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話しが上手い人の特徴を真似したら世界が変わった

私は人に話を聞いてもらうのが苦手だ。どちらかというと聞き役になるよう意識している。苦手な理由は、相手の顔色を伺ってしまうから。最初は興味を持って聞いてくれていても、どんどん相手の表情の端に陰りを感じる。その瞬間に気がつくのだ。私の話は相手にとってつまらないのだと。

このことに気づいたのは、最近のことだ。それまでは、自分は話し上手だと思っていた。

過去にアパレル店員として働いていた私は、自分で言うのも何だが多くのお客さまに気に入られていた。「あなたに会いに来た」と言ってくださる方や、「あなたがいない日は買わない」と言う方もいた。顧客からの信頼は厚かったように思う。

私の接客のコツは、ありきたりだけど「共感してもらう」ことだ。実体験を話し、お客さまの共感を引き出し、「私と同じ悩みが解決できる」「欲を叶えられる」という方法で販売していた。

現在はアパレル業を辞め、Webライターとして在宅で勤務している。この仕事では、以前のように「喋る」機会がほとんどない。代わりに、自分の思いや考えをいかに組み立て、相手に正しい意図で伝えるかが求められるようになった。

その結果、自分の話が面白くないことに気がついたのだ。

アパレル時代の接客では、「うちのスタッフもみんな買っています」「一番売れていて多くのお客さまに人気ですよ」「お客さまのようなお悩みがある方にはこれがおすすめです」など、大衆の意見を自分の思いのように話していた。それが自然と身についてしまい、プライベートでも同じ話し方をしていたのだ。

たとえば、「今度の休み、どっか行かない?」と誘われたとき、私は「いいね!こないだAちゃんが京都に行って良かったって言ってたよ」と答えてしまう。相手からすると、「で?」という感じだ。これは翻訳すると「京都が楽しそうだから行きたい!」という意味だが、当然伝わっていない。

また、「夕飯は何食べたい?」と聞かれたときも、「そうだね、近くの新しくできたラーメン屋が人気で行列ができてるよ」と答える。これも「ラーメンの気分だからどう?」と続けるべきだが、相手がエスパーでもない限り伝わることはないだろう。

で、話しは冒頭に戻るわけだが、自分の話しが面白くないと気が付いてからは、相手の反応ばかり気にするようになった。もちろん相手の反応を気にかけるのは大事なことなのだが、私の場合、それが過剰で、言いたいことも言えなくなってしまうのだ。完全にポイズンだ。上手く話せる自信がないし、相手につまらない思いをさせてしまうのも申し訳ない。

話すのが上手い人ってなんで上手いんだろう。
その答えを求めて、私は周囲の人の会話を意識的に観察するようになった。そして、気づいたことがある。話し上手でコミュニケーションスキルが高いと感じる人は、実はあまり話していないのだ。しかも、自分の意見をはっきりと主語にしていることが多い。

たとえば、「今度の休み、どこか行かない?」と聞かれたとき、話し上手な人なら「いいね!私は京都に行きたい!あなたはどう思う?」と答えるだろう。これは当たり前のことかもしれないが、私はそれができていなかったため、目から鱗が落ちる思いだった。

「夕飯は何食べたい?」と聞かれたときも、「そうだね、ラーメンの気分かな。あなたは何がいい?」と答えるべきだ。こうすることで、相手との会話がスムーズに進む。目から鱗どころか、目から魚だ。

自分はどう思うかの結論を簡潔に伝え、まず傾聴の姿勢を見せること。これがコミュニケーションを円滑にスタートさせるうえで重要なのだ。

この気づきは、ライターとしての仕事にも役立った。伝えたいことを分かりやすく相手に伝えるための重要なスキル。社会人なら誰もが身につけるべきスキルだが、私はそれをようやく理解したのだ。

この意識を持ってから、友達との会話も弾むようになり、自分の話も熱心に聞いてもらえるようになった。コミュニケーションは一方的なものではなく、相手がいて初めて成り立つものだと改めて感じた。

私が話し始めると1分も経たないうちにうたた寝し始める母も、5分は持つようになった。(伝説多き我が母の話はまた今度しようと思う)

仕事相手からも「Masumiさんは話しが分かりやすくて助かります」という高貴な言葉も賜った。こんなこと、今までの人生で一度も言われたことがない。

自分が違和感のある会話をしていたことに、30代目前でやっと気づくことができた。人生まだまだこれから!と新たな気持ちでこの記事を書いている。

Masumi

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