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はじめまして。自己紹介~宮坂雅都です😊

人生の後半を自分らしく生きるために、本業も副業も手放して、1年ほど自分を見つめ、自分の好きを増やすための時間を作ることにした、宮坂雅都(みやさか まさと)です。

初めてのnote投稿なので、まずは自己紹介を。

1974年生まれで49歳になりました。住まいは神奈川県の葉山町。
雅都(まさと)という名前は男性名の響きですが、女性です。
旦那さんと2匹のわんこ(チワプー男の子8歳と6歳)と4人暮らしです。
9年前に東京から葉山に引っ越し、コロナ前からリモートワークで東京のIT企業のPR&社内コミュニケーションを担当していましたが、この度手放しました。
趣味は、お料理と美味しいものを食べること。
特技は、シンギングボウルとハンドメイドで色々作ることです😊

簡単な経歴を紹介すると、
・慶應義塾大学 環境情報学部卒業
・マレーシアのUniversiti Malayaに留学
・日本に帰国してからエンタメ企業、IT企業を6社経験。

以下から、詳しい職歴をご紹介します。

■1社目:メディアファクトリー(エンタメ)


・マレーシアから帰国して、日本のメディアファクトリー(リクルート子会社。現KADOKAWA)に就職し、ポケモンの音楽やビデオグラム、海外映画買い付け、日本映画製作、ラジオ番組制作を担当。
ポケモンバブルに乗っかり、華やかで派手な社会人デビューでした笑。
社会人1年目の夏は、毎週末ポケモンのイベントで全国を渡り歩いたのが良い思い出です。ポケモン音頭ガールズは今何してるのかしら?
ラジオ番組は予算がなかったので、たまに私が曲紹介をしてました笑。
たくさんの映画監督や女優さんに出演いただき、楽しかった〜!
映画製作で関わった一番のヒット作は、「バトル・ロワイアル」。
深作監督がとにかくカッコよかった❤️ そして製作者側もバトル・ロワイアルで、とにかく色々大変な作品でした笑。怖かった笑。


■2社目:IMJ(IT Web制作会社)


・映画時代のプロデューサーが、上場間もないIMJというWeb制作会社の社長として転職したので、アシスタントプロデューサーだった私も秘書としてついていく流れに乗りました。
思えばこの頃から、流れにのっかり、直感で大きな決断をする癖があったかも?
・IMJでは、まずエンタテインメント事業部に入って、立ち上げたばかりの映画事業のサポートをしました。天才プロデューサー揃いだったので、事務的な仕事ができる人として喜ばれました。
・社長秘書を始めると、スタートアップ企業あるあるで、PRやIR、取締役会や株主総会の運営も任されるように。なんでもやりました😉
ここで、秘書業務のやりがいや面白さ、可能性を目一杯体験しました。
その頃の様子は、アメブロ「まぁ(元社長秘書)のブログ」https://ameblo.jp/mas-nakazawa/ に記録してありますが、なかなか熱くるしいです笑。
・社長秘書会や、IRの会を立ち上げて、毎日誰かと会って、ご飯を食べて、毎日祭り笑。大変元気でした。若かった〜!


■3社目:楽天(IT EC)


・その後、IMJの社長が退任したので一緒に退職。私は楽天に転職。
入社日に英語化が発表され、人事がパニックになっていたのを覚えています。人事に相談もなく急に発表したんですね笑。
社長専属広報として入社した1週間後に、三木谷さんの第1秘書に異動。
さすがスピード命の楽天。まさか入社間も無く、研修中に異動とは!秘書以外のキャリアを考えて広報で入社しましたが、三木谷さんの第1秘書ならやってみよう!と異動を承諾。
・楽天では、社長秘書として新たなステージを体験しました。オーナー社長ならではのサポートや、TOP企業の社長さんたちとお会いする機会が多々あり、魅力的な経営者の方達と直にお会いして、お話しさせていただき、ワクワクしました。(私がファンになった経営者についてはいつか投稿します)
・しかし、とにかく忙しい!忙しすぎて、夢でも仕事をしてしまうほど忙しい笑。これは体に悪いと考えて、退職希望を伝えたところ、なんの反応もない。1ヶ月後に「退職しちゃダメ」という回答が笑。ここはスピードじゃないんかい!と突っ込みたいところでしたが、楽天を円満に辞めるには、寿退社(古い)しかない!と考え、婚活を開始。
・婚活に高額な入会金を払ってみたものの、忙し過ぎて婚活できず、3ヶ月ほど放置したのち、奇跡的に一人目にお見合いした人と結婚。婚約から8ヶ月後に円満に楽天を退職。

