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【映画評】 フー・ボー『Man in the Well』

イメージフォーラム ・フェスティバル2022でフー・ボー(1988〜2017)の短編6作品が上映された。

234分の長編『象は静かに座っている』(2017)で、彼の出現に日本の映画ファンを驚かせたフー・ボーなのだが、上映される機会の少ない短編をまとめて見ることができるのは夢のような出来事だ。北京映画学院の卒業制作も含まれている。

今回上映されたは

『コルドバへ』To Cordoba(2012)
『牛乳を盗む人』The Person Who Steals Milk(2012)
『ナイト・ランナー』Night Runner(2014)
『ディスタント・ファザー』Distant Father(2014)
『Man in the Well』(2017)

『象は静かに座っている』は辿り着けない圏域への試行に満ちた作品だったのだが、最初期の『コルドバへ』の時点で、この試行は完成の域に達しているように思えた。早熟な監督である。


フー・ボー『Man in the Well』(2017)

中国語タイトルは井里的人(井戸の中の人)

薄汚れた雨合羽に身を包んだ少女と少年。
身寄りのない姉弟なのだろうか。姉は先端に熊手のようなものを縄でくくりつけた長い棒を手にし、弟は斧のように鋭利な石を棒の先端に縄でくくりつけた、まるで石器時代の石斧のような棒を持っている。どちらも手作りの道具である。

ここは崩壊し瓦礫と化し、墓場となった都市。
急速に開発が進む中国の、実現性のない都市計画に、完成途上で崩壊してゆく郊外の建設現場。
人が住んだことがあるのか、それすらないのか。包丁や鍋が転がっていることから、建設会社の倒産で開発が中止になり住民が去った跡なのか。それとも、建設現場の作業員たちの炊事の痕跡なのか。姉弟はそんな幻想都市で食料となるものを探している。瓦礫の隙間から手作りの道具で食料を手繰り寄せようとするが、すでに空になったジ菓子の包みばかり。「死んでしまう」と弟。
カメラは姉弟をドキュメンタリーのように背後から追う。本作はフー・ボーがタル・ベーラ監督のキャンプ(FIRST training camp)に参加した後の、タル・ベーラの影響なのか、「地面派」的作品といっても良いかもしれない。足を引きずるような、瓦礫と建設残土の地を這うかのように歩く生きる術もない姉弟の背後からのショット。それは弟が吐露した「死」へと向かう姿のなにものでもない。ただ地を這いずるように、口にできるものを見つけること以外に為すことはない。

姉弟はとある廃墟の二階に侵入する。
姉は釜と鋸を見つけ手にする。カメラはゆっくりと進む姉の足を捉える。その先には、背後手に縛られ、目をテープで覆われ、口には布を押し込まれ、鎖に繋がれたひとりの男が横たわっている。
姉は弟の手を曳き、横たわる男へと近づく。
カメラは男の前に座った姉を背後から捉える。骨と肉を切る鋸の音がフレームから溢れてくる。男の足を切っているのだ。そして斧で鎖を断ち切る。

コンクリートの床を引き摺る鎖のショットと音があり、鎖は一階へと繋がる井戸にいっきに落下する。男を井戸に落としたのだ。
井戸の開口部とそこに立つ姉弟の足のショット。そこに「死んでいなかった」と弟の声が重なる。しかし、姉は「すでに死んでいた」と言う。「死んでいたかいなかったかはわからない」と弟。「あなたにはわからない」と姉。「死んでいなかった」と弟。姉弟の足元と井戸の開口部のショットに姉弟の顔はない。

シーンは一転し、瓦礫の壁を背後にボロのような布団に座る姉弟。二人の正面の顔のショットとなり、姉弟の口元は血に染まっている。

ラストショット(ネットより)

中国の格差社会の現場に遭遇した共犯者となった気分になる居心地の悪い作品だが、監督のフー・ボーは次作である長編『象は静かに座っている』を撮り死亡。29歳の自死だった。

(日曜映画批評:衣川正和 🌱kinugawa)

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