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「1」で生きる。

数秘術という占いがある。
生年月日をもとに、その人の、生まれながらの魂の方向性を示すようなものだそうだ。


 人生の終盤には、チャレンジナンバーというのがあるらしく
、それが私の場合は「1」とのこと。

「1」は、自我や意思を強く表すリーダーの数字ということで
 「え、私、それはないなあ」と思ったのだが、

チャレンジナンバーというのは、私の本質というよりは、
 人生において最後に取り組む課題で
 むしろ苦手と考えていることが多いそうなのだ。

だから、それはないな〜、と感じたのは当然ということ。

しかし、チャレンジしてここをクリアにすると、本当の自分と結実するらしい。

リーダーシップのチャレンジ・・・むむむ。

今までの長い人生を振り返っても
自分から人を引っ張っていくということは、あまりなかったなあと思う。

しかし、よーく記憶をたどっていくと

ひとつ、「何を思われてもがんばりたかった」

リーダーの経験があったのを思い出した。


それは、今を遡ることウン十年前、高校卓球部のことだ。
 普通の府立高校の弱小卓球部だったが、伝統的に練習だけは厳しいものだった。

そして私はその、弱いのに厳しい卓球部の鬼キャプテンだった。

鬼って、自分で言うのもおかしいけど
もともと私は、リーダーシップを取れるようなタイプの人間ではなかったのに

中学から卓球を続けている部員が2人しかいなくて、年数の分他の部員より上手かったので
、必然的に、片方が部長・もう片方が副部長という形になってしまったのだ。

リーダーシップをとれない人がリーダーになるとどうなるかというと

どうしていいかわからないので、極端に走る。

それで私は「自分についてこい!」的なやる気に満ちたキャプテンになってしまって
教室ではぼーっとしてるのに
 部活が始まると目つきが変わる、二重人格になったのだ。

特に夏休みの練習には気合が入って、ひたすら腕立て伏せやら腹筋やらの基礎練を延々と続けたあと、
 卓球名物の素振り100回! 
 ちょっとでも手を抜くと、やり直し。
そして窓を閉め切った蒸し暑い体育館では、「ファイト〜〜〜!」「声が小さい!」「一 年生、遅ーーーい!!」

古き時代の運動部の伝統を疑うことなくやっていると
、ガラじゃなくてもそこにハマっていくようで
ひたすら白球を追い続け、声を出し続けたのだった。

あのときは、みんなを引き上げようと必死だった。やりすぎたり、失敗したりもあったけど、できるできないに関わらず、自分が引き受けるという気概をもってがんばっていたのだった。


占いで「1」と聞いて

「ないわ〜」と思ったリーダーシップの種は、私の中にほんの少しあったみたい。

その種は、まだ干からびていないかな?

1という数字は元気を与えてくれる。


1は始まりの数字。

1は決断と行動の数字。
 


そして、1はひとり立っているけど
 本当はひとりじゃない。


長いこと生きてきたから、それだけはわかる。
人と人とのつながりの中で
 1番大切なことを、今決断して動いていく。


「遅い!走れ〜〜〜〜!」と、人生終盤のワタシを叱咤激励してくれるのは、他でもない、高校生時代のワタシ自身。そして今まで過ごしてきた人生の全部。


そんな応援を受けているんだから、これからの人生、楽しむしかない。

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