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なぜ「許可」をとるのだろう?: 本「みんなの学校」がおしえてくれたこと(木村泰子)

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今日は「みんなの学校」がおしえてくれたこと に関連する読書だよりをと思って書き始めた。

木村泰子さんが気になってしかたなくなった

そもそもこの本を読み始めようとおもったきっかけは、この記事を読んでから、木村泰子さんが気になってしかたなくなってしまった。

「やる人がいてへんかったら必要ないんちゃう?」PTAなしで始まった大空小 初代校長・木村泰子先生の話https://news.yahoo.co.jp/byline/otsukareiko/20200307-00164138/

不登校ゼロ、すべての子が共に学び合う「奇跡の小学校」といわれる大空小学校の元校長先生。今まで知らなかった

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記事の内容はかんたんに言うと「PTA」について。「PTA」って団体があるから、役割や行事を保護者にあてがう、義務として行うことに違和感があり「やる人(やりたい人)がいなかったら必要ない」とPTAを作らなかったというエピソード。

その中で印象的だったのが以下の話

そうしてる間に、秋ぐらいだったか、ひとりの母ちゃんが、「先生、子どもらのために何かやりたいねんけど、私らやっていいかな?」って、私のところへ言いに来たんです。「何で私に聞くの?」って聞いたら、「校長やから」って言う。でも、子どものために保護者がやりたいっていうことを、校長の許可をもらってやる」っていうのは、それは要らんのんちゃう?って。

校長の許可をもらってやる

「やりたいねん」って気持ちは素晴らしい。でも、この「許可」「おうかがい」たてて「OK」してもらったらやる、って思考停止的に誰しもやってないか?と。学校だけではなく、会社や地域や家族の間でさえも起きているのでは?と思ってハッとした。

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責任転嫁の安心感?

誰かのに「やっていいですか?」と許可をとる行為。それ、もし失敗したらあの人が許可したって責任をとってくれるという、責任転嫁の安心感があるのでは?(もちろん時と場合により、いいですか?って聞く必要もあります。)

「やりたいからやる」といった責任ある行動でなければ、やる必要はない、ときっぱり。「やってあげてる」「やってくれてありがとう」こんなGIVE&TAKEは上下関係がうまれ、いつか捩れると。

だから「WIN WIN」となるような関係性=参加している側が「やりたいからやっている」という横並びの関係性や認識を目指すことを、明確にしていた。

GIVE & TAKEの何が悪い?とも思うのだけれど、気になるのは知らず識らずにできあがる上下関係と気持ちのねじれ。恩恵を得る側も「やってもらっているのだ」という気持ちになるのであれば、どこか負い目を感じる。それは持続可能なのだろうか?と思う。

応援消費はフラットな関係を生むのか?

ちょっとはなしはずれて、、今「応援消費」というものが広まっている。新型コロナウイルスの影響で営業もままならない飲食店や店舗・農家さんに対して「がんばってください!」という気持ちを込めて消費をするというもの。

あの大好きなお店が潰れてほしくない、続けられますようにと「応援」する。応援された側は、見返りとして商品を発送したり・グッズを送ったりする。というもの。大好きな思い入れのある場所や人がなくならないようにと行動している。そうゆう動きがでてきている。

素晴らしいのだけど、これもちょっとだけ先程の話しと関連するところがあるかもと。WIN&WINになるためには「自分も相手も好きでやっている」ことが大事。支援されているという関係性になると、窮屈になるはず。

だったらどうすれば?なのだが、はあちゅうさんがご自愛消費って言葉をつかっていたのがしっくりきている。あくまで自分がほしいから、ただただ好きだから購買するのだと。ちょっとした言い方のちがいなのだけれど、応援ではなくご自愛っていいなと思った。

本からの抜粋:失敗せず進めたい大人、それでいいんだっけ?

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本で一番印象的だったのは、「失敗せずに進めたい大人」の話。これは大人になった誰しも、社会人になったら誰しも、「そつなく、失敗せずに、成功させたい」って思うものじゃないですか。それが当たり前だし、参加者の相対的な満足度という尺度を持っていたらやっぱり「失敗せずそつなく」を選ぶと思う。

ただ、学校においての成功ってなんだろう?「生徒が一番学べる・成長できる」ことを目的としているのならば失敗するチャンスを奪っているのではないか?と。満足度なんて、いったい誰のための?

学校という枠を出たとき、思い通りにならないことも・自分と思考が違う人と理解し合ってすすめないといけないこともある。だったらば、早めに失敗して学び合う、大人は余計なおせっかいをしないこと。

これは、自分が子供を育てるときにとても大事にしたい部分だと思った。学んでいる機会を奪ってはいけないのだ。

大人も、失敗したい

ここで、大人も失敗したいよな と。失敗できない現状が多数あるんだけども、それでも安心して失敗できる場所があるだけで、大人も学びやすくなるんじゃないかなと思った。

安心して失敗できる場所
余計なおせっかいをされない、恥をかいたり・悩んだりできる場所があれば、子供だけじゃなく大人だってもしかしたら
もっと学び続けられるんじゃないだろうか?

 



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