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キャニオン・デ・シェイの蜘蛛女

きれいと感じる人間の本能

常々思っているのです。
「きれい」という気持ちは、どういう類の情動なんだろうかと。不思議ですよね。いわゆる”絶景”って大勢の人に共通する認知だと思うのだけど、でもそもそもどうして絶景を見ると「うおーすげー」ってなるんだろうなって。

「かわいい」っていう気持ちは、行動心理学的には「ベビースキーマ」(スキーマ療法などのスキーマとはまた違う)という概念で説明されますよね。人間ってのは赤ちゃんみたいな特性を持ったものに対して生得的に惹きつけられて、守りたくなるようにできているんだっていう話。結果としてこれが種の保存に寄与しているというわけで。

一方、絶景を見た時の「うおー、きれー」も生得的な反応だと思うのだけど、これがベビースキーマよろしく種の保存に影響すべく備わったものだとしたら、シンプルに、人間にとって絶景は守るべきもの、必要なものとしてプログラムされているってことなのかなと。

でも、それだったらもっと直接的に、例えば都市よりも大自然での生活に「快適だー最高だぜー」と感じる性質が人間に備わっていたら、みんな普通に絶景を大切にしようってなるよね。そういえば、ネオンなんかの人工的なキラキラにも「うおーきれー」ってなるの不思議だな。これもまた守るべきものとして反応しているのだろうか。ふむ。よく分からない。

そんなこんなで結局いつも思考は袋小路なのだけど、少なくとも「うおーすげーきれー」には何か大切な意味があるんだと思います。絶景を眺めること、愛でること自体が、人類にとって必要なことなんじゃないかって。

だから私は時々絶景を見に出かけます。というか旅行の目的はたいていそれです。うおーすげーきれーという、人間のある種の本質みたいなものに触れたいのです。我ながらちょびっと理屈っぽいですが。

向かうはナバホ・ネイション

前置きが長くなってしまいました。
絶景と言えば、私のイメージはだいたい北米大陸。とりわけアメリカ南西部。

世界遺産登録されているグランドキャニオンや、西部劇の舞台として馴染み深いモニュメントバレーなど、世界的にも知名度のあるスポットが数多く点在しています。その多くは、実はネイティブアメリカンと大小の関わりを持っています。彼らが”聖地”として大切にしている場所だったりするのです。

アリゾナ州北部にあるキャニオン・デ・シェイもその一つ。ナバホ族の神話に登場する場所です。

グーグルマップで見るとカタカナで「キャニオン・デ・チェリー」と表記されていて、なるほどたしかに英語では「Chelly」と書くのだけど、ナバホの言葉では「シェイ」と発音するのだそう。

かつてこの渓谷に暮らした先住民族の遺跡が、今も非常に良い状態で残っています。有史以前からさまざまな部族が入れ替わりで定住してきたこの場所に、現在はナバホ族の人たちが暮らしています。ナバホ・ネイション(ナバホ族の準自治領)です。

キャニオン・デ・シェイの歴史や学問的価値についてはウィキペディア(英語版しかなかったので、ググってみてください)辺りに説明を譲るとして、ともあれ私、この渓谷にそびえ立つという「スパイダー・ロック」を見たくてしょうがなくてですね。

勇んで訪れました。2013年10月でした。いやはや、もう10年も前のことなのですね。時の流れはあっちゅうま。

当時、アメリカはオバマ政権。医療保険制度(いわゆるオバマケア)の予算案で民主党と共和党がもめていました。結果、私の滞在中どんぴしゃで米政府機関が閉鎖になったのですよ。宿のテレビをつければ、ニュースはその話題でもちきり。

「政府閉鎖って初耳だよ、なんだそれ」ぐらいでぼさっと眺めていたのだけど、余波を受けて国立公園も軒並み臨時休業へ、というトピックになるやギュインと一気に自分事。ゲンキンで申し訳ない。しかし、たしかにそりゃそうなのです。政府が動かないってことは、国営系のあれこれも当然動かない。おーまいが。

