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フリーランスだけど「お仕事がんばれません…」と声に出してみたら

わたしは、人生で二度「仕事の波」で潰れてしまったことがある。

会社を辞める直前の2019年と、まさに今だ。

前者のことは以前のnote「小さな島でホステスを始めたら、なぜか私の夢がひとつ叶っちゃった。」で書いたから、今日は後者のことを書き留めておきたい。

同じように悩む人や、未来の自分への「手紙」として。

「なんで海外でフリーランス?」って聞かれるけど。


フリーランスになったのは、2020年の5月。
気がつけば、3年目に突入していた。

「なんで海外でフリーランスしてるの?」とよく聞かれるんだけど、わたしの場合なりたくてなった訳ではなかった。

自分で稼がないと生きていけない状況”になってしまったから、サバイバル精神で始めた。そして今も、無事に生き延びているだけ(笑)。

フリーランスになる少し前。

2020年の1月末にベトナムに来たわたしは、ハノイの郊外にある日本語学校に勤めていた。でもその当時は、コロナが流行り始めたころ。

ハノイでは、2020年2月から大人数の集まりは禁止され、働き始めて1ヶ月も経たずに休校。そのあとは約2ヶ月間、ロックダウンになった。

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現地の日本語学校。ベトナム人の生徒は明るくて元気で、みんなかわいい(笑)。


窮屈な生活が4月末に終わり、学校も再開。
よっしゃ、働くぞ〜!と思った矢先、社長からこんなことを言われた。

「あなたの給料が払えない。」

コロナの影響を受けて、会社は経営不振に陥っていた。「このまま働いてほしいけど、給与は今までの4分の1も支払えない」とのことだった。

これはお国柄だと思うけど、ベトナムでは「会社が大変なときは、みんなで支える」みたいな風潮がある。

実際にコロナ禍のときは積極的に田舎に帰り、長期で休みます!と言って自主的に休暇(無給)をとる人が多かった。

その価値観があるからか、社長からも他の学校との「掛け持ち」をすすめられた。とはいうものの、どの学校も同じ状況。そんな簡単に仕事先が見つかるわけがない。

本当にごめんなさいと謝られながらも「不安だったら日本に帰ってもいい」とまで言われて。一瞬「帰国」の文字が頭をよぎった。

たしかに日本に帰ったら、就職先が見つかるだろう。転職活動はちょっと大変かもしれないけれど、日本だったら死ぬことはない。

でも「そんな人生、ワクワクしない」
そう、直感で思ってしまった。

徐々に渡航制限が厳しくなって、次はいつ動けるようになるかわからないご時世。
そんな絶妙なタイミングでベトナムに滑り込んだのに「仕事がないから帰ります」で本当にいいの?なんて何度も自問自答して。

ちょっとキザなセリフだけど(笑)、
選択に迷ったとき、わたしは「失敗はしても、後悔だけはしない道」を選ぶようにしている。

日本に帰ったらたぶん失敗はしないけれど、刺激を求めて海外に来たわたしにとって、そんな理由で帰国したら絶対に後悔する…。そのことが目に見えていた。

だから、ここに残るために”自分で稼ぐこと”を選んだ。

「生活費は自分で稼ぐから、授業は減らしてもいい。その代わり続けさせてほしい。」そう社長に話して、自分なりに道をつくることにした。

空の口座に20万円を突っ込んで、もしそのお金を使い切ってしまったら日本に帰る、と1つルールを決めて。

それがわたしの、フリーランスになった経緯。


振り返ったら、理想のあり方に近づいていた。


当時ライティングの副業をしていたこともあって、微々たる収入はあった。けどそれは小さな仕事で、月に3万円ちょっと。

だから最初は、本当に苦しかった。(まあ無計画で独立してしまったから自業自得なんだけど笑)

学校で授業をしながら、空いた時間は単発の案件をひたすら受けて日銭を稼いだ。とにかく、今を生きることに必死だった。

家は借りずに激安のゲストハウスに泊まりつつ、お金がないから飲み会は断って(笑)。今できることを精一杯にやった…というより、やるしかない!という感じだったけど。

ロックダウンのときは学校にも泊まったなぁ…(笑)


でも自分で決めた道だったから、限界までやってみたい。その一心で頑張れた。

そんなふうにがむしゃらに仕事を続けていたら、いつの間にか仕事のカタチが変わってきた。

実績が増えて長期案件をいただいたり、尊敬する人たちから「あなたと一緒に仕事がしたい!」とオファーをいただく機会が増えた。それが何よりも嬉しかったし、誇らしかった。

好きな人たちと好きなことをして、好きな場所で生きる。

…ができてる!とはドヤれないけど(笑)、でも理想としている”あり方”には、少し近づけた気がした。

わたしは「Work Life Balance(仕事とプライベートを区別してバランスを取る)」よりも、「Work Life Blend(仕事とプライベートを区別せずに、どちらも充実させる)」の価値観を大切にしている。

仕事とプライベートを線引きするよりも、わたしを取り巻く全てのことが濃淡のグラデーションになっていて、生活の中でうまく混ざり合っている状態。それが、わたしの理想だ。

