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【映画評】 ローラント・クリック監督。「ど真ん中」と「周縁」に位置する「身体派」

ローラント・クリック(Roland KLICK)

1934年ドイツ・バイエルン州ホーフ生まれの映画監督。
ミュンヘンで文学と演劇を学びながら映画館に入りびたる。ヒッチハイクで世界半周した後、1964年、オットー・ザンダー主演で短編『LUDWIG』を撮る。1966年には中編『ジミー・オルフェウス』を撮りテレビで放映される。1970年、口のきけない美少女と死神のような殺し屋を描いた『デッドロック』がカンヌ映画祭に招待されるが、ドイツ映画界からはドイツの恥晒しと揶揄される。その後もB級映画やコメディーを製作。
日本では数年前から上映される機会が増えてきたが、世界的にはメジャーの地位は与えられていないだろう。それは、世界におけるドイツ映画の需要傾向が大きく影響している。

わたしの手元にある本の中から、近年のドイツ映画が外観できる本、たとえば『ニュー・ジャーマン・シネマ』、ザビーネ・ハーケ『ドイツ映画』を拾い読みしてみると、『ニュー・ジャーマン・シネマ』巻末フィルモグラフィーの経歴についての簡単な記述を除いて、ローラント・クリック作品についての記述は見当たらない。ドイツ映画研究の渋谷哲也氏によれば、彼はニュー・ジャーマン・シネマ期の周縁の存在、ということが起因しているからだという。ファスビンダー、ヘルツォーク、ヴェンダースらと同世代に属するのだが、彼らと一線を画す作風がドイツ批評の外の存在として定着してしまったのである。ニュー・ジャーマン・シネマの作風といえば、彼らの前世代であるナチスとの決別、社会への深い洞察と批評性として認知されている。それに対し、ローラント・クリックの作風は、通俗的でメッセージ性に欠け、いわば娯楽映画の先鋒を担っており、そのことが映画の芸術性を追求する批評家、映画人から反・芸術的であるとして、ニュー・ジャーマン・シネマの枠外に追いやられてしまったのだ。それゆえ、最近まで無視される存在であった。彼が作り出す作品世界は映画の「ど真ん中」、つまり、エンターテイメント性あふれる映画の王道でありながら、映画批評的には「周縁」的存在であるという二重性。ここで興味深いのは、彼の作品の描く主人公は映画鑑賞者を楽しませてくれるど真ん中にいながら社会の周縁に生きる存在であり、映画批評的にも、物語的にも、社会からの視線ではど真ん中の存在ではない周縁の存在という、多層なコスモス構造ということである。

ローラント・クリック『ジミー・オルフェウス』JIMMY ORPHEUS(1966)

映画のタイトルにあるジミー(JIMMY)とは、主人公である日雇い港湾労働者クリストフの通称名。キツイ仕事の後は、タコ部屋におしこまれて眠るほかないその日暮らし。明日の英気を養うために、今夜が楽しければいいという人生。タコ部屋でのカードに興じる仲間を尻目に、ジミーはハンブルグのザンクトパウリ地区の歓楽街にひとり繰り出す。女を引っ掛けようとするがうまくいかない。だが、酒場をハシゴするうちにひとりの女と出会い、ハンブルグの街の、一夜限りの冒険が始まる。ひとりの男とひとりの女の、夜の深まりの時間から翌朝までの一夜の物語が、『ジミー・オルフェウス』である。ジミーは女が泊まるホテルに行くのだが、女は恋人が部屋にいるか見てくるとジミーに言い残し、ホテルに入る。だが、ジミーはホテルの前で待っているが、明け方になっても女は戻ってこない。タイトルのオルフェウス(ORPHEUS)から判明するように、つまり、死んだ妻エウリュディケを連れ戻そうと冥界に降ったオルフェウスは、冥界の王との約束「後ろを振りかえってはいけない」を破ったため妻を連れ戻せなかったという、女を失うことをあらかじめ設定されたジミーなのだが、彼に神話世界が舞い降りてくるというよりも、掠めたと評したほうがより娯楽的・脱神話的で、本作には相応わしいいだろう。

ジミーは夜の明けたハンブルグの街を港へと消える。そこには昨日と変わらぬキツイ仕事のジミーという〝身体〟があるのだった。ただそれだけの一夜の物語なのだが、カーチェイスあり、暴力あり、酒場でのダンスあり、女とのスリリングな駆け引きありと、映画のど真ん中をゆく作りで観客を飽きさせることはない。わたしたちの記憶細胞に植えつけられた《ニュー・ジャーマン・シネマ》の概念規定では無視されていた娯楽的なジャンル映画の多様性が、ローラント・クリックの作品にはある。クリックを「身体派」監督と、とりあえず呼んでもいいのではないかと思う。

ヨーロッパでは、ローラント・クリックの再評価による回顧上映が行われている。周縁に追いやられてしまった彼の作品を拾い上げることで、《ニュー・ジャーマン・シネマ》の読み直しがされればと思う。すでに定式化されている《ニュー・ジャーマン・シネマ》の概念に、「身体派」というジャンルを付与させるのも興味深いと思うのだが。

クリック監督作品の自由で大胆な作風は、スピルバーグ、ホドロフスキー、タランティーノらに継承されている。

(日曜映画批評:衣川正和 🌱kinugawa)

ローラント・クリック『ジミー・オルフェウス』の一部

上記文中にある『デッドロック』予告編


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