見出し画像

11年間の結婚生活を終わらせた。お互いの、生きる底力を信じる

突然のように見えて、来るべき時が来た、という気がする。
私にとって離婚という言葉は、あまりに重たく、勢いでは到底声に出せないものだった。だからずっと悩んできた。

2024年4月、私は夫と離婚した。

「11年間、私たちよく頑張ったよね。別れてからのほうが、ずっといい関係になったねって言い合える家族になろう」

綺麗ごとのように聞こえるが、純度100%の本心として、私から夫にかけた言葉だった。

フェアな関係、優しい人だったけど

離婚したほうがいいのではないか、と思うようになったのはもう2、3年前からだ。

夫はとても子煩悩だし、私にも優しい。彼は会社員時代に不動産投資を始めていたので、その定期収入があることもあって無職となる道を選んだ。家事は基本的に夫が、そして私が働いて、生活費は半分ずつ出し合い、子育ては二人でやってきた。フェアな関係だ。

ただ、過去に鬱を経験した夫は回復したように見えても、気分の浮き沈みが多かった。殻に閉じこもり、批判的になり、家族でいても負のオーラを放出することもしばしばあった。

夫は人とのコミュニケーションが苦手だ。それもあって無職を選んだというのもあるが、近くに住む私の両親とも挨拶だけで、自分から話しかけることはしない。心を開かないのは、誰に対してもそうで、集団のなかで常に気配を消そうとする。

過去の深く傷ついた経験が、彼にそうさせていることを私は知っていた。だからしょうがないとも思っていたし、「愛想はないんですけど悪気もないんです」とこっそり周りの人に私が伝えて、心証を悪くしないようにと頑張ってもいた。

励ましても、不調はくる。私は無力だった

でも一緒に生活をする家族として、何年も不調を繰り返す彼と一緒にいるのがだんだんとしんどくなってきた。こうして言葉にするよりもずっと重たかった。

最初に彼が鬱になったのは、結婚してまもなく上の子が生まれ約1年経ったころ。だから実のところ、私たちの11年の結婚生活のほとんどが、そうした繰り返しのなかにあった。

いつも彼の顔色を見ていた。どうしたら元気が出るかなと考えたり、こうしたら嫌がるだろうなと我慢したり、話を聞いたり励ましたり。でも私のそんな行為は、彼が浮上する手助けにはなっていなかったと思う。

自然と元気になって、ああよかったなと思ったらまた不調となっての繰り返し。不調を予防もできないし、完全な回復にも導いてあげられない。私は無力だった。

そんな無力さを感じたことと、子どものためにも「母親が笑っている」ため、私は夫に対して心理的な予防線をはるようになった。影響を受けないよう、できるだけ不調を見ない、気にしないふりをした。

心の中では「夫はなぜ、子どものために笑顔でいれないんだろう」と責めたい気持ちがあったし、「それができたら本人も苦労してないよな」と理解してもいた。元気で居続けたいと誰よりも願っているのは夫だと、頭では分かってはいた。

「きっといつかよくなる」と思えなくなってきた

それでもだんだんと私は腹が立ってきて、彼が不調なのを見るとイライラするようになった。言葉にはできなかったが「ええ加減にせえよ」と何度も思った。

なんで物事をそんなネガティブに捉えるんだろう、受け流せないんだろう。
私にとって簡単なことが彼にはできない。そんな当たり前の違いを私はだんだんと受け入れられなくなっていった。

イライラして、私のなかで感情がぐるぐるしだしたのが、この2、3年だ。それまでは「きっといつかよくなる」と信じていたのが、「もしかしたら一生このままなのかも」と思えてきた。

子どもが行きたがるというのもあったが、私も実家にいるほうが夫の顔を見なくて楽だった。夫と話をするタイミングを見計らうようになり、言葉を選びすぎて自分の想いを伝えれらなかったことも多かった。私たち夫婦はずっとちゃんと会話できていなかった気がする。