ただ、キャニオン・デ・シェイって国立公園じゃなくて国「定」公園なんですよ。両者の違いはよく分からんが。「…ま、ナバホ・ネイションだし関係ないよね、知らんけど」という不確かな楽観を胸に、とりあえず現地に向かうことにしました。というか既に最寄の町・チンレに1泊分の宿を予約していたので、キャンセルするのももったいなくて。

その時はアリゾナ州セドナを旅の拠点にしていました。チンレまでは車で片道4時間近く。経路は国道191号線。ひたすら荒野。代わり映えのない車窓に睡魔が荒ぶって、道中ずっと大声で歌いっぱなしという、見ようによっちゃさも愉快な旅路となりました。

US-191を北へ

岩の頂に鎮座する蜘蛛女

結果、キャニオン・デ・シェイ国定公園はオープンしていました。一応それなりの余波を受けて、ビジターセンターは閉まっていました。ただ、もともと入場は無料なのだそうで、見たところ開閉ゲートらしきものもなく、見学自体はいつでも自由のようでした。

渓谷のふちを観光用のドライブルートが通っていました。目当てのスパイダー・ロックはその端っこ。谷の上に展望ポイントがあって、そこから半ば見下ろす格好で眺めるようになっています。

谷底に降りると、遺跡を間近に見学することもできるのだそう。ただ、アクセスはガイドツアーが基本(許可なしでも入れるが、所要数時間の長丁場なのでガイド付きがたぶん安心)とのことで、もちろん興味はあったのだけど、その時はツアーにほとんど触手が動きませんでした(政府閉鎖の余波でたぶんやっていなかったとも思う)。とにかく頭の中がスパイダー・ロック一色だったのです。

その点で私はつくづく柔軟性がないのですよ。目当てをコレと決めたら、それ以外のことがごそっと抜ける節がありまして。そのせいで、旅から戻った後に「あ、こんなのもあったのか、見たかったなー」などと後悔することもままあって。あげくリベンジで再訪したりして。いや、何のリベンジだよなのだけど。

ともあれチンレに到着して、ホテルに一泊。翌日夜明け前にチェックアウトして、ほのかに明るくなり始めたリムロードをひた走りました。間に合え、東雲のスパイダー・ロック。

朝日に染まるスパイダー・ロック

展望スポットに人はなく。スパイダー・ロックは薄明かりに超然とたたずんでいました。
おおお、すげーーー。
語彙力は期待どおりに飛びました。

谷間から朝日が差し込んで、じわりと赤く染まる「聖なる岩」。ナバホの人たちがそう呼ぶのも、当たり前の成り行きのように感じました。谷底で鳴き始めた牛の声ののどかさが、スパイダー・ロックの孤高をいっそう浮き彫りにしているようでした。

なんだか分からないけど祈らずにおれませんでした。そんでもって踊らずにもいられませんでした。

スパイダー・ロックの影で踊る(そしてセルフ撮り)

よっしゃ、ここはココペリ(ネイティブ・アメリカンの精霊)のようにぴーひゃらやらねばと。
なんせ、誰もいませんでしたから。聞こえるのは谷底から響く牛の鳴き声と、砂利を踏む自分の足音だけ。そりゃ踊りたくもなるわけで(謎。

ナバホの言い伝えによれば、岩の頂には全知全能のスパイダーウーマンが鎮座しているそうです。ナバホの人々に織物を教えてくれたのがスパイダーウーマンだとも言われます。

展望スポットからその頂が臨めるのだから、向こうからこちらも当然丸見え。スパイダーウーマンが「異国人がなんか踊ってら」と呟かれたかどうかは知るよしもありませんが、いずれにせよ私はいつか改めてこの谷を訪れなければいけません。谷底の遺跡をまだ見学できていませんから。
うおーすげーについて思考する旅は、なんぼあってもいいですからね。

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