■4社目 IMJに出戻り(IT Web制作会社)


・楽天を辞めて、新婚生活を楽しんでいたら、以前働いていたIMJの新社長から声がかかり、秘書として出戻り。
・新社長は、もともとIMJの子会社の社長で、大きな組織のマネジメントや、IMJの親会社のCCC(蔦屋書店)とのやりとりの経験がなかったので、なかなか重宝されました。「秘書ってこんなことまでやってくれるの?」とよく驚かれました😊 秘書によってカバー範囲は違いますが、私はいわゆるお茶汲みの秘書(多分今は絶滅しているはず)ではなく、エグゼクティブアシスタントとして、社長の仕事全部をサポートしてきたので、自然と色々知識が増え、サポート力もアップしたのだと思います。

■5社目 CCC (エンタメ ライフスタイル)


・IMJの社長が、親会社のCCC(蔦屋書店とかT-SITEとか運営している会社)に召し上げられたので笑、私も一緒にCCCのインターネットを使ったサービスを統括する子会社に転職というか、グループ内異動。
・思えば、この時が秘書として一番自由に、楽しくできていました。
自分の経験、知識、人脈をフル活用して、社長のサポートを多角的に楽しく行っていました。
・その後、社長が退任することになったのと、全く同時に葉山に移住することを決めていたので、社長と仲良く一緒に退職し、社長がオーナーをしているIT企業に転職することに。
今思えば、この時も完全に流れに乗っていました。日曜日に葉山の物件を契約して12月中旬に葉山に引っ越すと決めたら、翌日、月曜日の朝に、社長から「12月末に退任しようと思う」と告げられ、「わー!なんてタイミング!」と心底驚きました笑。

■6社目 AMBL(IT 人材派遣&AI&Web 制作)


・4社目の会社からサポートしてきたボスがファウンダー兼オーナーの企業にボスの秘書として転職するも、ボスはオーナーなので、ほとんど秘書の仕事がない。
葉山に引っ越すからリモートにしてほしいと、コロナ禍の6年前に先駆けてリモートワークに切り替えていましたが、いくらなんでも暇すぎる。。。
・暇すぎるので副業を開始。楽天やCCC時代のつながりで、編集やライティング業務を始めました。noteでも人気の決算系の有料記事の編集は、全部仕事を手放すまで8年位続けました😊
・本業の秘書業務では、全く役立てている感じがしなかったので、何かできることはないかな〜?と探していたら、ボスがどんどん新しいグループ会社を作り出したので、「グループコミュニケーション」という仕事を立ち上げました。社内限定ブログやメルマガを創刊し、社員総会やアワードなどのコミュニケーションを仕事にし始めました。
・会社で取り組めていないけれど、取り組んだ方がよい仕事を見つけて、「自分で自分の仕事を作って、自分で給料を決める」楽しさを発見しました。(規定上、正社員ではそういう融通は効かないので、半年毎に仕事内容と給料を見直す契約社員にしてもらっていました)。
・ボスがやる気になったようで、どんどん事業を拡大していくので、次にPRの仕事も立ち上げました。プレスリリースを出したり、取材対応をしたり、オウンドメディアも立ち上げ、社外への発信を強化しました。
事業の拡大に伴って中途採用を強化していたので、社風が伝わるオウンドメディアの記事は、閲覧数が伸びて、採用にも貢献できたかな?と思っています。


長くなりましたが、私の職歴はこんな感じ。
それぞれの会社で楽しいこと、大変なことが色々ありましたが、
色々な会社を経験したからこそ、それぞれの経営者の考え方や会社の社風、
事業の特性など、たくさん学ぶことができました。

これからは、こんな自分の知識や経験を活かすのはもちろん、他に新たな何かを見つけて、50代以降の人生の後半を楽しく自分らしく生きるために、どんな仕事、どんな生き方、どんな生活を送っていくのか、1年かけて自分なりの答えを出していきたいと思います😊
このnoteでは、そんな私が感じたこと、考えたことをメモ帳のように記していきます。
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