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幼稚園の年長のとき、クラスでけん玉大会というイベントがあった。

私が通っていた幼稚園では、年長になるとみんなけん玉や竹馬を練習する。(ちなみに年少と年中はコマ)

幼稚園児なので、高難度の技を競うものではなくて、けん玉大会は「もしかめ」をひたすらやり続けて最後まで残った人が優勝、というルール。

私はその大会でクラスの最後まで残り、優勝した。

今思えば、ただひたすら同じ動きを繰り返す集中力が必要、という意味ではフレスコボールと通じるものがある。

優勝したとき、「もしかめ」の歌は20番を超えていた。ひとまとまりが4番までなので、同じ歌詞のループを5回繰り返していたということ。

残り2人になって、相手の子が落としたのが21~22番くらいだったか、詳しくは覚えていないけど、私は最終的に24番まで「もしかめ」を続けた。

そして、24番を過ぎてから、私は「わざと」玉を落とした。

今でも鮮明に覚えている。

残りが自分だけになり、優勝は決まったものの、先生的には、できるところまで続けようという感じだった。

でも、私はだんだんその場の空気に耐えられなくなった。そして、自らバランスを崩したふりをして、玉を落とした。

正直言って、私にはまだまだ続けられる体力も集中力もあった。

でも、これ以上続けたらクラスのみんなは待ちくたびれるし、時間的にも大丈夫かな…。

幼稚園児の身分でそんなこと考えなくていいのに、「もしかめ」を続けながらそんなことを思って、わざと落とすことにした。

続きすぎてどん引きされるのが嫌だったのかもしれない。

やりすぎて気持ち悪いと思われたくない、という理由での行動は、その後も続く。

小学2年のとき、最寄りの3つ先の駅をわからないふりをしたことがある。クラス全体に先生が問いかけても、他の子からなかなか正解が出ないのを見て、「あ、普通はわからないんだ」と思って、その「普通」に合わせた。

私は鉄道ファンではまったくないけど、実はそのときには、全部で30数駅ある最寄り路線の駅名を端から端まで覚えていた。

それも、なんとなく「暇だから覚えてみよー」と思って、遊び感覚で覚えたもの。
(ちなみに今でも暗唱できます。局所的な記憶力がいいという話は前のnoteで少し触れたので引かないでください。。笑)

まあ、普通に考えたら気持ち悪い。だから、出すぎないように生きてきた。

勉強でも趣味でもスポーツでも、自分の限界と周りの限界がかなり違ったり、感性が違うことはよくあった。そういうときは、自分にうそをつかない程度に周りの感覚とすり合わせてきた。

もしかしたら、そのすり合わせのロジックを考える過程で、言語化能力が育ったのかもしれない。

何かこう書くと、天才エピソードみたいで嫌だけど。
でも関心のない分野や苦手分野はとことん知識もないし覚えられないし習得もできないので。。(←こういう発言がすでに逃げ腰。笑)

自分の感性・感覚が少数派であることを改めて感じる機会があり、ふと思い出したので書いてみました。

自分が「出る杭」になれる世界は、嫉妬も買いやすいし、その世界自体の規模が小さいほど、少数派でいることは結構大変なんだな。と。

でも、私が心に留めている言葉に、「成功とは、遺伝子の発動である」というものがある。自分が遺伝子的に得意な分野で努力して才能を伸ばすことが、人間の最大の能力発揮になるという意味の言葉。

得意なことをわざわざ隠す必要はない。ということは常に気をつけつつ、とはいえきっとまた迷いこむので、そのときにまたこの記事に戻ってこよう。

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