人間関係で崩壊するコミュニティの共通点
今いるコミュニティが安全なのかと心配に思うことはないだろうか。
もしくは自分が管理しているコミュニティで、亡霊メンバーが多いと困ってはいないだろうか。
様々な"集団"で活動してきた私が、趣味を中心に崩壊するコミュニティの共通点を書いていく。
コレを書く人間の特徴
私は渡り鳥のような人間だが、グループを管理することもある。
趣味ではゲームのクラン。これは所謂"同じ思想を持った小隊"のようなもので、一つの目標に向かって切磋琢磨する意図で作られたゲームのシステムだ。
そこで私は度々サブリーダーとして活動していた。
とあるクランではリーダーがメンバーの管理をしていなかったので、メンバーの管理は私が一任されていた。
私の"人を管理する基礎"はここから始まったと思う。
クランのメンバーは若年層が多かったこともあり、後ほど『崩壊しやすいコミュニティの特徴』でも書くが「男女関係」や「内輪ネタ」でメンバー数が縮小していき、崩壊してしまったクランもある。
当時の私は、崩壊した責任は自由なリーダーのせいであり、自分に責任はないと思っていた。
人の管理は仕事でも経験がある。
仕事の場合は30人程度のチームで、リーダーとして意思決定をしていた。
これがなかなかに大変で、趣味と違いYESマンが多くなる印象だ。
中には仕事が好きで働く人もいるが、金の為に働く人が多数を占めることが理由だろう。
当時は私だけが前のめりに仕事をしていたせいで、纏まりのない組織が生まれた。
しかしその中で、一人だけ積極的に発言が出来る人間が現れ、私の管理者としての考え方が変わった。
ここで私は従業員の責任ではなく、私の"管理力"が不足していると気付くことになる。
リーダーを始めた当初は気分が良かった。
しかし長く続けると、面倒くさいことが多い点に気づかされる。
そこから、せめて趣味は自分の自由にしたいと思い始め、以降は趣味で管理に関わることがなくなった。
現在コミュニティとの向き合い方といえば、羽休めや情報収集のために入る程度で、深入りはしない。
それでもコミュニティから抜けることはあり、その中でも逃げるように抜けたグループがある。
それが崩壊が約束された集まりだ。
管理者の中には崩壊時、関わった人間の悪口やメンバーの秘密をバラすなど、周りを巻き込んで自爆する者もいる。危険を感じたら早々に逃げるのが善だ。
今はDiscord等であればガイドラインを作りやすくなっており、よほど管理が雑でなければ簡単には崩壊しなくなったが……。それでもたった一人が原因で崩れる場面を目撃する。
崩壊しやすいコミュニティの特徴
踏み込みすぎると一瞬で崩れる。それがコミュニティだ。
質の悪いコミュニティはあまりにもメンバー同士の距離感が近すぎる。
もちろん仲良くなるために集まっているわけで、心を許せる仲間を作る分には問題ない。
だがコミュニティの話になると別で、仲良くなり過ぎると次第に崩壊の種が育っていく。
越えてはいけないラインを超えない集まりが、優れたコミュニティだと言える。
内輪で楽しむ
崩壊の"種"に水を与える現象の一つ。一番に気を付けなくてはいけない。
メンバーが多くなるにつれ自分と仲のいい数人だけで頻繁に交流するようになっていく。
これはごく自然なことで、理由は単純に安心できるからである。
内輪ネタが生まれるのも「これを言っておけば間違いがない」と安全で楽しい会話ができるからだ。
こうなってしまえば一瞬で新規は離れていく。
それはそうだろう。謎の一般人がそのグループでは有名人でも、新規からすればただの人。見ず知らずの他人が言った名言を面白ネタとして話されても白けるだけだ。
楽しくないなら、仲間が出来てしまえば用済みだろう?
もう一つ、内輪が濃くなったコミュニティで起きる現象が、管理者を含む内輪の少ないメンバーだけで開催されるイベントだ。
その中で目立ったり、優勝したりする人物に称号を付けている寒いグループがある。
謎のあだ名が飛び交おうものなら凍死してしまう。
よく分からないタイミングで始まるイベントの称号など、チリほどの価値もない。
称号は多くの人が参加して初めて価値が生まれるのだ。
男女関係
色恋は人間を変える。単純だな。
特に男性が多く女性が少ないグループが発生しやすい印象だ。
男性が露骨に女性メンバーのご機嫌をとり、周りも空気を読みそれに合わせ、俗に言う『姫プ』と呼ばれる現象が起き始める。
普通に遊びたいメンバーは知らない顔をするかノリを合わせるのだが、特定の人物を中心にするのは冷める。人は誰しもが主人公になりたい。
呆れた一部メンバーは面倒になり小さなグループを作り始め、バラバラになり崩壊していく。
管理者が自我を出す
自我を出す管理者は独裁者になる。
なにも管理者は楽しむなという話ではない。
どれだけいいメンバーが集まろうとも、自分を軸にして管理していると、メンバーの心はコミュニティから離れていく。
管理者(リーダー)を中心にしたコミュニティの集まりを考えてみよう。
「俺の考えで素晴らしいコミュニティにする」と暑苦しい人が嫌いな人もいれば「みんなの困りごとは私に任せて」と寄り添う感じが嫌いな人もいる。
全員に愛されるリーダーであり続けることは不可能だ。
リーダーについてまわる"金魚の糞"は一定数いるが、それもリーダーに魅力や価値を感じなくなれば皆離れていく。
そんな状況に陥らないために、自分が楽しむ範囲と管理の範囲を切り分けるようにするべきである。
ルールが多い集まり
過度な『ルールの壁』は空気が流れず息苦しい。
あれもダメ、これもダメだと規制を増やすほどメンバーは無難な言葉を探し、選ばれたつまらない発言ばかりになる。
たとえ話をしよう。少し考えてみてほしい。
なんでも話せる友人とふざけた話をしているときは、噴水の様に言葉が出て来るだろう。これがもし厳格な上司や先生が隣にいる状態で、友達とふざけた話が出来るのか。
ルールが多いグループはその息苦しい空間を作っているという自覚が必要だ。
あなたは何故グループを作ったのか。もしくは参加しようとしたのかを考えてほしい。
趣味を楽しむためだろう?