とはいうものの、がむしゃらに何かに取り組んでいると、ときどき周りが見えなくなる。

とくに個人で仕事をしている人は「孤独」や「不安」と常に戦っていることも多いはず。

それにわたしは、仕事が軌道に乗るまで本当に苦労したせいか、どうしても仕事がもらえるだけ、ありがたいと思ってしまう。だから、断るのが大の苦手。

今思うと、それは「使命感」とか「責任感」とか、そんなカッコいい理由ではなくて、ただ「いい顔している方がラク」で「自分が努力していないと不安」なだけなんだけど。

できないことを「できない」と認めるのは、やっぱり勇気がいる

ましてや個人で仕事をしていると、その判断でいろいろなチャンスを取りこぼすのではないか?なんて不安がよぎることもある。

それにわたしの強がりな性格も相まって、仕事をいろいろ欲張ってしまった。

その結果、思い描いていたグラデーションとはほど遠い、ただいろんな絵の具を混ぜすぎただけの「真っ黒な絵」に仕上がっていた。

完全な、キャパオーバーだった。

やりたい自分 vs できない自分


「やばいかも」と自覚したのは、2022年の5月。

2年ちょっと住んだベトナムを離れて、カンボジアからタイへ移動して1週間くらい経ったころだった。

側から見ると「海外でノマドでフリーランスなんて素敵!」と思うかもしれないけど、正直そんなキラキラした生活ではなくて。

旅を楽しみたい気持ちと、仕事を”しなければいけない”気持ちが、バチバチにせめぎ合っていた。

わたしがやっている仕事は、ぜんぶ自分で選んだもの。言い換えると、好きでやっている「Want to」な仕事だ。

そんな「Want to(したい)」も、あまりに忙殺されてしまうと、いつの間にか「Have to(しなければいけない)」に変わってしまった。

仕事も海外生活も、ぜんぶ好きで続けていること。なのに、その「好き」が自分の首をどんどん締めていく。その感覚が日に日に強くなって、苦しくなってしまった。

食欲も減り、夜も眠れなくなって。ひたすらパソコンに向き合う毎日。
いつの間にか言葉遣いは雑になるし、脳みそが働いていないせいで仕事の出来は60点そこら。

そんな日々が続いたせいか、人とコミュニケーションをとることが辛くなってしまった。

気合を入れないと人と話せなくなってしまったし、ため息を着くとぶわ〜〜っと涙が止まらなくなることも多々あった。

サラリーマンのときは、まだマシだったかもしれない。ツライことがあっても「こんなに仕事させる会社なんて!上司なんてクソ!」って言い訳ができたから正直ラクだった。(性格悪いけど)

でもフリーランスは、良いことも悪いことも全部自分に返ってくる。
「やります!」「頑張ります!」と安易に言ってしまった、努力の見積もりが甘い、自分のせい

もちろん、そんな状態をクライアントさんに見られては一環の終わりだ。

バレないようにガチガチに武装しているものの、わたしの装備はヒビの入った鎧と、刃こぼれした矛。そんなんじゃ戦えるはずがない。

で、この6月。とうとう限界を感じてしまった

そのころはラオスのルアンパバーンに。

「いったん仕事をセーブしよう」と決めて、自分が無理なく暮らせる仕事量を整理。それを包み隠さず、クライアントさんに話した。

自分でも「なんてワガママなんだ…」と、トホホな気持ちになったけれど、わたしが思っていた以上に、周りの人はわたしの「幸せ」を考えてくれて。その嬉しさにまた泣いた。(どんだけ泣くんだよ)

無計画で強がり。そして、その結果は「自爆」。

フリーランス以前に社会人として恥ずかしすぎる結末だったけど、今回の一件でまたひとつ「自分の輪郭」を知った気がした。

「お仕事、頑張れません…」と言ってみて。


正直、この決断には勇気がいった。
会社員だったら復帰してもまた仕事がもらえるけど、フリーランスにはその補償がないから。

でも思い切って「今はお仕事、頑張れません…」と声にしたら、ひとつわかったことがあった。

それは、すべての仕事は「人と人」で繋がっているということ。

相談してみると「いったん減らして、元気になったらまた考えよう!」と声をかけてもらったり「他の仕事が減らしやすくなるように、今の仕事のベースアップを検討させて!」と有難いお言葉をたくさんいただいた。

もし成果物(=結果)だけで判断されていたのなら、「できない」と言った時点で試合終了。もう二度と仕事は回ってこないだろう。

すごくおこがましいかもしれないけれど…。
「わたし」という存在を必要としてくれていて、さらに弱い部分もひっくるめて、そのキャラクターを認めてくれているからなんだと思った。

限界を超えて頑張っていても、その頑張りが100%報われないことだってある。調子を崩して、頑張っている割には成果が出ないことだってあるし、100%の力を出しても認めてもらえない環境だってある。

だからこそ、等身大の自分を認めて、割り切って前に進むことは「怠惰」じゃなくて「努力」のひとつだ。

わたしの場合は「ほどほどに休む」という選択をとったけど、強がりで欲張りで不器用なわたしにとっては、今できる最大限の努力をしたと思っている(笑)。

せっかく生まれた休息期間。

もっと今の自分に合ったサスティナブルな生き方を考えて。さらにニュートラル(頑張らなくても前に進んでいるよう)な状態を維持できるように調整しないと。

フリーランス3年目。わたしはまだまだ、伸びしろだらけみたいだ。

▼サラリーマン時代のトトホ話が気になる方はこちらもどうぞ…(笑)

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