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ローティーンからの科学教育の必要性

こんな記事を読みました。

前連載も過激ですが、そこで出てくる山川健次郎の下記が自分がずっと必要だと思ってこれまで書いてきた事だし、米等では少なくとも自分が受けた30年は前から今も毎年普通に行われていてその力の源泉だと思ってます。

「ローティーンからの科学教育」

本記事でも中学で論文を書く話が出てきますが、それがまさにやるべき事。

米等で行われているのは中2のサイエンスフェアで、事前に科学とは仮説を立ててそれを検証する繰り返しと言う科学的方法(Scientific Method)を習うので、本質的に学会のポスターセッションと同じ。

日本の自由研究は科学的方法を教えずにやるので、既存知識の調べ物になりがちで科学研究とは呼べない。科学論文にできるかどうかが目安。

筆者の推す越境はやる側も受ける側も大変で誰もができる訳ではないし、中学で科学的方法を叩き込む方が誰もができる。

ゆとり教育にそれだけ入れてくれれば良かったのに、惜しい。

日本は科学とは既存知識を利用する事だと思っている節があって、だから「科学的な◯◯法」(◯◯は「勉強」等)のような文言が氾濫するのだと思う。

自分も日本教育批判してるけど幼少期でそれに染まっていて、サイエンスフェアは既存知識である重力を確認する内容だったし、修士論文は当時流行っていた分散ハッシュテーブルの真似事だったのも、既存科学知識を利用しようとしてたんだと思う。

けど、科学とは仮説を検証して新しい知識を生む事。

ビジネスにも応用できて、仮説を検証する事で新しい事業を生めるからGAFAMが生まれるんだと思う。四十過ぎてやっとその事までアンラーニングできた気がする。

最近気になってる物理のマイクロデグリーでも無いかなと探したけど、やっぱりハンズオンの方が面白そうだしオンラインには合わなさそう。

逆に今までやってきたITは当然合うので、何かできないかな。


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