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自己理解が深まると自分らしく幸せになれるのだろうか

私は自分のことが分からない。
特に中学の頃までは自分はこういう人間です!って自己紹介や自分の好きなものを人に話すことが苦手だった。というか、好きなものもよく分かっていなかった。

例えば音楽。
音楽好きだった兄が音楽に興味を持たない私を心配して「好きなアーティスト見つけたら?」と色々貸してくれて聴いていた。
確かに周りではアイドルが流行っていたり、皆好きな歌手や芸能人がいる子が殆どだった。

そういうことがきっかけで、特定の好きな何かがあった方が良いんだと思い、友人が好きだと言っていた歌手の曲をたくさん聴くようになった。
一時は夢中になっていたと思うけど本当に好きだったのか、好きなものを説明するために好きだったのか分からない。

基本的に人の美醜もよく分からなくて、かっこいい可愛いと思う芸能人もずっといなかった。
やっぱり好きだと説明するために特定の人を作っていた。誰がちょうど良いだろうと悩んだことを思い出してしまった。


特定の好きなものが無いと、つまらない人間と思われてしまいそうで怖かった。
今思うと学生時代の恋もそれに近いものがあった。恋に恋をしているよりタチが悪い。

私のキャラに合っていて、周りの人もいいねって歓迎してくれそうなもの(人)。好きな人が好きだと言ったもの。

そのときは多分、そんな自覚は無くて本気で好きだと思っていたし、例えそれが間違っていたとしても「私はこういう人間です」という積み上げたものがたくさんあった。
その時の私の精一杯だったと思う。
人に好かれるため、コミュニケーションを円滑にする処世術だったのだ。

自分自身もそのことに気付いていなかったから、「これが私です」と自信を持っていたあの頃は幸せだった。

昔のことを振り返ると、私は本当に自分の感情に疎いというか向き合っていなかったなと感じる。
基本的に人に合わせて、他人受けの良いこと、いかに嫌われないか、好かれることばかりを考えていた。
すごく八方美人だった。そこに自分の本心がないこともたくさんあった。
もしかしたら今も他人と多く関わるとそうなのかもしれない。

自分の本心が見えるようになったのはここ数年のことで、結婚して自分を飾る必要が無くなり、1人で過ごす時間も多いからか、いつのまにかフラットに物事を考えられるようになった気がする。

昔よりずっと本心から素敵だなと思う音楽や人を持てるようになった。
音楽は歌詞よりメロディーで先に好きになることに気付いたり、
好きだと思っていたものが本当は違うこともあった。
だからこそ、自分のことが分からないという思いが強くなった。
20代の終わりに価値観を大きく揺るがすこともあった。

過去に自分だと思っていた、特にたくさんの人と関わって充実してた頃の自分は、他人に都合のいいものばかりで武装した偽物に思えて。
人に説明する必要のない自分のことが分からない。

私の価値観はとことん他人軸で、「人にどう思われるか」ばかり気にして生きてきた。
長らくそう過ごしてきたから、これからは自分とたくさん向き合っていきたい。
自分軸で生きていけたらいいな。

このnoteを書いて分かったけど、私は「たくさんの人と関わること」が充実して幸せなことだと感じているんだなぁ。
今は全然出来ていないことだ。

自己理解をして、飾らない私でたくさんの人と関われたら幸せだろうか。
そうしたら、定期的な鬱も無くなったり、せめて付き合いやすくなったりしないだろうか。

少しだけ期待して、自己理解に励みたい。
こうやって文章を書くことも自己理解に繋がるな〜と思った。


こまち

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