意図的に、「無駄に思えること」や「非効率なこと」を選択することが、心の安定を保つことにつながるかもしれない。
いろいろ自由に語るシリーズ
~No.10~
元日に、高校時代の演劇部仲間とオンライン飲み会してた時に出た話題なのですが。
コロナ禍により、惰性で何となく続いていたようなことがバッサリ無しになって、おもいっきり効率化されたり、
オンラインの活用により、「移動のための時間」とか、「雑談タイム」とか、無駄な部分がゴッソリ消えてなくなったり、
いろいろと世の中、変化していますよね。
緊急事態宣言が出ればまた、「不要不急」という四字熟語を前に、「これは、不要不急?それとも、必要で火急?」と、自分自身の行動をいちいち悩む日々がまたやってきます。
で、とことん無駄を削ぎ落とし、効率的に物事をこなせるようになった先に我々人類の幸せがあるかというと……
どうも、そうではない、ということは、この1年弱で皆さんイヤというほど、実感しているのではないのでしょうか。
いや、無駄を省くのは良いのです。
効率化を図るのも大いに結構。
ただ、考え得る範囲の全てにおいて、無駄なことを排除したり、「非効率は悪」と決めつけたりするのも、何か違う。
おそらく、ほどほどの分量の「無駄」と「非効率」は、我々にとって、実は「必要」なのでしょう。
どうでもいい雑談、とか。
移動のための時間、とか。
買えば済むものをあえて手作りする、とか。
メールじゃなくてあえて手紙を書く、とか。
「むしろこれは、そうする方が自分の心が落ち着くので、無駄で非効率とわかっていてもそっちを選ぶ」
という……
「意図的な無駄・非効率チョイス」が、できる人と、できない人で、心の安定感が全然違ってくるのではないかな、と思うのです。
本質的に中身は無駄で非効率であるがゆえにこそ、それを「意図的に選ぶ」とは、難易度の高い話です。
が、たぶん、それは、必要なことなのです。
時間を無駄にしたなぁ、とか、お金を無駄使いしてしまったなぁ、とか、いろいろと後悔することって、ありますよね。
しかしその「無駄」も、もしかすると、心の安定を保つための、必要経費かもしれず……
大事なことは、「何となくそうする」のではなく「意図的にそうする」ことではないかな、と。
後悔するのではなく、「これは必要だからこのようにしたのだ!」と、スッキリ生きていくために。
身体の健康も大切ですが、心の健康も大切。
「意図的な無駄・非効率チョイス」を、心がけて生きていきたいと思います。
そんなこんなで、本日はこれにて。
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