昨年、20代を終えて、30歳になった。

30歳を迎えて、変わったことがある。
それは、「生きていく時間の眺めかた」だ。
少し長く、時間を眺められるようになった。

端的にいえば、20代の間は、生き急いでいた。

20代のうちに何か成し遂げなければ。
1年で、数ヶ月で、結果がほしい。
時間がない。
チャンスは今年しかない。
今しかない。

そう思って、生き急いでいた。


「だって、20代って10年間しかないんだもん。」


……当たり前だ。

そんなこと、20代に限った話ではない。

だけど、20代という時間は、どこか人生のボーナスタイムのように思っている自分がいた。
可能性とエネルギーにあふれている時期。
無駄にしたくない。

その一方で、思うようにガツガツ動いていけない自分に、焦ってもいた。
未知への恐怖や不安で、うまく生き急げない。
気持ちだけがはやっていた。
短期的な成果を手にしたかった。
それが、未来にもつながると思った。

いつしか、常に周りを気にして、反応し続けて、落ち着ける時間がなくなってしまっていた。
自分で自分を追いつめていた。



2020年4月。
強制的に移動を封じられた。

いい機会だと思った。
そのタイミングで、自分を追いつめていたことから、離れる決心をした。
直後、30歳を迎えた。

この停止期間を経て、気づけば、時間の眺めかたが変わっていた。
今までよりも長く、眺めることができるようになった。

たまたま30歳でそうなっただけで、節目の年齢だから特別に考えたわけではない。
2020年の社会の変化が最大のきっかけということでもない。
どれも決定的な要因とは言えないし、全部が要因であるとも言える。
いろいろな要因が絡みあって、背中を押してくれた。


そして今、時間を長く見て「積み重ねる」ことの本質が、身体でわかりはじめたような気がする。

長い目で見て、積み重ねることは、容易いことではない。
でも、積み重ねた先にどんなものがあるのかを、少しだけ知っている。
振り返ってわかる。
今の自分はそんな位置にいることを。

生き急いだ20代にしてきたことの中には、無意味なものもたくさんあるけど、幸運にも自然に積み上がっていたものもある。
後者が、積み重ねた先にあるものを、少しだけ教えてくれた。
うまく生き急ぐことができずに、あちこちもがいた時間にも、自分の血肉になってくれたものがある。

それに気づいて、思った。
自分は、短期で結果を出せる人間ではないと。
日々、淡々と繰り返すことのほうが向いていると。

爆速で急成長できる華やかなタイプではない。
だけど、飽きずに続けることができる。
好きなものを、異常なほど長い間、好きで居続けることができる。

これまでも、それは薄々感じていた。
だけど、生き急ぐあまり、そんな自分の特性を生かし切れずにいた。

やりたいことが次から次へとあふれてくるタイプではない。
だからこそ、勝算のあることに対して、亀の歩みを続けられると思う。


ある元箱根ランナーが、過去と今を比較して、
「気負いが消えたことで、得たものもあったけど、失ったものもまた、あった」
と語っていた。

なるほど、たしかにそうかもしれない。
気負って、生き急ぐことにも、意味はあるんだろう。
そうすることでしか得られないものもあるだろう。

だけど、人生は長期戦。
どうせなら、棄権せずに走りきりたい。

それに、仮に気負ったまま走れたとしても、失うものはあったはずだ。
何をしていても、何かを得る一方で、何かを失いながら、生きていくんじゃないかと思う。

気負いすぎた結果、人生を棄権するくらいなら、歩いていい。
立ち止まってもいいと思う。
ただ、棄権だけは、しないこと。

棄権を考えたことがあるからこそ、長期戦に臨むことに、細心の注意を払う。

たぶんまだ、前半戦だから。

ボーナスタイムは、まだまだこれから訪れるものだから。

もうすぐ、31歳になる。

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