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「即効性」を、もとめてしまう

近頃、カラダに異変がおきた。

思春期じゃないんだから、大袈裟にすることでもなんでもない。でも心配になって、いちおうこの前、病院にいった。

どんな変化か、というと。

カラダのいたるところが「赤い」のだ。「かゆい」のだ。

たとえば、背中、太もも、胸のまわり、まゆげ。共通するのは、毛穴があるところ。気づいたら、ニキビのような「赤い跡」ができている。今までの人生でこんなことはなかったので少しおそろしくなってしまった。

それで、結果からお伝えすると、「毛嚢炎もうのうえん」というらしい。

「どうすればすぐに治りますか?」

僕は、すかさずお医者さんにこう尋ねた。しかし当然、すぐには治らない。

「塗り薬を処方するので、2週間ほど様子をみてください。」

「なーんだ。すぐには治らんのか。」

大したことないから、と安心したら欲が出る。口には出さずとも安堵と退屈がいりまじる顔で、僕は皮膚科をあとにした。

−−−

それからまだ1週間も経っていない。でも、効果は徐々にあらわれている。おそらくあと1週間、患部を清潔に、1日1回薬を塗り続けていたら、きれいさっぱりなくなるだろう。

それはそれとして。

僕は、僕自身に余裕がなくなるとつい「即効性」をもとめてしまう。

すぐに効き目がありそうな薬。すぐに知識になりそうなこと。すぐにお腹がふくれそうな食べ物。

効果があるのはわかっていても、道のりが長そうなことは効率がわるい、つい僕はこう考えがち。

ゲームもするし大河ドラマも観るし、のんびり近所のお好み焼きやさんでお酒を飲む日だってある。大して忙しいわけではない。でも、つねに何かに追われてる気がするんです。

ふと思い立って、日常やってることの洗い出しをはじめた。日々の生活でなにに時間をつかっているのか。いま僕にとって、本当に必要なことはなんなのか。

それで僕が削るべきと判断したのは、「読書」だった。

本の良さを今あらためて書くつもりはないけれど、否定するつもりもまったくない。

だけど、熱心な読書家にこそ共感されるだろうが、本を読んでも「すぐに」なにかが変わることはない。本は「即効性」が足りない。

また、いつの日か。意味なんてなくても、読みたくてカラダがうずいてしまう。そんな日常を取り戻したい。

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