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やっとこの気持ちになれた



写真の勉強を始めてずっと、我が子をうまく撮れるようになりたいと思ってた。

その上で写真を楽しむ、好きを極めていく。

さらには、風景もカッコよく撮りたい。

カメラを持つママさんのコミュニティでは、そんな中から出張撮影を始める方も結構いるわけで、今ではそんなママカメラマンさんのビジネス講座なども増えてきた印象。

けれど、私の第一の目的は我が子の写真。
だから、仕事として写真は撮らないと決めていた。

そう、決めていたことがここ近日、自分の中で変わったのだ。

いよいよ3人目が入園。
午前中のひとり時間ができる。
だからゆっくり過ごそうと決めていた。

ただ、それと同時にその先のことも考えるようになった。

今の時代、専業主婦というカテゴリにいる人は多くない。

一時的にいたとしても、数年でパートや自営業の手伝い、はたまたフリーで何か始める方もいる。

1人目、2人目と一緒に過ごしてきたママ友さんたちも、2人目が入園2年目になると「何かしたい」と思い始めるようで、仕事を始める人がちらほら出てきた。

そうなると、私が専業主婦でも、昼間に気軽に会える人が極端に少なくなる。

お茶しよう!ランチしよう!というお誘いもすることもできないし、もちろん誘われない。

それはやはりさみしいものだ。
けれど、時代の流れであるが故に、仕方ないと受け入れるべきなのだろう。


子どもたちが入園したら、はじめは、室内で物撮りや、風景を撮るつもりでいた。
好きなので、それも続けるつもりだ。

ただ、ここ最近、今住んでる地域のことを考えるようになり、その時に地域に何かできることを始めたいとも思うようになった。

そして、写真の上達を考えた時。
どうやったら上手くなるか、という問いに「とにかく撮りまくるしかない」という返答を見たからだ。

写真を上手に撮りたいという想いは常にあるのだから撮るしかない。

しかし、動かないものを撮っていて、子どもをうまく撮れるようになるか?と自分に問いかけた時、答えはNoだなと思った。

であれば、上手くなるために、撮らせて頂こうと思った。
そして、それをまた誰かに喜んでもらえる写真として提供できるようになりたいとも思った。


そんなことを考えて過ごしていた時、ある女性に出会った。

コロナ禍で入籍をしたというその彼女は、状況もあり、結婚式はしていないのだという。

さらに聞けば記念写真も撮っていないそうだ。

今まであれば、私なんかが撮っても....と卑下する場面だが、ここ最近の想いがあったからだろう。

思い切って、よかったら撮らせてもらえないか?と尋ねてみたところ、彼女は素直に大喜びしてくれた。

それはもう心からの喜びだった。

何度も嬉しいと言ってくれた。

その瞬間、自分の中で「ああこれだ」と腑に落ちたものがあった。

目の前の1人に喜んでもらえること。

その喜びを原動力として、撮影の向上に励むこと。

私が写真を通して感じたかったのはこれだと。


これまでも子どもたちのお友達の写真を、よかったら、とその子の親へ送ったことは何度かあった。
ただ、LINE上だったこともあり、送られてくるのは文面での喜びと御礼。

もちろん嬉しかったし、撮ってよかったなと思ってはいたけれど、対面で直に伝えてくれる喜びに勝るものはないと感じた。

求めてくれる人がいるのなら、その方の期待に応えられるように、自身の技術を向上するためにもやってみようと思えた。

上手くなるために、目の前の人に喜んでもらえるように。

そして、撮るだけじゃない。

写真飾ることで変化するだろう、家族、親子の関係性など、そういったことも伝えていけたらと思う。

第三者が撮る写真も良いが、親がファインダーを覗いて見つめる子どもの姿に勝るものもないと思っているから、そのことも伝えていきたい。


年頭に、ご縁があってあるママフォトグラファーさんの想いに触れた。

彼女の原動力は「ときめき」。

ときめきから行動する方。

そして心で行動する方。


ロジカルな考え方で行動されるフォトグラファーさんもたくさんいる。

けれど、彼女は苦手だと言った。

私も苦手だから、それがよくわかったし、苦手でもいいんだってその時思えた。

年頭にお話しいただいたことが、すっと自分の中で形になった気がした。


この決意を忘れたくなくて、今日はここに記す。

また自信がなくなった時、何のために撮るのかをしっかりと思い出すことができるように。


希望は人生の宝なり。
常に希望を持てる人は幸いなり。

この言葉を胸に進んでいきます。

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