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メディアアートと「心」について。わからないなりに考えていること。

おはようございます。

オーストリアに渡航して、10日が経ちました。

明日からやっと(やっと!)自己隔離期間があけて、街に出られます!ベランダから街を眺めながら、「あの通りを歩いてみたいなあ」とか、「あの丘の上に行ってみたいなあ」とか、あえてGoogleマップは使わずに、色々妄想を膨らませてました。

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ただ、去年一年でステイホームに慣れたのか、おうち時間はおうち時間でそれなりに楽しんでいました。

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(大家さんが素敵な絵を飾ってくれてます)

明日からいよいよ実際にアルスエレクトロニカに行かせていただきます。

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(2年前に初めてアルスセンターを訪れた自分。若い。)

さて、その前に、今週は色々と事前に資料を共有していただいて、メディアアートの作品をたくさん観ていました。たくさんといっても、50個ほどにすぎないけれど、それでもこれまでこんなに集中的に作品を見たことがなかったので、結構体力と精神力を使いました。

論文を読むのともちがうし、音楽や映画ともちがって、文字通りエネルギーを要するもの。批評性の高いものや社会問題に切り込んでいる作品も多く、よくも悪くもぐさぐさと刺されながら、映像や音に貫かれながら、夢の中でもその世界観を引きずったりしながら、対峙していました。

その中で考えたこと/ていることを、今日は思考メモ的に。

タイトルにも書いたけれど、『メディア』に関する作品に触れれば触れるほと、「心」というものが気になっています。

以前、noteでも書いたけれど、自分は「ざらざら」したものに心が持っていかれるようで、目に留まる作品はそういった作品が多かったです。

あえて文脈的に語られている言葉に乗せるとすれば、「Humanity」、「Intimacy」、「sympathy」といったあたりでしょうか。

ひとつひとつの言葉が壮大すぎて、列挙するのも暴力的な気がするけれど、ここはあえて大胆に網を投げてみたいと思います。

以前、アドバイザーの方達とお話しさせていただいた時に、「道具それ自体の進化にあまり心を動かされないのはどうしたらいいでしょう」という素朴な疑問をぶつけさせていただきました。

これを質問するのはちょっと勇気がいったけれど、でもずっと思っていたことなので思い切って。

その時、教えていただいたのは「メディアアートは、メディアの進化それ自体だけじゃなくて、それによってどんな新しい人間の体験が可能になるかを模索する表現だ」ということ。

なるほど、と思って、そういった目線で色々と作品をみさせていただいてたのですが、みればみるほど思うようになったのが、「新しい知覚・感覚だけじゃなくて、どんな”心”が可能になっているんだろう」ということ。

道具の発達によって、これまで感じられなかった人間の五感を可能にしたり、もしくは劣ってしまっていた(?)ような感覚を取り戻したり、拡張させたり、そういった事ができるとして、じゃあその先に、どんな『心』が生まれるんだろう、ということ。

動物的な刺激の次元を超えて、人間という存在として、どんな「気持ち」を持つようになるんだろう、と。

そして、その「心」がより集まったものが「コミュニティ」になって、「社会」になってくと思ってます。

例えば、「グランドピアノ」という道具が生まれる前と後では、人間の「心」は違ったんじゃないかと思うんです。

「違った」というのは語弊があるかもしれないけど、人に伝わる「心」のきめ細かさというか、解像度というか、彩りというか。そういったものが、「グランドピアノ」という道具が生まれたことで上がったんじゃないかなと思ってます。

もちろん、グランドピアノが生まれる前の時代の人と話したことはないので、あくまで想像に過ぎないけれど(笑)

でも、道具によって”感覚”が拡張/復活/衰退/進化したというだけじゃなくて、それを通じて人の”心”がどう変わってきたのか/受け継がれてきたのか、それを考えることはとてもおもしろいし、メディアアートを考える上で、忘れてはいけないことのような気がしています。

気がしているのですが、この感覚をどう表現したらいいのか、言葉を探すのにまだまだ時間がかかりそうです。

今はまだ「ざらざら」という自分なりの感覚を頼りに、色んな人とコミュニケーションをとって深めていけたらと思います。

色々な作品の中でも、人のライフヒストリーに触れているものや、世界の調和や不協和音をテーマにしているもの、今の社会問題に向き合ったものや、システムだけじゃなくて人の生死の側面に触れているものに、強く惹かれました。

この感覚を大事にしつつ、揺さぶりつつ、温めていけたらいいなと思います。

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