配るというスタイル。求人広告を出した企業からの広告収入だけで回す、というこの当時なかった前代未聞のビジネスモデル。
今では当たり前のB2C向けメディア展開の定石がこの時を境に築かれた。言わば紙のGoogle。
情報がほしいユーザーと情報を届けたい企業を「広告モデル」によってダイレクトにつなげた。


※Google創業者、セルゲイ・ブリン、ラリー・ペイジはマス広告を「スプレー&プレイ」と皮肉った。自分たちのネット広告は確実に蚊を落とす(=その商品やサービスに関心のある人に確実に届くため)広告料も広告が見られた時にしか発生しない。
媒体経由の広告収益が伸びた理由に”岩戸景気”(空前の好景気真っただ中)もあった。
日本経済の成長が「リクルートブック」の成長を促し起業を軌道に乗せた。

●ドラッカーの戦略を地で行く、直接訪問で直談判


ダイヤモンド社が当時、就職情報誌で参入してくると知り、江副氏は直接ダイヤモンドの社長へアポなしで訪問し、刊行を停止する交渉をした。交渉は決裂したが、ドラッカーの戦略にある「総力戦略」に則り、完全勝利を目標に”打倒D作戦”と謳い、仲良し学生集団から自ら月次目標を立て、達成に邁進する戦う集団に変わった。結果、圧勝。

江副氏自身、自覚していたがカリスマ性はないため、社内報や垂れ幕などを使い、偉人のエッセンスを社内で共有していた。じっくりT会議(Tは取締役)で決まった内容は以下の3つ。

①社会への貢献 
②個人の尊重(松下幸之助の影響)
③商業的合理性の追求

結果、リクルートのDNAの源泉にも通じる
【自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ】が生まれる。

●「君はどうしたいの?」


自分にない才能を見出し、その人を生かすマネジメントの天才だった江副氏。一方でベンチャー企業を率いる起業家が持っているカリスマ性が欠けていた。
強烈なリーダーシップがない分、社員の「モチベーション」に注目した。
『こうしろ』(指示・命令)は言わず、『君はどうしたい?』と問いかける。
社員が自分の意思で答えるまで我慢強く自分のやりたいことを言わず、回答を導く。結果的に自分と考えていることと同じアイデアを思いつくと満面の笑みで「先生!おっしゃる通り。さすが経営者ですねえ!」と叫ぶ。

社員数が500名を超えるまで江副氏が社員にあだ名をつけ社員の名前、年齢、プロフィールを頭に叩き込んでいた。500名を超えると覚えられないため「先生!」と呼んだ。
この考え方は急速に成長するリクルートの中で重要な組織マネジメントの指針「社員皆経営者主義」につながった。※1974年から5年間で500名から1,000名の社員に増加

●独自の企業文化


内発的動機とPSM(プロソーシャル・モチベーション=他者視点のモチベーション)が土台。

「結局、自分がしたいことは何か?」を徹底的に突き詰める。
PSMは他人の視点に立ち他者に貢献することを士気とすることを指す。

そこから垂れ幕文化(初受注をした際に頭の上に垂らすもの)、RING(リクルート・イノベーション・グループ/1982年に開始)が生まれた。小集団のグループごとに新規事業や日常業務を超えたテーマをプレゼンし、全国大会で1位になると賞金200万が授与された。

GIB(ゴール・イン・ボーナス)はゴール設定理論にもとづいて誕生。
営業成績が上位入賞者に海外旅行の権利を与えた。

また、これらの制度を通じて毎年立派なホテルの宴会場を利用しGIB、RINGの表彰式を開催。壇上に上がった表彰者が「その秘訣は何か?」と聞かれ秘策を得意満面で話す共有の環境ができた。

PC制度(拠点別部門別会計)は制度の発足時が13程度の細分化だったが、1,600まで細かく分けられた。京セラ稲盛氏の「アメーバ経営」が独自で生み出したものに対し、江副氏、大沢氏(創業メンバーの一人、産業心理学が専門)は心理学(ホーソン効果)を裏付けとして制度を作った。

●情報の非対称性と長嶋茂雄流マインドセット


買い手と売り手の間にある「情報の非対称性」がビジネスの需要を生む。
事業が拡大しこれまで住んでいた逗子から都内への引っ越しを考えた江副氏が住宅物件を見た際に、当時適切に物件の情報が整備されておらず買い手側の負担、心労などが大きい時代だった。
(不動産事業=雑誌『住宅情報』/現在のSUUMO誕生のきっかけ)