不調な彼と、イライラする私。二人とも機嫌のいい日ももちろんあったが、よくない日がだんだん速いサイクルで再来するようになっていた。

過去の思い出 vs これからの人生 

離婚という言葉が頭をよぎるようになってからも、私をつなぎとめていたのは、心の調子がいい時に夫が見せる彼本来の長所だった。

冒頭に話した通り、優しいし、本当に家族想い。頭もいいし、勉強も社会的な知識も子どもにしっかりと教えてくれる。そもそも酒は飲まない、ギャンブルもしない、無駄遣いしない。

彼と結婚したときに「こんなに幸せでいいんだろうか!」と思ったことを覚えている。「死ぬときはこの人の腕のなかだ」と思ったことも覚えている。2人の子どもを共に育て、家族の思い出も、両手いっぱいこぼれるほどある。その記憶もまた、私を思いとどまらせていた。

離婚を切り出さず、夫の不調を見ないふりを続ければよかったのかもしれない。だけどそれはあくまで「ふり」であって、彼に元気がなければ気になるし、元気になれば嬉しいと思ってしまう。

だからこそ、これからの人生を想像したとき、「おばあちゃんになったとき、ずっと彼のために我慢してきた」と思い返すようなことはしたくないと思うようになった。過去の思い出よりも、その思いのほうが強くなっていった。このままでは、自分の人生なのに、人のせいにしてしまう。

もうこれ以上イライラする私を、子どもにも夫にも見せたくない。私は本当はもっといつも明るくておおらかなんだ。そんな自分を取り戻したくなった。

子どもにも、父親の顔色を見て、自分の気持ちにふたをするようには、なってほしくなかった。子どもには既に多分に影響を与えてしまっていると思うが、夫婦の関係が、家族の形が徐々に壊れていくのをこれ以上見せる訳にはいかない。

そうして私は、夫に離婚を切り出した。

泣いてでも、前に進む。渦から脱出する

別れたいと思っている、と告げたとき。

夫は繰り返し「今まで本当にありがとう」と言ってくれた。私に甘えていたことも、離婚したいと思うほど苦しめたことも謝ってくれた。

そして最近、たまにいくアルバイト先で働けることのありがたさをしみじみ感じられるようになったことも。

それを聞いて心の底から良かったと思ったし、「私はお役御免だな」と思った。私にできることはやり切った。無力だと思ってたけど、一緒にいただけでも、私は彼の支えになれていたのかもしれない。

別れ話の間、ずっとどちらかが、もしくは両方が泣いていたように思う。どこからおかしくなってしまったんだろう、やりなおせたら、ごめんなさい、ありがとう、前向きにならなくちゃ、これでいいはずだ、まずは別居がいいんだろうか、分からない、だいすきだった、いろんな言葉が頭をめぐった。

それでも一度発した「離婚したい」という言葉を突き通すことで、ここまでの渦のなかから、私たち家族を脱出させるしかないと私は思った。これが私の夫への最後の愛情表現だと思ったし、そう伝えた。

関係をリセットした後のことはどうなるかは分からないけれど、踏み出さないことには、一生このままだ。荒療治だけど、夫も私も強くなる必要がある。

こんな辛いことを乗り越えた先に、いい未来がないなんてありえない。自分の意思だけが、今は頼りだ。夫にもきっと底力が眠っているはずと信じたい。

彼は一人暮らしをして、仕事を見つけて、新しい道を進む。何か助けが必要だったら飛んでくるから、と彼は言った。子煩悩で、家族想いの、彼のその言葉は本当だと思う。

別れても、子どもの誕生日は一緒に祝おうと約束をした。これからは笑顔の家族でいられますように。11年、本当にお疲れ様でした、私たち。

最後に。

この決断が正解だったかは分からない。勝手に涙は出てくるし、罪悪感も死ぬほどあるし、結婚当時に戻ってやり直せたらとも思う。だけど時間は巻き戻せない。彼と結婚してよかった、とは思っている。いつか、離婚がいい決断だったと思える日がくるだろうか。両家の両親はこれまで通り二人の決断を尊重してくれた。報告よりも相談をすべきだと分かっていたが、夫の不調も夫婦関係も、誰かがどうしようもないことすぎて相談のしようがなかった。不義理をしてしまったと思っている。ただ、私にできることは、しっかり働いて、笑顔で子どもを育てること!シングルマザーがんばる💪

ああ、11年は長い!簡単に気持ちをまとめるなんて無理!!!!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?