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フルーツサンドを食べながら流行りに乗るということを考える

今更ながら、フルーツサンドデビューしました。

普段食べる果物よりも格段に甘く瑞々しい果物と、それを引き立てるために甘さ控えめのクリームに感動しながら、昔だったらこんなの食べなかっただろうな、なんてなんてことを考えていました。

今思えば、20歳くらいまでは、流行りものの食べ物や服を追っている同級生たちをどこか小馬鹿にしてる自分がいました。何時間も並んでパンケーキ食べるなんてばかみたい。ゆるふわとかフェミニン系よりもブリーチして柄物を着たい。そんな風に考えてたし、実際口に出して主張してました。

ありきたりだけど、人と違う自分で居たかったんだと思います。流行りものに流されない自分かっこいいという考え。

でもその一方で、流行りについていけない自分への言い訳でもあって。みんながどこからか仕入れてくる流行の情報を私は知らない。有名なパンケーキ屋さんの名前がわからない。今はやっているコーデを知らない。それが怖くて、自分は興味ないです、自分流でいくんで、って思ってました。

そんな考えがなんとなく変わったのは、大学の製図の時間に教授に教えてもらった言葉。

「型を知らないと型破りにはなれない、型を知らないのは型無しです」

工学系の学部だったので、製図の授業って既存の製品を正確に描くことが主な課題でした。同じものを描くなんてつまらない、オリジナルのものを作りたいと考えがちな私たち学生たちに向けての助言でした。

私は好きな服を着て、好きな格好をして、型破りのつもりでいたけれど、そもそも型が何なのか知っているのだろうか。

ちょうど、エンジニアとして何かを人を喜ばせるものを創る仕事に就きたいなと考え始めた頃でした。誰かが楽しんでくれるもの、生活を楽しくするものを作りたい。そうなるために、人が何を「楽しい」「ほしい」と思うのか、知っておくことは必要となるだろう。

それまでひねくれてた考えがすぐに直るわけではないし、そもそもどうやって情報を仕入れたらいいのかわからない。でも、手探りながらも少しずつ新しいものに触れてその楽しさを理解しよう。

そんなことを考え始めてからはや数年。いまだに流行りの服を着るのは抵抗があるし、並んでまで何かを食べるのはしんどいし、TikTokは見るだけですが。

「私は私だから」「もう年だから」とか思わず、その時その時でみんなの気持ちを射止めるもの、その理由を考えていきたいと思います。

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