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離婚直後の心の動きを記録しておく。書きながら自分をとりもどす

39歳になる誕生日に、離婚届をだした。

前回記事:11年間の結婚生活を終わらせた。お互いの、生きる底力を信じるhttps://note.com/maaru_/n/n37bcc49a7433

手続きは、それまでの苦悩や夫婦での涙ながらの話し合いと比較して、あんまりにもあっさりしていた。春の光が差し込む明るい市役所。11年の結婚生活にピリオドを打とうとしている私に、誰も注目はしていなかった。ただ私の心臓だけが、ちょっとだけ鼓動を速めた気がする。

これだけスピーディに届を出せたのは、夫のおかげだった。離婚するという合意がなされた後の彼の行動は、びっくりするぐらい早かった。
離婚届をとりにいって、関連する手続きのできる部分をその場でやってきて、水道光熱費やネットなどの名義変更をババっとやってくれた。

いま止まったら迷いが生じてしまう。止まれないように、周辺の環境をどんどん前に進めてしまおう。そんな感じを受けた。

籍に意味ある?と思えるぐらい変わらない家族の時間

月末に夫が家をでることになっているが、いまのところ家族4人での時間は、今までと何も変わらない。

子どもには離婚届を出した当日に、夫がつくってくれた手作りのバースデーケーキを食べながらサラッと告げた。

「お父さんとお母さんはお別れしたよ。」

前々からその可能性は伝えていたものの、ぎょっとする上の子、下の子も「え?」という顔だった。でもね、と私は続けた。

「たとえ別れていても、そのことを知った今まで、何も変わらなったでしょう?家族であることには変わりないということだよ。お父さんに会いたいときはいつでも会えるからね。何も心配いらない」

そのあとは「ふーん、そっか」という感じで、ケーキ美味しいね、今日も楽しかったね、という穏やかな時間だった。寝るときだけはさすがに不安になったようで、上の子が少し泣いたけど、朝起きたらけろってして、その後もずっといまのところは様子は変わらない。

離婚届を出しても、私たちは何も変わらない日常の時間を過ごしている。籍って国の管理上必要なものであって、関係性には本来まったく関係ないものか。「愛」というものもちょっと似ている。すがりたくなる対象ではあるが、信じる人次第で意味があるものになったり、なくなったりする。

戸籍という後ろ盾のようなものがなくなったいまは、不思議な感じ。証明できる書類はないけれど、私たちは今も確かに家族だ。

「これでよかったのか」と思う気持ちとの折り合いをつける

週末の間、「これでよかったのか」という想いは何度も沸きあがった。

家族で買い物に出かけて、食事をして。帰り際にドーナッツを買おうと、なにがいい?と聞いたら「君と同じもので」という夫の言葉に、胸がキュっとなった。キュっなのか、キュンなのか、区別がつかなかったけど、何かが刺さった。

「離婚 取り消し」でスマホ検索するぐらいには、「ああもうわからん」となっていた。けれどいま私は「いいとき」の夫に接している。「いいとき」の思い出ばかり思い出している。

親友に離婚したことを報告したら「ずっと悩んでたもんね」とメッセージが帰ってきた。そうだった、私は本当に長いこと悩んできた。「普段、スパッと決断する人なのにどうした?」と言われるぐらいには、グダグダ悩んでいた。

もう出したもん(届)は引っ込められない。ここからどういう家族の形になっていくのか、どんな人生になっていくのかはむしろ楽しんでやろうじゃん、今このnoteを書きながら思った。

逆境に思える時こそファイティングポーズとるのが本当の私らしい。おひつじ座(私)は「金属バット持ったリス」という表現があったが、それだ。愛想よいくせに、いざとなったら戦う気。

夫以上の人はいないかもしれない、と思ったら「そもそも恋愛はこりごりだけど、私は愛される価値のある人間だ」と自分を過小評価することをやめて折り合いをつけた。

それに他人に愛されなくても、私は自分が好きだから問題ない。

離婚をきっかけに、小さなところから「自分らしさ」を取り戻していくことにする。書きながら勝手にすっきりしてしまって、もはや書くことがなくなってしまった。

今日の晩御飯、何にしよう。食欲、あるよ。

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