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【映画評】 オードレイ・ディヴァン『あのこと』

オードレイ・ディヴァン『あのこと』(2022)

本作の主人公アンヌは1940年生まれ。原作者アニー・エルノーと同じ生まれである。このことからも、原作が自伝的文学であることが分かる。

大評判であった本作。見たい気はあったものの、内容として気が重く見るのを躊躇っていた。だが、作品web上の主演アナマリア・ヴァルトロメイの眼の表情があまりにも魅力的で、それをどのように撮っているのか気になり、そして数日後に終映ということで見に行くことにした。

邦題は『あのこと』。「あの」という間接的表現だが、
フランスの原題は定冠詞のついた『L’Événement』
特定される「出来事・事件」であり、フランス人の社会的記憶としての「出来事・事件」なのだろう。フランス語は直接的だ。

「出来事・事件」とは……

映画を見て打ちのめされた。フレーム比が1.37:1とのことだが、わたしには1:1に思えた。それほど集中する眼が必要だったのだ。わたしの眼はアンヌ(アナマリア・ヴァルトロメイ)の眼と同化するしか術はなかったのだと思う。見終えてようやくそのことに気づいた。

本作はアンヌの眼の映画なのだが、そのことが特徴的だったのがアンヌを緩やかに追う背後からのショット。それはアンヌを捉えると同時に、アンヌをアウトフォーカスに、アンヌが見つめる対象をフォーカスしたショットである。アンヌの “自己/他者” の双対の写し鏡ともいえる背後(それは射抜くような眼)のショットだ。アンヌの眼の、彼女を異物・非存在とする眼の、他者への鋭利な直接性。アンヌと彼女の眼の対象との重層的ショットとしてわたしの脳内を浸食する。アンヌの欲望や堕胎よりも、わたしを打ちのめしたのは背後からのこの重層的ショットである。カメラは決してアンヌの内部(なんて曖昧な表現なのだろう)に入ろうとはしない。アンヌの絶望と隣接した現在と未来を、ただアンヌの眼の周辺の眼差しとして見つめるだけである。だからこそ、アンヌの絶望が残酷さを持って立ち現れるのである。恐るべし監督オードレイ・ディヴァン。〈主演/監督〉、同性だから可能なのかもしれない。

母親役にサンドリーヌ・ボネールが出演していた。そのことに気づいたのは映画の終盤近く、親子3人でラジオ番組に耳を傾けるにこやかな母親の横顔を捉えたときである。魅了的な、卓越した演技の俳優だと思いながら見ていたのだが、ボネールだと気づき、心の中で快哉を叫んだ。

数日前に見たセリーヌ・シアマ『燃ゆる女の肖像』のソフィー役で出演していたルアナ・バイアミもアンヌの女ともだち役で出演。映画を見ているときには気づかなかった。作品webの写真の解説で判明した。アンヌの子宮から出てきた臍の緒なのだろうか、アンヌからハサミで切ってくれと頼まれ狼狽する表現に尽くせない表情が特異だった。

60年代、フランスでは堕胎が非合法であると、わたしは知らなかった。

(日曜映画批評:衣川正和 🌱kinugawa)

オードレイ・ディヴァン『あのこと』予告編


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