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田中一村とジョージア・オキーフ

ジョージア・オキーフが好きで、彼女が終の住処と決めたニューメキシコ州のゴーストランチを訪ねる旅をした。2013年のことだ。

初めて訪れた日、乾燥地帯のニューメキシコらしからぬ超曇天で、ちょっと凍える寒さだった。たまたま中綿入りのジャケットを持っていて助かった。ニューメキシコにはその後も何度か訪れているけれど、あれほど天気が悪いのは後にも先にもその一日だけ。思えば相当レアな天候だった。

空港のあるアルバカーキから北へ1時間ちょっと走ると州都サンタフェに着く。赤土のアドビ建築が並ぶサンタフェの町を抜け、さらに北へ1時間ほど走るとゴーストランチ。荒野の真ん中にある。

サンタフェの街並み
曇天のゴーストランチ

それにしても寂しい場所だった。一面の赤土が妙に禍々しくて、あげく寒くて。オキーフの描いた、荒涼とした、どこか終末的な、それでいて生命力と美しさを感じさせるあの景色とは、ちょっとかけ離れて見えた。やたらと情念めいていて、これはたしかに「ゴースト」だぞと。いや、この名前の由来がそのまま「幽霊」の意味というわけじゃないのだろうけれど。

とにかく、ここを終の住処と決めるにはあまりにも寂しい。ゴーストランチの本領はきっとこんなものじゃない。オキーフにニューヨークを捨てる決意をさせたほどなのだ。それなりの動機を想像させてくれなきゃ困る。困らないけど困る。

翌日、うってかわってこれぞニューメキシコというカラリとした晴天になった。それで、もう一度ゴーストランチに行ってみることにした。

晴天のゴーストランチ
チムニーロックを望む

なるほど、だった。こりゃ刺さるわ。この宇宙みたいな空、ぱねーわ。いくつかトレイルロードがあったので、登ってみることにした。チムニーロックへのコースだ。

チムニーロックの頂上から

景色が稲妻のように刺さることは、たぶんある。オキーフはチムニーロックを正面から見上げる構図で描いているが、きっと登ったりもしたろうと思う。この鳥になったみたいな開放感を、オキーフも感じたかもしれない。「あー、もうここでいいやー」などと感じただろうか。ともかくすべてをゼロに戻して、もう一回ここでイチから暮らしていこうと決めたのだ。なんだかすごくうらやましい。

カラカラに乾いたゴーストランチを訪れて、ようやく気持ちがホクホクした。納得できてよかった。なぜ半ば意地になってまで納得したかったのか、というか実際のところ何に納得したのかよく分からないのだけど、妙に満たされた。うれしかった。

一方、田中一村という、オキーフよろしく景色に魅せられて辺境に移住した画家がいる。一村に刺さったのは、奄美大島だ。

田中一村の描く景色が、私にも刺さった。どうも私は、圧倒的な自然環境と強烈な出会いをして移住までしてしまった画家の絵が好きらしい。好きだし、あと、やっぱりうらやましい。私もそういう風景と出会いたい。それで、もろ手を挙げて降参したい。何に降参するのか分からないが、「あー、もうここでいいやー」と思いたい。そしてすべてを精算して移住したい。そういう話は少なからず聞くので、この手の感情は人間に起こりうる純然な欲求の一つなのかもしれない。などと思ったり。

来月、初めて奄美大島に行く。一村を突き刺した景色を、私も感じられたらうれしい。楽しみだな。(おわり)

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