街の不動産、新聞をすっとばし、デベロッパーと買い手をダイレクトにつなげるアイデアが生まれた。新しく不動産専門の雑誌発刊に向けた企画を考えた際、社内からは江副氏に反対意見が多かった。しかし、儲かる未来しか見えてない江副氏にネガティブなとまどいは一切ない。東氏(江副氏が没前まで親交があった知人)曰く、江副氏のビジョナリーについてこう述べた。

「長嶋はホームランを打った瞬間に最高に気持ちよくなる。でもホームまで回ってベンチに戻った頃には、もうその快感が消えていてホームランを打ったバットなんてどうでもいい。江副さんも新しい事業を発想したり、土地や株を買ったりして思い通りにいった瞬間が気持ちいい。長嶋は打席に入るときに三振したらどうしよう、とは微塵も考えない。江副さんも一緒で失敗したらどうしようとか、いっさい考えない。ふたりはその瞬間の快感のためだけに生きている」
“やってみなければ、分からないじゃないか”が最終的な事業の発信点。

【Keyword】

①ハングリー精神(家庭環境がバックボーン)


建前と本音の日本社会の空気に感じた違和感自身のプレゼンスを体現する軸の形成・経営者が環境を鋭く見通して新しい需要・新しい市場を「創り出した」こと。
⇒自分より優秀な人材に仕事を任せる(”企業への招待”を決めたのも江副氏ではなく森村氏)

②ちょっとしたアイデアが光る



創刊号の巻末に学生が企業に説明会、面接の期日を問い合わせるためのハガキを差し込んだ⇒学生がハガキを書き、広告を掲載した企業の元に大量に届く⇒反響結果としてリーチできる。結果、無料掲載の企業広告もすべて有料化でき、売上高はいっきに4倍。

③時代の潮流を味方にしたこと


トヨタ、ホンダ、ソニーなど、戦後の高度経済成長期を牽引した企業の採用需要を取り込めた。特に超大手のトヨタの牙城を崩すため名古屋拠点を作り集中と選択で動いたところも功を奏している。

④「日本株式会社の人事部」=究極のインサイダー情報のHUB
 (データ・イズ・マネー)


どの企業がどんな人材を欲しがっているか、それは極めて重要な経営情報。採用を増やすのはその分野の仕事がうまくいっているからであり、採用を手控えるのはうまくいってない証拠。需要と供給の1丁目1番地として交差する場所がリクルートブックだった。

⑤多様性のある人材が忖度なくフラットに実力を発揮できる環境


この当時の日本では珍しく、学歴、性別に問われない完全実力主義の風土を作った。後の3代目社長となる河野栄子氏も入社し、男性同様の土俵で仕事ができる環境で実力を上げ3年目で課長に昇格。

⑥不平不満ばかりの社員を「評論家」から「当事者」に変えた。

『ハーズバーグの動機付け要因』がベースにあった。内容は、職務満足を感じたり、仕事の上で幸せ感を体験する要因と職務不満足をもたらす要因とは別の要因があるというもの。多様性、一貫性などの次元で社員のモチベーションを高めることができることを実現した。
※当時の日本社会のデフォルトにあった滅私奉公と正反対

⑦自分たちが選ばれた集団と自覚すること


「ホーソン効果」(心理学)に裏付けがされているように、選ばれた感覚、新しい試みに参加し、皆から注目されていることを知っていることが心理効果を働かせる

⑧普通の人間からみたら狂気でも本人は「必然」


スティーブ・ジョブス、イーロン・マスク然り、江副氏も常にうまくいく未来を見据えて取り組む姿勢が起業家としてのバイタリティや自信を生み出し重要な要素となっている。

2005年にジョブスがスタンフォード大学の卒業生に贈ったスピーチ
(かなり有名な動画ですね、Connecting dots)

