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フルーツサンドの天使、あるいは⑳

※今回の内容は、妊娠、堕胎に関する辛い表現を含みます。おつらい経験のある方、受け入れがたい方はご自身の判断で閲覧の可否を決めていただけたらと思います。

※出産、妊娠についての考え方を問う記事ではなく、小説として、出来事の一つの側面を記したものです。

(本文)
 駅の南口で待ち合わせ。20分前についた。
 はるかの姿は見えない。
 いつもの場所、いつもの風景なのに、みんなが自分のことを見ているように感じた。あいつは、最悪なやつだと、彼女を捨てたやつだと、罵倒されているような気分だった。

「はるとさん、ごめん、時間かかっちゃった」
いつものようなふんわりした笑顔で時間通りについた彼女のメイクはいつもより濃かった。
「いこう」
それだけ言って、歩き出す。これはいつものデートなんじゃないかと勘違いするほどあっさりと、バスに乗り、産婦人科についた。
病院は、大きなおなかの女性や、小さな赤ちゃんを連れた夫婦であふれていた。彼女が受付をしている間、僕はどこを見ていいのかわからず、とくに必要はないのにトイレに行った。
 
「町田はるかさん、こちらへどうぞ」
彼女は受付後、すぐに診察室に呼ばれた。

 一緒に入ると、女性の先生が座っていた。
「町田さん、体調はどうですか?」
「はい、万全です」
「気持ちは?少しでも迷っているなら、もう少し考える時間もあるよ」
「いえ、どうしても、今は育てられないです。ごめんなさい」
「謝ることはないのよ、それは、あなたの権利なの。彼氏さんもいいのよね」
「……はい」
 
 先生は、僕をしっかりと見て話した。
「これからするのは、一つの命を奪ってしまう手術なの。その命の重さを、絶対に忘れないで生きてください」
「はい」
「それでは。今日は、予定通りに手術を行いますね。約10分で終わります。入院もいりません、少し休んで、体調を見て、問題がなければ帰宅可能です」

 はるかは、先生の白衣をじっと見つめていた。
「これから、手術室の椅子に座っていただいて、器具で胎児を吸引し、子宮から出していきます。麻酔をしますので、眠っている間に終わりますが、もし、麻酔が効かなかったり、痛みがある場合は声を上げるか合図をしてください」
先生から手術の流れを一通り説明してもらい、同意書に署名した。
 
「行ってくるね」
はるかは、手術室に入る時も僕に微笑んだ。なぜだろう?これまであまり合わなかった目はしっかりと僕の目を見ている。逆に目をそらしている自分を恥じた。

 手術は本当に10分で済んだ。麻酔から覚めるまで隣室のベッドで彼女は眠っている様子は、いつもと変わらない、安らかで清らかなはるかに見えた。

 しばらくして、彼女は麻酔から目を覚ました。ナースコールを押し、看護師に酸素を外してもらった。
「大丈夫?痛いところない?」
 はるかは少しまどろんでいるようだったが、段々意識がはっきりし、周りをきょろきょろ見渡した。そして、状況を把握したようだった。
 
 手をおなかにあてて、はっとしたような顔をした。
「ねえ、もう、いないの?さっきまでいたんだよ!もういないの?」
身体を急に起こそうとしたため、彼女を止めて、看護師に確認し、電動ベッドの背を少し上げてもらった。
 
 「小さくて、心臓が動いていたんだよ!私のところに来てくれたの!」
もう、限界だったのだと思う。はるかはそのまま溶けてぐちゃぐちゃになってしまうように泣き乱れ、僕は一言も発することができず立ち尽くした。窓から差し込む西日が彼女の横顔を照らしている。こんなにも人間であるのに、やはり神々しい彼女に、触れることなどもう許されない気がした。

 僕は人間である彼女を受け入れることが出来なかったのだ。
 彼女は、天使なんかではない、普通の女性だった。したたかさだってあるし、我慢だってしていたのだ。
 これまでの僕の行動で、言動で本当は傷ついていたはずなのに、それを柔らかく隠してしまう、悲しさを持つ人間だった。

                            ーつづくー

※画像は、「gif追加したよ」様のイラストを使用させていただきました。素敵な作品をありがとうございます。
※イラストは本文内容とは関係はありませんので、別の素敵な作品として見ていただけたら幸いです。
 

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