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まちづくりは、誰かを打ち負かすための「クリエイティビティ」ではなく。

ドイツ語圏の人たちの「クリエイティビティ」が好きだ。

ドイツ語圏、といったのは、オーストリアとドイツに住んだ(住んでいる)経験を思い浮かべて話しているからで、きっと他のヨーロッパ圏の人たちの暮らしも素敵なんだろうと思っているけど、じっくりその町に住んだことはないので、「ヨーロッパの人たち」というのは控えている。

「クリエイティビティ」というと、斬新なアイデアとかイノベーションとかマーケティングとか、なんだか「勝つ」ためのもののように聴こえるけれど、ここで言いたいのはそうじゃない。

こういうもの。

ミュンヘンの人たち。
海がないので、川でサーフィンをしている。
そして、ローカルではそれはちょっと有名スポットなので、ピザと折りたたみ椅子持って、それを見にきている人もいる。

わたしも友達に、「サーフィン見にいこう!」と言われて、訳がわからず連れてこられた(ちなみにわたしの本命は、この川の真裏にある美術館)

少し前、ご縁あって知り合ったミュンヘン在住の日本人のバイオリニストの方と、お茶していた。お茶したあと、なんとなく川に行き着いて川辺で座って話していた。

すると、向こう岸で若者たちが大木をみんなで運んできて、うまいこと川辺の砂に埋め込んで、綱渡りゲームみたいな「木渡りゲーム」をはじめた。

「そんな重たいものよく運んできたねえ」と思いつつ、人が懸命に遊んでいる姿はおもしろいので、ずーっと眺めていた。

そう、わたしが言いたかった「クリエイティビティ」はこういうもの。

追い込まれて歯食いしばって「ほれ見たかあ!!」と最後の一滴を絞り出すように叩きつける「クリエイティビティ」ではなく、息をするように、気づいたら出ちゃってた、というように、五感がふれた瞬間にふっとそれがかたちを持ったようなもの。

以前書いたnoteで、「文化」を「日々の暮らしを豊かにするための創造的な営み」と書いてみたけれど、そういう「文化」をつくりだすクリエイティビティを大切にしたい。

そして、こういうものを掘り起こすような「街」をつくりたい、と思っている。

スマートシティが、盛んだ。
当然といえば当然。これだけ技術が発達して、パンクしそうなほど世界にどんどん人が溢れていて、気候変動など切迫した問題がたくさんあって、それを解決するために「スマート」にならないわけにはいかない。

多くのテック企業が「スマートさ」をアピールし、自治体も「うちだけスマートにならないわけにはいかぬ」と、あれよあれよと「スマートさ」を冠に掲げ、「自分たちの方がいかにスマートか」を競い合っている。

個々のポイントを見ていると、「なるほど、そんな風に便利になるのか」、「たしかに、そうすればこの問題は解決できるのかもしれない」と、納得感がある。

ただ、皆が皆「スマートさ」を掲げて競い合って、競りのように他の街を打ち負かそうとしている様子を見ていると、なんだかちがう気がしてしまう。

まちづくりは、誰かを打ち負かすためのものじゃない。

もちろん、競争的になってしまう原理もわかる。
国からの補助金も限られているし、これだけグローバル化した世界で自分たちのことを少なくとも知って、名前を覚えてもらうだけでも、大変なことだ(なんだか芸能界みたいだ、とも思ったり)。

ただ、その「スマートさ」をアピールする競争を見ていると、同時にそれが「いかに今の街が『スマートじゃないか』」を言い聞かせられている気分にもなる。

街とは人のこと。
つまり、そこに住む人たちが「スマートじゃない」と言われているような気分になってしまうのだ。

そしてそれが、いちばんはじめに載せた川でサーフィンするミュンヘンの人たちを見ていると、引っかかってしまう。

ジェイコブズが路地の大切さを指摘したように、どれだけカオスに見える街角にも、「スマート」に見えない地区にも、絶妙なバランスで組み上げられた「文化」がある。


そして、その「文化」を支えているのは紛れもない、そこに住む人たちの「クリエイティビティ」だ。

スマートシティがいけないと思っているわけではない。
ただ、これからどんどん街をつくろう、発展させていこうとする中で、こういうクリエイティビティを見落とさないように、なんならそれが少し堅い言葉に書き換えられて、文化政策の柱のひとつになるような未来がいいなあ、と思うのである。

たくさんの人が「遊べる」街は、とってもいい街、だと思うから。

なんか、ざらざらしていてほしい。

世界が分断されている。

コロナ渦でオンラインツールが普及したけれど、それでは伝わらないざらざらしたところがどんどん削ぎ落とされて、世界が途切れ途切れになってしまっている、と思う。

ヨーロッパは、コロナの規制がどんどんなくなっていて、どんどんまた「繋ぎ合わせよう」という気持ちが高まっている。

少なくとも、日本とヨーロッパ、できれば世界中で、こういう街の「文化」、「クリエイティビティ」をお互いに紹介しあえるプラットフォームがあればいいと感じている。

「プラットフォーム」というのはただウェブサイトを作るという意味ではなく、その枠組みのもとでさまざまなプログラムが展開される事業だ。

例えば・・・

それぞれの地域の伝統工芸やローカル産業の人たちが出会うマーケット、街について考えたり研究している人たちが作るカンファレンス(コンピューターサイエンスから文化人類学まで)、それぞれの街のアーティストが交換留学的に滞在するアーティストインレジデンス、大学生やアートマネジメントで働きたい人が現場で学べる育成事業、各自治体で文化政策に携わる人たちが実務家同士の悩みやひらめきをシェアしあえるようなスペース、などなど。

そんなものがひとつの名前のもとに存在している。

もしかするとすでにそんなプラットフォームがあるのかもしれないけれど(勉強不足ですみません・・)、もしないなら、つくりたい。

人間が何百年、何千年とかけて発展させてきた史上の大発明。
どれだけ世界が発達しても、なくならないもの。

そんな「街」というものを、人生かけて取り組めたら、とてもおもしろいだろうなあ、なんて思っている。

たくさんの人たちと協力して。


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