⑨新たな収益の柱の作りかた


「住宅情報」は当時200円の売値をすべて書店に還元し、販売チャネルの面を抑えた。JJレディ(同雑誌に特化した女性PR人員)が積極的に街の販売チャネルを席捲していく営業活動に動いた。そのうち駅のキヨスクなどにも販売網を増やす。スピードと圧倒的な熱量で女性スタッフをはじめ営業メンバーが縦横無尽に活動した。また、販売網を抑えることで販売実績が週次でわかることから企画の検討、ブラッシュアップなど高速PDCAを回し紙面の質を上げていった。”情報審査室”を立ち上げ、クレームのあった物件情報、虚偽内容の取引先を排除するなど徹底した情報の底上げも図った。

⑩AT&Tの解体(1984年)


電話を発明したベルが創業した電信電話会社。様々な電信事業を行ってきた同社が8つの会社に分離したことで、アメリカの通信事業は新規参入企業による競争が始まる。解体後、通信コストが劇的に下がり、通信インフラを高速化するブロードバンド化が加速した。その後、若く才能がある者が東海岸を離れ、シリコンバレーに向かってGAFA誕生の素地となった。この後のリクルートと江副氏の運命を変えるきっかけとなった。

⑪稲盛氏の決断


1984年、第二電電(現:KDDI)の設立に際し、会長の稲盛氏が江副氏をボードメンバーには”まだ早い”という理由で参画させなかった。江副氏に漂う危うさ(野心が強く、その野心を満足させるためには手段を厭わない)を感じたため。以下、『資治通艦』(中国の歴史書)に4つのタイプがある。

  • -聖人(徳も才もある者)

  • -君子(徳が才に勝る者)

  • -小人(才が特に勝る者)稲毛氏は江副氏を小人と見た

  • -愚人(徳も才もない者)

⑫先見の明


1985年 日本経済新聞社と共同出資で「株式会社マップデータ」を設立。2005年に立ち上げられたGoogle Mapを20年前に同じ構想で実施しようとした。

当時、日経新聞が「紙から経済に関する世界的な情報機関」へ、NTTが「もしもしの会社からデータ通信の会社」へ、リクルートが「情報誌の会社から情報サービスの会社」へ転換を図った時期1988年 リクルートは、ファイテル(国際オンライン決済システム/Amazonのジェフベゾスが新卒入社)に資本参入。1998年にペイパルが立ち上がる10年前から江副氏は将来性を感じていた。

⑬現実歪曲フィールド(=Different Heartbeat)

どんな突拍子もないアイデアでも、周りに実現可能と思わせる能力。江副氏はこの力が強く採用でも優秀な学生に膨大な採用費(東大近くの寿司屋を貸し切り口説き落とす、待遇面など)に加えて、心を動かす熱弁をふるった。

「君たちは生まれてから22年間、先人の知恵、歴史を学んだ。でも23歳からは歴史を作る側になるのです。この会社なら、それができます。一緒に日本を、いや世界を変えましょう」
※スティーブ・ジョブスがペプシの当時事業部長ジョン・スカリーを引き抜いたときの殺し文句
「あんたはこのまま一生砂糖水を売り続けたいのか、それとも俺と一緒に世界を変えたいのか」

⑭プラットフォーマーの戒め


情報産業で成功を収めたリクルートはいつしかプラットフォーマーになっていた。チャレンジャーではなく、既得権益を握ってしまった。消費者や市場がどう動いているかのデータをリアルタイムで手に入れ、他の者が知りえない情報に好きなだけアクセスできる「究極のインサイダー」(神の視座)
結果的にバッシングの的となる(90年代のマイクロソフト然り)

※Googleが「Don’t be evil」を社訓にし戒めた
(絶対的な強者は悪意を持てば世界を支配できる)

⑮いかがわしくなれ


江副氏退任後、事業を預かったダイエー・中内氏が同社の社員へ鼓舞した言葉。
恥知らずの集団、代表の江副に入社数年目の女子社員が「それは違う」と平気で反論できる文化、上司や世間の目を気にせず、臆面もなく全力でバットを振る、するとそのうちホームランが出る。そうした社内文化を残し、忖度やレガシー体質に染まらないようリクルート特有の空気を残したことで今の同社のアイデンティティが継承されている。

⑯「バッド・ニュースほど早く」

正確な情報が上がってこないと正しい戦略が立てられない。
「バッド・ニュースほど早く」は日本リクルートセンターの伝統になった。
心理的安全性を担保すること、良い戦略立案の背景に原因や課題の温床を見つける風通しの良い環境をつくることが大切。
※他のマネジメント関連のTips、優良企業の共通文化としてよく取り上げられている内容



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