フルーツサンドの天使、あるいは⑯
目が覚めると、香ばしい匂いがした。
はるかがキッチンで何かを作っているようだ。しばらくベッドでまどろんでいたかったが、だんだん前日までの記憶が戻ってきて、不快感が身体を包み込んだ。油っこい匂いとともに漂うコーヒーの香りが昨日の岡崎さんの顔と重なる。
最悪だ。僕は自分のことしか考えていなかった。何の覚悟も決めずに、彼女の気持ちなど考えもせずに、ただ心を満たしたいがために彼女を呼び出し、傷付けた。
――先輩にとって、あれは間違いだったってことですよね――
あれは本当に間違いだったのか?酒の勢いだったと、片付けていい感情だったのだろうか?
「明人さん、おはよう!朝ごはんできたよ」
はるかが布団にもぐりこんできた。いつもの甘い匂いと香ばしく油っこい匂いと、コーヒーの匂いが混じって、胃に流れ込んできた。
「何作ったの?」
「明人さんの好きなハンバーグだよ」
朝からハンバーグか。
「昼に食べちゃだめ?」
「作り立てなんだから、今食べて」
はるかに促され、体を起こして食卓に座る。手のひら程もある大きなハンバーグにはケチャップで何かが描かれている。
「これ何?」
「お花だよ。決めたの。おなかの子に花ちゃんってつけるんだ」
「まだ女の子か男の子かも分からないのに?」
「絶対女の子だよ」
意外にも強いその声色に、それ以上何も言うことが出来なかった。
昨日、帰ったのは日をまたいだ午前1時すぎだった。あのあと、そのまま帰る気になれず、たまに先輩に連れて行ってもらうバーで酔いつぶれる直前まで飲んだ。全部の記憶を忘れてしまいたかったが、残念ながら、嫌な感覚がぐるぐると腹の中を回るだけだった。
やけ酒後、帰宅し電気を点けると、ソファにはるかが座っていた。
「……どうしたの?」
振り絞った声は以外にも低くはっきりとしていた。
「明人さんのこと待ってたんだよ」
はるかはいつものぼんやりとした調子で答えたが、その視線と意識は僕に集中していた。いつもぼやけている彼女の世界が僕の方向に勢いよく向かってきて、体中が冷たくなった。
「ごめん、遅くなって。仕事が終わらなくて」
「いいよ。仕事だもん。しょうがないよ」
はるかはソファに横になり、そのまま寝ようとした。ベッドに行くように促したが、どんなにしつこく言っても頑として目を開けようとしなかった。
普段触れることが出来ないはるかの感情が、なぜだか今日は嫌悪感を交えて溢れ出ている。彼女はなにか感づいている。何をどこまで感じ取っているかまではわからない。
怒っているのに隠して。でも察してほしい。今まで何があっても多くの人間が持つそれを見せようとしなかった彼女の心意気が崩壊したことを察した。
ソファの背もたれ側に向かって小さく丸まっている姿は座敷わらしかなにかのようで、滑稽だった。
「おいしくないの?」
「え、おいしいよ」
ハンバーグは昨日の記憶さえ油っこく装飾する。少しずつ口に運ぶが、一向に減らない。
「今日、行きたいところがあるんだ」
「うーん、今日はちょっと疲れているから」
「どうしても行ってみたいの。明人さんの職場の近くにね、素敵な喫茶店を見つけたの」
「うん」
「アラートっていうカフェなの」
「……うん」
「私も、行ってみたいな」
ふんわりと笑う。
※画像は、「写真は呼吸<こさいたろ>」様の作品を使用させていただきました。素敵なお写真、ありがとうございます。
※お写真は、小説の内容とは別のものですので、紐づけずに御覧
いただければと思います。
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