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サウナの水風呂が気持ちいいのはサウナがしんどいから

手を広げすぎてやばいかもしれない。
久々の今回は、本当にただの自己整理回です。

知的好奇心と将来への焦りと過去を省みたときの後悔とちょっとの向上心から、半年限定の習い事のようなものを始めた。
周りはみんな何かしらの経験者で、そこに全然中身が伴わないのに勢いで大金はたいて飛び込んでしまった。完璧主義の理想家、恥と恐怖で全身が内側から爆発しそうになっている。
週末にひとりだけで発表みたいなやつがあるので、本当に爆発するかもしれない。

でもずっとそういうことから逃げてきたから、いい加減苦労をしたい(した方がいい)という気持ちが強い。

幼少期に、明らかに周りの子よりも文字を読めるようになるのが早くて、小学校6年間くらいはほぼ何もしなくても勉強がなんとなくできて、
おかげであまり努力しない癖がその時期についてしまった気がする。
高校も大学も、第一志望は見切りがつくくらい明らかに学力が足りなくて(とか言って見切りつけてるのがダメ)、第二志望はあまり苦労せず受かるような半端な学力だったので、「辛かったけど頑張ったな」という記憶がほとんどない。しかも第二志望でも周りからはそれなりに褒められるような位置だ。
そうやってちょっと背伸びしないといけないことを、背伸びせずにやってきたのに誰にも怒られなかったツケだ。

それなのにまだ、「何者か」になろうとしている。

いまも、これから大学に入ろうと思うんですと誰かに話す(人間がペラペラなのでこれくらいしか自己紹介できることがない)と、立派だねえと褒められることが多いのだけれど、
自分的にはご大層な志で入学するわけではないからイヤ違うんです……と面倒くさい謙遜人間になってしまう。
本当に最近いよいよ苦しくなってきたのでここに書いておきたい。

私がこのあと大学に入ろうと思っている理由は、その先にこういう職業で食っていきたいからというような確固たる向上心、野心、将来のビジョンがあるからというわけではない。
苦労して何かをなしとげたことがない自分への戒めとか、贖罪とか、
そのせいであらゆることが半端に育ち、自信を持って誇れることがないままここまで来てしまった自分への慰みとか、未来のことを考えずに好きな科目だけで大学を決めた進路選択とか、
本当に「当時やっておくべきだったことを今からやる」だけなのだ。

(そう思うと、演劇の脚本と卒論を同時進行で書いてた時期はよくやっていたと思う。でも卒論が水でのばしのばしして最低文字数をなんとか超えたペラペラ論文になってしまったので、両立できたとは言えない)

周りを伺いながらお手本ぽいことをなぞってなんとかやり過ごすのではなく、自分の力だけで30点のものを作り、周りからきちんとフィードバックとお叱りと励ましを貰ったほうがいい。そう思う。

桜井政博さんのYouTubeチャンネルで、「内圧」の話をされていた。
自分の中であたためていることを、小出しに人に話してしまうとガス抜きされてしまい、良いものが生み出せないという話。
私は不安になってすぐ経過を人に見せてしまうので本当に刺さる。もっと自分の密度を高めたい。

習い事と大学合わせて約3年くらい、終わったときに自分がどう変わっているのか楽しみ。
気持ち以外の事情もあるので途中で諦めないといけないかもしれんが、挑めている間の気持ちを大切にしたい。

「苦労したい」という気持ちばかりが先行し、最近は山登りとかしたくなってきた。


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