子育てで絶対にやってはいけないこと(アドラー心理学実践)
どうもまあさるです
教育や子育ては人間社会全体の課題でなかなか答えがないところもあると思いますが
私も一人の親として子どもと接してきて難しさを噛み締めているところです
そんな私が子育てに奮闘している中でこれは絶対にやってはいけないと感じて実践していることを書き残します
・叱る(怒る)こと
よく一般的に怒るは感情をぶつけるだけで叱るには指導的な観点があるから愛があるなどと言われています
私が思うに叱るも怒るも同義です
というのも叱ると怒るの違いを理解した上でいざ叱ってみようとしても私は感情を伴わなかった試しが一度もないからです
普段と同じような印象で物腰で叱ろうとしてもやはり若干威圧的になったりするものです
叱るというのは実際は怒りたい人が
怒ることは周囲からナンセンスだと蔑まれたくないために愛があるから正義であると勝手に都合のいい解釈をして広がったもので
単なる怒るための大義名分だと思っています
少し前までは私も息子に対してそこそこ叱っていました
これが息子のためになるんだと信じながら・・・
具体的にはご飯の食べる行儀が悪かった(口を開けながらそしゃくする)のでその都度叱っていました
しかしどれだけキツく叱っても さらには怒っても直りませんでした
その時は一時的にやめるのですが時間が開けばまた繰り返すのです
つまり叱るや怒るというのは余り効果がありません
ではどうしたのかというと
お願いする
ということで解決できました
行儀悪く食べるということはこのご飯を作ってくれた人みんな(妻、生産者など)に対して失礼だからやめてほしい お願いできる?
と説明してお願いするとそれからはきちんと食べてくれるようになりました
叱るということは百害あって一利なしなのです
・褒めること
え?って思われた方もいるかもしれません
でも書いてあるとおりで
褒めることも百害あって一利なしです
確かに褒めて伸ばすという手法もあるとは思うのですがこれはいわゆる承認欲求に頼り切った手法です
この手法の弱点は褒められなくなればそれ以上伸びないまたは廃れていくことです
本来は主体的な観点によって物事に取り組むべきです
褒められるから本を読む
褒められるから速く片付けをする
というのは他人ありきの考えで褒められないとできない つまり自分には一人でやり遂げる能力がないと感じていることの表れです
これも私の息子で当てはめると
褒めた算数の勉強は褒めなくなればやめた
逆に褒めもしないゲームは勝手にずっとしている
これからわかることは本人が主体的でないもの(親にやらされてやっていること)は褒め続けなければ続かないということです
承認欲求には終わりがなく膨らんでいくばかりです
そうすると損得勘定で動くようになってしまいます
ではどうすれば主体性を持って行動してくれるかですが
ゲームの件を思い出してください
何にも言わなくても勝手にずっとしているんです
これは本人がその行為自体を楽しいと感じているからそうなっているのでしょう
つまり承認欲求に駆られるとは褒められることを楽しいと感じているということで
ある物事に主体性を持ってもらうためにはその物事が楽しいことだと教えてあげることです
残念ながらまだ私はこの域までは達しておりません
かなりの頻度で子どもの前で読書しているのですが・・・
一方 何か助けてもらった場合はどうでしょう
お手伝いなどがその場合です
そのときは褒めずに素直に感謝の気持ちを伝えましょう
ありがとう 助かった
と言うだけで役に立ったことが伝わるので
貢献感が芽生えます
貢献感が芽生えれば承認欲求とは目的が違うので損得勘定では動きません
日ごろからありがとうを伝えましょう
・子ども扱いすること
子どもは子どもだからといって子ども扱いしていませんか
ああしなさいこうしなさいだとか
逐一指図していませんか
それが子ども扱いです
子どもは親が思っているよりも物事を十分理解しているもので心の成長に身体の成長が追い付いていないだけです
なんでもかんでも親の言うとおりにしていると
全く自立心が育たず
間の前に困難が立ちふさがっても親がなんとかしてくれると
勘違いし課題に取組まなくなります
私なんかが良い例です
逐一親に指図されていましたから自分で何も考えなくても生きていけるのです
本当に楽でした
でもそれは私の人生ではなくて親の人生をなぞっているだけだったんですよね・・・
そうなると責任を親になすりつけちゃったりします
子どもには親の人生なんかなぞって欲しくないと思っています
子ども自身の人生を歩むために生まれてきたんですから
自分の人生に責任をもって生きてもらいたいです(私もまだ終わっちゃいませんよ)
それに子どもに指図する親は子どものことを下に見ています
つまり上下関係で子どもを見ています
皆さんはまさか対等な立場の人や目上の人に向かって指図や命令なんてしませんよね?
子どもにも同じように対等な立場でいたいのです
そうでないとこれも同じく責任逃れをするようになっていくでしょう
自分の行動に主体性がなくなり
自分で考えて解決する能力を削がれ
できないことを人のせいにしてしまうでしょう
あいつさえいなければという可能性のなかで生きるために・・・
ではどうすれば自立心を芽生えさせることができるのかというと
子どもの課題には介入しないことです
これを課題の分離(互いの課題に介入しないさせないこと)といいます
最終的に結果を負うことになるのは誰かというところに着目して自分以外の者にかかるのであれば介入しないということです
具体的には勉強などが当てはまります
勉強をせずに将来的に赤点を採る 志望校に落ちるなどは子どもの責任です
決して親が負うところではありません
では放任するのかというと放任でもありません
援助は惜しみなく行います
子どもにはいつでも援助する用意があることを伝えておきます
勉強に必要なものがほしければ購入してあげるなどです
子どもからの要請があった場合のみ援助を行います
子どもが何をしているのかを理解した上で見守るので
子どもが何をしているのかわからない無関心な放任とはむしろ真逆です
間違いだと思うことがあっても指図はせずにそれは間違っていると思うことを教えてあげるだけで良いのです
うちの息子には私からは指図はしないようにしたので息子とは友達のように接しています
・まとめ
つい私も上記3つのことをしたくなりますが
その気持ちを抑えてなんとか実践中です
私はこのような考え方を本によって出会い
自分に落とし込み実践してきました
もしこの記事の内容に興味を持った方がいらっしゃったなら以下の書籍を1冊でも読んでみて下さい
きっと人生の価値観が変わりますよ
それではまたっ
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