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明けたその1月を進もう

まずは、新年明けましておめでとうございます。
そして、12月中に書きたかったのですが、新年明けてしまいましたので、今年からは毎月、月初にエッセイをちゃんと書こうと思います。
もし、書いてなかったら、おい、とコツンと叩きにきてやってください。



そういえば、小学生の時、書き初めの宿題が死ぬほど嫌いでした。今ではあんなもの、一発勝負でだしてしまえばいいと、思えるのですが。

けれど、当時の自分はというと、何か違う、もっと綺麗に書かなきゃ、ここ滲んでるから笑われてしまう、と、自分の美ではない、クラスという箱の判断基準に怯えていました。そして知らぬ間に、学校から配られた半紙は使い終えていました。

その瞬間、顔は青ざめ、机の上で乾かしている10枚どれを見ても、こんなもの出せないと絶望していました。半紙なんぞ、その辺で売っているではないですか。

そうなんです。
そうなんですが、私は書き初めは学校から配られた半紙ではいけないと思っていたし、スーパーで買った半紙なんか見た目が違うくてバレてからかわれると本気で思っていました。

涙を流しながら、どうしようどうしようと狼狽えていると、見兼ねた父親が明日見に行こうと、言ってきました。ここまでの文章に共感を覚えてくれた人がもしもいるのなら、わかると思いますが、未熟な完璧主義にとっての”明日”ほど怖いものはないのです。

明日になったら、もうスーパーの半紙は売り切れているかもしれない。明日になったら、急にスーパーは休みになるかもしれない。明日風邪引いたら?今でこそ思う、そんな馬鹿げた妄想にまた、涙を流しました。

結局、その日行ったのか、明日行ったのかは記憶にないのですが、無事半紙は買えたし、家に帰り半紙を見比べてみると、何も見た目に違いのないものでした。



こうやって、本当にしょうもないことで、涙を流してきたなあと、何故か正月になると思い出します。大人になってから、こういった側面は、「ピュアだね」なんて言葉で表してもらえるようになったけれど、そんなことを、書き初めと闘う君は知っているのだろうか。無論、知らないだろうと思います。

年賀状や、おせち料理、おばあちゃんちのこたつ、お年玉、正月から連想されるそれらほとんどと、徐々に縁がなくなっていきました。かといって、特段お正月に思い入れもないのですが。

なんとなく、ニュースで語られるZ世代はこういった文化を楽しむことがないだとか、そういった往来の日本文化から離れつつある、一人を楽しむみたいな意味合いをつけられていることが多いなと感じます。

しかしながら、これは偶然のようで、必然のようなものだと思っています。
こんなしょうもない集まり、早くなくなればいいのにと、願ったことは何度かあります。けれども、行かない選択肢などなく、けれどいつの間にか強制してくる世代は、寿命を終え、私は正月という概念の中に取り残されたのです。

お年玉をあげる対象はたった一人。ポチ袋を眺めながら、今年は一体どんなキャラクターが流行るのだろうと考えます。


認知症になった祖母は、お正月前に何度も買い物をしようとしていて、それを何度もやんわりと止めて、介護に疲れた祖父はお正月の雰囲気に押されて飲みすぎたり。そんな日を数年繰り返したことを、どこかで、思い出しているだろうか。

いつかのお正月で、「いつもお兄ちゃんばっかりだった」と、母が子どものように寂しそうな表情で、既に認知症になった祖母の顔も見ずに、煙草を吸いながら言い放った光景を今でも鮮明に覚えている。あの時、あの場にいる誰一人として母の気持ちを想像できなかっただろうけど、たった一人、私だけが、その連鎖の被害者として、母を抱きしめて一緒に泣き喚きたいと思った。

そんな”お兄ちゃん”も昨年旅立ちました。

すっかり、人がいなくなってしまった正月を迎えると、なんだか、さあここからだと言わんばかりに、スポットライトに照らされているような気持ちになる。

テレビからはドドンと太鼓の音が聞こえる。
「明けまして…」と言いながら頭を下げる司会者。

さて、1月が開けて、そこに道が在る。


今日も同じように、日が暮れ、また明日が明けるのだ。そこに在る道を歩いていこう。



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