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その人が美しい理由、傾聴

タイトル「その人が美しい理由、傾聴」

先日のインスタライブでお話しした、このテーマ。

15分くらいの短い動画ですので
もしよろしければご覧いただけるとうれしいです🌸
https://www.instagram.com/maboroshi_color


そのインスタライブでは
久しぶりに会った友人が何だかきれいになっていて、その理由を自分なりに考え、話しています。

その理由は、詰まるところ「傾聴」によるものだと
理解をしたのですが、

こちらのnoteには傾聴についてもう少し深めて
書いてみようと思います。

私は以前ある人から、傾聴とは
「動作ではなく、存在そのものから滲み出る雰囲気だ」と教えてもらったことがあります。

あいづちを打つ、
笑顔で話を聞く、

それらはあくまで動作であり、
傾聴の本質ではない、と。

その時に、こうも教えてもらいました。

例え傾聴者が口を挟まず、
熱心に相手の話を聴こうとしたとしても
傾聴者の中に、物事に対するこだわり、
つまり価値観(価値基準)が多く、
それが強ければ強いほど、
その価値観を通して相手の話を聞いてしまい、
ありのままに受け取ることが難しくなる、と。

私自身、今まで、
自分の過去の記憶、体験から作られた
価値観(価値基準)を通して
相手の話を聞いてしまうことが数多くありました。
そして今現在もあります。

「こういうタイプの人は、
恐らくこういう考え方をするだろう」

「このような反応をすれば、
この人は喜ぶだろう」など

自分の価値観というフィルターを通さずに
「ありのまま」に相手の話を聴くことは、
簡単なことではないと自覚しています。

しかし、そもそも当たり前のことですが、
人間はただ生きているだけで、
記憶(体験)が増えていきます。

そしてその膨大な記憶のたった一部から
価値観(価値基準)というものが
自分が意識せずとも勝手に作られます。

だから、価値観は人間であれば
持っていて当たり前で、
価値観があること自体は問題ではなく
それが「多すぎる、強すぎる」ことが、
時に「聴く」ことを難しくしてしまうのです。

そして「聴こえにくい」だけではなく
強すぎる価値観(価値基準)を通して、
相手の話を聴くということは
そこには良い悪いの「ジャッジ」が生まれるということ。

例えそれが、常識的に「正しい」とされているジャッジでさえ相手には何かしらの「判断」が下ることになります。

常識的に見ることと、ありのままに見ることは
全く違うことなのだと、私は最近知りました。

そして、「ただありのままに、相手を受け入れること」が本当の「肯定」であることも。

過剰に共感されることも、否定されることもなく
ただ静かに話を聴いてくれる人を目の前にする時
人は安心して本音を話すことができるのではないでしょうか。

人が、自分にとって本当のことを話せる時、
初めて、話すことが癒されることと直結するのだと、私は体感しています。

そして、その「傾聴の力」は
最も大切な存在である「自分自身の声」を聴くことにも使われるべきであると。


自分が無意識的に作った価値観が邪魔をして
「自分はどうありたいのか、どう生きたいのか」という自分の本当の声を聴くことを難しく感じている人は少なくないのかもしれません。

実際私はそうでした。


「自分は何をやるにも時間がかかる」
「自分は何事もやり遂げられない」
「自分はすぐに人の反応を気にしてしまう」

過去の記憶の一部から作られた思い込みで
「自分とは、こういう人間だ」と決めてしまい、
そしてその思い込みが、
その通りの自分を作っていってしまう。

ただ、その思い込みが
自分の人生に良い影響を及ぼすものであるならば
大切にすればいいのだと思います。

でももしそうではないのであれば、
手放し、自分の本当の声を聴いてみることもできる。

そのためにもまず初めの第一歩は
「自分がどういう価値観を持っているのか」に気づくことが良いのではないかと考えています。


次の記事では引き続き、
価値観との向き合い方について
書いていけたらと思っています。

読んでいただきありがとうございました。


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