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希死念慮の飼い方

希死念慮をいかに飼いならすか。
これは私が中学2年、齢14にしてその波に取り込まれて以来、7年間(ウソでしょ)掲げているテーマです。

もちろん、年がら年中その渦中にあるわけはありません。しかし、つい昨日まではそれはそれはひどいものに襲われていました。

今回はついに深夜恋人に泣きながら電話しだしてしまいました。それでも賢明にこらえたほうですが、どんなにまぶたが重くて眠りを求めていても、一つの感情から逃れられず、声も堪えられないようになって泣くことしかできなくなってしまったのです。前向きに将来を描き、直近でも楽しい予定が続々の彼にとって、電話口から涙声に死にたい死にたいと聞かされるのは地獄だったろうと思います。

しかし私とて地獄にいたのです。眠たいのに寝られず、死ぬことしか考えられず、頭の中では何度もそれはそれは様々な方法で試みてみたものです。後ろから心臓をぐさっとやってもらったり、おもりを抱えて海に飛び込んだり、東野圭吾作品色々思い出してみたり。実際に枕で口を塞いであっさ~い呼吸を続けてたら苦しすぎてギブアップ。頬を打ってみたらまあそれなりに痛いし自分がイタくて泣けました。頭をポコポコ殴ってみたら頭蓋骨ってすごいなああんまりいたくないものだなあと感心したものです。嘘みたいでしょう。馬鹿みたいでしょう。でも本当なんです。悲しいことに。

あーあ、なんで生まれてきちゃったんだろ。こんなの生んで世の中どうするってのよ。もう少しまともな人間になれたら良かったのに。一体誰がこんなのを望んだというのでしょう。

仲間を探しにネットの世界へもいきました。みんなしんどいよなあ。もうやんなっちゃうよなあ。ほんと、つらいよね。ただただしんどい。私の場合何かがしんどくて死にたいのではなく、死にたいことしか考えられないのが辛かったです。死にたすぎて泣いてばっかりで、何もやることが手に付かないのがクズすぎて余計死にたくなって泣いていました。机向かっても何もできなくて泣いて、昼間から布団にこもって泣いて、泣き疲れて2時間寝て、ようやく社会活動めいたことを少々。大学生じゃなかったら死んでいました。

眠る前はネットでいろんな記事や動画を目にします。知恵袋の回答なんてとても読めたものじゃありませんが、どうしてか読んでしまいます。全部、もう全部がうるせーばーかお前にゃ関係ねーよ!!周りが悲しむとかどうでもいいんじゃい!!と言った具合に自分勝手にキレたあとは眠りやすいのです。朝はより一層醜い顔になっている自分を見ないといけないのが、またなんとも辛いのですが。目の前のもの、こと、見えていないけど負わされているもの、全てに萎えます。

いよいよここまで来るともう本当に全部どうでも良くなって、未来があることすら嫌で、自分が生き物であることすら気持ち悪くてどうかなりそうでした。なに伸びてんねん、爪。かさぶた何治ってんねん。もうええて。無駄やて。つって。

カウンセリングとかも調べたけど一回1万とか言われてはいさよなら。

もういいや、と思いました。ぜーんぶいいや。さて、ひとまず海いこ。そこで決めよ。部屋の食料とか分けたら誰かもらってくれるかな。でも帰ってくるかもしれないかな。親はいうて気づかないだろうし恋人にはちょっと返信遅れるくらい連絡しとこかな。はあ生きるのってほんとにめんどくさ、めんどくさ。

ね?死にたいときってほんとに大変じゃん?
私は自分が気持ち悪くて気色悪くて本当に嫌いだったので一度近くの海まで行くことにしたのです。そこで決めようと。夕日見たりしたら心やすらぐかもと前向きな期待も持っていました。

そこで私は今回はじめて遺書を書きました。
もう本当にグッバイするつもりで書いたのか、気持ちの整理のために書いたのか。一体どんなつもりで書いたかすっかり忘れたけど(昨日なのに)(それだけ精神的に参ってたのかな)、泣けて泣けてしょうがなかったです。
母親とは喧嘩ばかりで今もちょっと続いてるみたいなことあるし、責任感じさせたりするかもしれません。というか更年期でただでさえ不安定なのに爆発させちゃうかも。父親にはかわいがってくれたのにごめんねと申し訳なく思いました。情緒不安定な母のことも、父自身の両親のことも今まさに大変な時なのに。妹弟には田舎だから姉の噂なんてすぐに広まるだろうし、余計な苦労をかけてしまうと思うと心底すまなかった。2人とも本気で打ち込める何かを見つけて欲しいと姉は願っています。あ、あと犬猫も頼むね。
友人らも本当に感謝だよなあと思って泣けました。今までとても楽しかったです。みんな幸せになってくれ。会えてよかった。
そして懸念の恋人。ごめんねえ。本当にありがとうねえ。幸せでしたよ。どうか乗り越えて色んな夢をかなえていってほしい。そして誰よりも幸せになって欲しいです。出会えてよかった。全部が宝物です。ありがとう。

で、パスワードとか書いておいて。仏壇とかいらないけどそうもいかないらしいので散骨にしてくれと書いておきました。お金はあまりかからないように、ってね。図々しいね。

Amazonでロープとかも調べて、レビュー欄とか読んで。
結構泣いていたんですが、遺書を書いたお陰でどこかすっきりしていました。書きながら、ああ自分は死ぬんだなぁと思いました。実際に自分が自分で死ぬって非現実的なんだけどそれでもいつもよりリアルに感じられたというか。この世を去るつもりで書いたのが良かったのだと思います。

結構真面目に書いたおかげで、「いざという時死ねば良いんだわ」と、これを思い出すこともできました。
中学の時も、高校の時も、どん底の果てでここにたどり着いていたものです。

今、私は「その時が来たら行こう」と思ってけろっとしながらこれを書いています。自分結構やばいなって自覚も生まれてきました。全部本気でやってるの我ながら恐怖です。実際ね、やばいよね、涙ぼったぼた机に垂らしながら遺書つって原稿用紙に書き殴ってるの。私普段明るいツッコミキャラなんですけど。でもまあ人間誰でもそういうものよ。書き上げたものもしばらくは置いておきます。お守り代わり。

ほんと生きづらい世の中で困っちゃう。自己肯定感なんて子宮にいたときからありません。でも大丈夫。なんていったって、いざとなったらいつでもオサラバできるのですから。しょうがねえ、死ぬまで生きてやるか、といったところ。

テキトーでいいや。つまらなくなったらやーめよ!

今日も私はコイツとともに寝て、起きて、ご飯食べて、風呂入って、寝ます。
ほんと時々大暴れするから困るんだけど、コイツなしの生活とかきっとそうそう戻れないだろうし。死にたくないって思えることなんてこれからもとてもありそうにはないのだけれど。まあね、お互いうまくやっていけたらいいじゃんね。

とりあえず、今回についても逃げ切れた私の勝ちですね。

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