であれば、グループを守るため"だけ"にルールは作られるべきであり、社会的なルールや道徳を全て守るような、そんな堅苦しい集まりを作りたいのであれば、趣味ではなく会社でも作ればいい。
必要なのは「喧嘩はしない。メンバーが不快と思うことはしない。守れないなら去ってもらう。」その程度で十分だ。
崩壊しないコミュニティの特徴
ここまで崩壊しやすいコミュニティの一例を書いてきた。
一度崩れてしまえば、復旧するにはメンバーを総入れ替えする他ない。
腐ったミカンは洗えども腐ったミカンだ。
では、崩壊しないコミュニティとはなにか。
私が見て「安定しているな」と思うグループの特徴を書いていこう。
新規向けのイベントを増やす
イベントの開催は鍋をかき混ぜる行為に近い。
前述したコミュニティが崩壊しやすい特徴として「内輪で楽しむ」ことの危うさを書いた。しかし自然に仲良くなれば内輪ネタは生まれる。
管理者はこの現象を食い止めたいが、かといって盛り上がっている雰囲気を壊すようなことはしたくない。では何をすればいいのか。
新規にコミュニティが楽しいと思わせるしかない。
このタイミングで「イベントを開催すればいい」と答えられる管理者は優秀だ。
間違っても自分が楽しむ為にイベントを開催する"愚者"になってはいけない。
ここで重要なのがイベントを開催する上で、古参と新規が交流できることがポイントになる。
新規が全く参加しないイベントは二度と開催しなくていい。
新規が上手くイベントに増えたら、次は古参も+αで満足できる要素を加えていくと、更にイベントは盛り上がっていくだろう。
ゲームであれば、新規に古参の上手さを披露できる場でもあり、新規が古参を尊敬できる場にもなる。Win-Winな状態を作れるわけだ。
冷酷な管理者
統括には冷たい『管理者の仮面』が必要だ。
付き合いが長くなると情が出るもので、多少ルールを破ったとしても許してしまうのが人の性だ。
友達しかいないのであればそれで問題ない。
だがメンバーを増やしたいのであればそんな甘いことをやってはいけない。
「友達だから」だとか「貢献してくれたから」など情で許されてしまったらどうだろう。
例えば、対戦ゲームを作った人の友人なら、対戦でチートを使ってもいいのか?
バカなことを言っちゃいけない。
ルールはコミュニティを守る為に必要なわけで、それを管理者が許容すれば、管理者が自らコミュニティに危害を加えてると言っても過言ではない。
ルールを破った人物がどれほどコミュニティに貢献したとしても、身近な友人だとしても、命の恩人だとしても……。
ルールを破ったら即刻コミュニティから退場してもらえ。
人は変わっていく。だから軸となるルールが必要なのだ。
参加しない管理者
人は皆違い、それぞれの正しさがある。故に傍観者になれ。
管理者に必要なもう一つの考え方だ。
誰しもが譲れない正義やプライドを持っていて、相容れなければ喧嘩が発生する。
メンバーが増えるにつれて性格や思想、正義などが全く真逆の人間も入ってくるようになる。
衝突時に注意すべきことは、ルールを守らない者だけ制裁することで、間違っても管理者がどちらかの正義や思想に肩入れしてはいけない。
なぜなら『管理者の思想と正義』という暗黙のルールが生まれてしまうからだ。
その時点でコミュニティの成長は止まる。
コミュニティに道徳は必要ない。必要なのは秩序だけだ。
管理リスクを分散する
聖徳太子でさえ体は一つだ。
いくら有能な管理者だとしても、人数が多くなればすべてに対処することなど不可能だろう。
意思決定をする上でも、自分の正解がコミュニティとしての正解に直結しないことだってある。
そんな時に脳となり、手となる人間を側に何人か置くことで、管理コストを抑えて自身が不在時の崩壊リスクを軽減できる。
ただ一つ、注意点としては、あまり人数を増やさないこと。
今度は管理者を管理しなくてはいけなくなり、意思決定の速度まで遅くなる。
何事もほどほどが一番なのだ。
終わりに
メンバー達が何を求めているか。
管理者が何を目指しているのか。
メンバーや自分も含め、管理を出来る者が"管理者"と呼べる。
管理者が「自分はコミュニティに必要ない」と感じれば、自身を簡単に切り捨てる者もいた。
もしコレを読んだ管理者が、私の意見を参考になると思えたなら、最後にあなたに向けて守ってほしいことを書き残す。
管理に個性や感情はいらない。
情を捨て秩序を守れ。
コミュニティは管理者の持ち物でもなければ、管理者が偉いわけでもない。
無意味な上下関係があれば、面倒になり抜けていくメンバーが出始める。
管理者の思想に賛同できない者を排除すれば、メンバーは「粛清の対象になるかもしれない」と恐怖を感じ去っていく。
そして人が少なくなれば、崩壊しやすいグループの特徴に近づくのだ。
今いるコミュニティに違和感を覚えた時は、私の意見を参考にして、アナタにとって居心地がいい場所を見つける。もしくは作ってくれると嬉しい。
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