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【映画評】 芹沢洋一郎『サヴァイヴァル5+3(デジタル捕獲版)』

53歳の男性癌患者の8ミリ映像。フィルムに3+5と引っ掻き傷。フレーム右端に8ミリのパーフォレーションの片。冒頭からイメージ記号の湧出がフレームからわたしの知覚へとなだれ込んでくる。これはなにかの策略ではないのかとわたしは狼狽するばかり。イメージ記号の湧出は止まることはなく、ひたすら加速を増してくる。

イメージフォーラム・フェスティヴァル2017の短編作品群(仮現する身体)の1本として上映された『サヴァイヴァル5+3(デジタル捕獲版)』(2017)なのだが、わたしは監督の名も知らず、イメージを追いかけるだけで、知覚に留める術もなかった。流れ過ぎてゆく稠密で確かな時間をのちに反芻することとなった。

患者のサヴァイヴァルはフィルムのマテリアルのサヴァイヴァル、つまり引っ掻き傷として冒頭に提示される。それはマテリアルのサヴァイヴにとどまらない。8ミリフィルムの生産中止というメディウムのサヴァイヴでもある。癌患者の肉体とメディウムの肉体としてのフィルム。患者の顔のクローズアップや病室での生活。自撮りのような撮り方が伺えもするのだが、監督の、患者への肉体的接近による撮影なのだろうか。映画を見るわたしには真偽不明である。病院食を口に入れる映像、口から食物を出す逆回し映像。癌患者という設定を知るわたしには、食物の摂取と排泄の口の両義性。それはグロテスクであり、言葉を遡ってグロットは洞窟・口腔である。サヴァイヴ行為のグロテスク。

手術というサヴァイヴ映像もグロテスク。サヴァイヴそのものがショッキングであり、グロテスクを必要とするのだ。肉体から引き出された内臓器官のようなもの。電気メスで焼き切っているのか、肉片から煙が上がる。そして内臓器官の管からピンセットで何かを引き出す。手術用の医療具なのかと思いきや、現像済みの8ミリフィルムである。ドキュメントがフィクションへと変換される瞬間である。それとも、癌患者のドキュメントとは、わたしの勝手な思い込みに過ぎず、冒頭からフィクションなのかもしれない。

手術台の上の8ミリフィルム、肉体から引き出された8ミリフィルム。それは8ミリメディウムの手術・サヴァイヴ。一本分の長さの現像済み8ミリフィルムは、雨の大地を這いずり、それは爬虫類のようでもあった。8分に凝縮された映像の不気味なほどの力強さがわたしの脳内信号を逆流させるようだ。

その後、芹沢洋一郎監督作品を眼にする機会をわたしは得られていない。

(日曜映画批評:衣川正和 🌱kinugawa)

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