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天外者

元日の今日は残念ながら昨年亡くなられた三浦春馬さん主演の映画「天外者」を拝見して来ました。以前朝ドラでも話題となった、幕末から明治に活躍した薩摩藩の五代友厚さんを主題にした映画です。先日長崎に伺ったので、長崎のシーンが多くてタイムリーさを感じられました。

タイトルの「天外者」と言う言葉を自分は知らず、作中でも何度か出てくるのですが、字面から変わり者とか浮世離れした優秀な人の意味かと思ってました。しかし自分が見た回はエンドロール後にメイキング映像があり、その中で監督さんが薩摩藩では子供が生まれると全員天外者と呼ぶ、それは全員が無限の可能性を秘めてるからだと言うような事を仰っていました。

自分の歴史のバイブル的漫画「風雲児たち」を読んでいても薩摩藩は郷中等、教育システムに力を入れてるし優秀だなと感じていました。年長と年少の若者をグループにして前者が後者を教えるシステムは、後者の教育になるのはもちろん、物理学者のリチャード・ファインマンさんも最良の教育は他人に教える事だと仰っていたかもしれませんが、前者の教育にもなると思うんですよね。慶應義塾のモットーの半学半教も似た意味でしょうが、当時はよくある考えだったようですが合理的ですね。

自分は教育にも興味があります。五代さんは同郷の森有礼さん等と藩の使節団として欧州に行っています。森有礼さんは初代文部大臣ですが、自分は常々、明治期全体についてですが、何故蒸気機関等の科学的成果だけを輸入して英等の科学教育をしっかり輸入してくれなかったのかと思うのですが、森有礼さんも享年41歳のようですし、10-30代のそれまでまげを結っていた若者達が外国の驚異に晒されながら遠く未知の欧州に行くのですから、蒸気機関等を輸入して国を保ってくれただけで精一杯ですかね。

以前の記事で英の科学教育を受け継いでいるであろう、自分がカナダの小中で受けた科学的方法の教育について書きましたが、先日日米双方にルーツのある方が米の教育は考えさせるけど、日本の教育は覚えさせるだけだと喝破してました。国際的なペーパーテストでどれだけ優秀でもイノベーションで差を付けられるように、まだ知られていない事を切り開くには自分で仮説を立ててそれを検証して行く科学的方法が必要だと思うんですよね。

でも日本はこの明治期に欧米に追い付けとやったせいか、既存の知識を覚える教育に終始してしまっている。それでは新しい物を生み出せず、常に後塵を拝する事になる。

無限の可能性を持つ天外者であるはずの子供達はアインシュタインが18歳までに覚えた偏見と呼んだ常識のみを身に付け、ペーパーテストのみしてきたために全ての事に既に答えはあると錯覚して、大人になって既にある答えであるはずのAI等のバズワードばかり求め、無駄に踊らされるだけになる。

また、経済学部が税の観点から法律と関連して文系とされてしまっていますが、芸術と法律以外は全て科学で理系だと思うんですよね。その意味で文理の区別も変だと思いますが。

コロナ禍の中で日本の科学がニュース等にもなり、また今日は中国に研究者が流れるニュースも話題になったようですが、一応修士まで研究の真似事をしていた自分としてもまずは研究環境の改善が必要だと思いますし、またその裏には科学とは何ぞやが浸透しておらず、科学が他人事になってしまっている現状があるように思えます。

薩摩藩の郷中に倣い、明治期に必死に科学的成果を輸入してくれた先人達に倣って、今度は自分達の世代で科学的方法、科学の考え方、科学の教育を根付かせなくてはなと思った元日でした。

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