アフォガードで運河を造った話
ほのかに冬の終焉を感じる夜。
フランスを発ち、"寝台列車 テロ"という何とも不穏な名前の列車に乗り、寂寥感を漂わせる早朝のイタリアに上陸したのは、ある年の3月1日のことだった。
3段ベッドの寝台列車の2段目。
つまり、上下を乗客に挟まれた真ん中という最悪のポジションに強制収容された私達は、充電をすることすら許されなかった。
パリよりもほんの少しだけ暖かいミラノに到着し、"どこかで充電できたらいいね"なんて呟きながら、そういった思いとは裏腹に 縦横無尽に駆け抜ける路上電車に釘付けとなっていた。
そんな中、"現在地から近いし時間もあるから行ってみよう"と、たまたまGoogle mapで見つけたカフェがまさか、「リザーブ ロースタリー」という、世界的にも希少なスターバックスとの出会いになるとは、誰が予想できただろうか。
私は普段、Starbucks Coffeeとやらにあまり興味がない。
神が性別を間違えてこの世に産み落としたのか、フラペチーノよりも断然ラーメンを飲んでいたい人間だ。
スタバの新作に並ぶ時間があるなら行列必至のラーメン屋に並んだ方が圧倒的に幸せであり、そんな思いを拗らせた結果、自分自身が池袋のラーメン屋で働くという訳の分からない境地に達したのが大学時代だった。
だが、こんな私でも人との付き合いでスタバに足を運んだことは幾度もある。
連れがお決まりのカスタマイズをペラペラと店員に伝えている姿はいつも眩しく、ほんの少しだけ疎ましくもあった。
仮に私がカスタマイズに挑戦するとしよう。
意気揚々と注文をしたところで、もしも店員さんに
-このドリンクにそのカスタマイズはできません-
なんて返された日にはもう、世界中で今この瞬間も増殖し続けるスターバックスの象徴、人魚のロゴを見る度に嗚咽が止まらなくなることは分かっていた。
そんなことばかりが頭を巡り、結局はいつも歯を食い縛り涙を堪えながら、何の変哲も無いチャイティーラテのお会計を済ませるのだ。
そんな私が、スターバックス リザーブ ロースタリーで勇気を振り絞って注文したのが「アフォガード」だ。
以前、なんとなく名前の響きがカッコいいという理由でエスプレッソを頼んだ時だった。
優しくゆっくりと舌に迎え入れたその瞬間、濃縮された豆汁が口内で暴れ回り、喉元を切り裂かれるような感覚に襲われたのだ。
そこにあるのはコーヒーという飲み物ではなく、"苦い"という概念の結晶だった。
だからこそ、コーヒーというものは生半可な気持ちで頼んではいけないと知っていた。
私には、アイスクリームには絶対にハズレがないという確信があった。
一抹の不安と期待が入り交じる中、恐る恐る注文口に立つ。
身長推定185cm、色白、細マッチョ、おそらくミラノで37番目くらいにイケメンだと思われる店員さん(以下37番)に注文をする。
なんとかお会計を済ませると、何故か私だけ奥にある別のカウンターへと案内された。
さすがイタリア人、早朝からここまで積極的だとは。
センター街で隙あらば女の子を道玄坂に持ち帰ろうとしている渋谷の底辺達は一度イタリアで修行を積んで欲しい。
それと同時に、昨夜の寝台列車の影響で丸一日以上お風呂に入っていない自分を恨んだ。
そんな私の思いなど知る由もなく、おもむろにカウンターの前に立った37番は、コップ1杯のアフォガードを作るには勿体ないほど立派な機械とミルク、そして液体窒素を用いて、アイスクリー厶が作られる工程を見せてくれたのだ。
だが37番、明らかに黄色人種である私を前に、流暢なイタリア語を使って1つ1つの工程に対して丁寧な解説をし始める。
ジャスト ア モーメント。
私なんてお兄さんのハンドメイドのアイスクリームが食べられればそれで良く、アフォガードの作られるプロセスなんて元彼の近況報告と同じくらいどうだってよかった。
ただ、あまりにも真剣に一つ一つ説明してくれる彼の姿に、気づけば私は"great"と"amazing"の二言を繰り返すロボットと化していた。
たった1人の私のためだけに、言語の壁をもろともせず、液体窒素を使って魔法使いのようにアイスクリームを作り出した37番は、紛れもなくミラノで1番輝いていた。
私も日本に戻ってから知ったのだが、あの場で食べたアフォガードは、トリノのジェラート職人アルベルト・マルケッティとコラボしており、ミラノのスターバックスでしか味わえない逸品となっているらしい。
言われてみれば、一口食べたときから、"美味しい"という事実が私の味覚の"美味しさ"を感じる部分のキャパシティを越え、身体からじんわりと溢れ出し、北半球全体が"Tasty"と叫び出しそうな気配に包まれていた。
私と友人はあまりの美味しさに涙が止まらなくなり、スターバックス リザーブ ロースタリーと呼んでいたその場所は、ものの2時間で湖となった。
湖はゆっくりと溢れ出し、アドリア海と繋がり、やがて運河となった。
誰が想像できただろう、当時"ミラノのスターバックス"と呼んでいたその場所が、のちのヴェネチアなのだ、と。
私は何を言っていますか?
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