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変わる視線、雨雲を見つめる

進歩がない。昨日できたことが今日できなくて、一昨日できなかったことが明日できたりする。ここ3カ月くらいこの繰り返し。一日単位でみると変化があるけど、一年単位で見ると全く立ち位置が変わっていない。たぶん、全てをばーっと見返すと、自分の残像でビートルズが信号を渡るジャケットみたいな感じのタイムラプスが作れると思う。
大層な感じで語っているけど、朝起きられないという話。今日は始業の30分前に起きてしまった……。起きることはできるのになぜ二度寝してしまうのか。

今日はちょっと仕事を早く終わらせる日。というのも2カ月に一度の検診の日で、ちょっと電車に乗って病院に行かなくてはいけなかった。昨日寝る前に見た天気予報では私が病院に向かう時に雨のピークが来るとのことだった。15mm/hのそれなりに強い雨が予測されていて、昨晩寝る時から向かうのが憂鬱だった。昼のミーティングでは職場の近くの学校では短縮授業や休校になっているらしいという話もあって、さらにテンションが下がってしまった。せっかく早く仕事が終わるのに、なんてついていないんだと自分の運の無さを恨んでしまった。

予定通り仕事を早く切り上げて病院へ向かう時、想像よりは弱い雨で拍子抜けしてしまった。私は昔から片手が塞がることがうっとうしくって、傘を刺すのが嫌いだった。フードでなんとかなるくらいの雨なら、傘を持って行かないで出掛けてしまう。その度に私はイギリスの人間なので傘をささないんだと、胸の内で叫んでいる。一度も行ったことがないので何のゆかりもないのだけれど。
今日の雨は想像よりは弱かったが、傘を刺さなくても平気なレベルではなかったので、仕方なく傘をさして外へ出た。数歩歩いて信号待ちをしている時に気がついた、不思議と雨に対しても傘に対しても、ネガティブな気持ちが全くなかったのだ。
私にとってはかなり大きな変化で、最近耳にするようになったコンブチャが昆布茶ではなく、紅茶キノコだと知った時と同じくらい驚いてしまった。いつの間に自分にこんな変化があったのか。

自分が惹かれる文章、好きな文章とそうでないものにはどんなギャップがあるのだろう。
病院で受付を済ませて、呼び出されるまでの時間で気になってしまった。
豊富な語彙、詩的な表現、独特な比喩、上手な文章に必要なことかも知れないけれど、これらがあってもピンとこない時だってある。
何作かnoteを書いてみて、何となく自分の文章の課題だなあと思っていることがあって、それがある文章が素敵に見えるのかも知れない。私の描く文章は事実の羅列になってしまう時があるのだ。
「Aがあって、Bのように思った。Cだったらいいのに。」こんな文章を書いてしまう。何でそう思ったのか感じたのか、どういう過程でその行動や結果に行き着いたのか。私は現在地と目的地を記すことはあるけれど、どういう経路で、過程で旅をしたのかを描くことが苦手で、味気のない文章になってしまう。まだまだ精進しなくては。

帰り道には雨が止んでいて、傘はお役御免になってしまった。雨の止んだ曇り空を見つめながら帰っていたのだけれど、何となくなんで雨に対する気持ちが変わったのか、わかった気がした。
私はいつも決まった道を歩くようにしている。それは私のルーティーンのひとつで、精神的な心拍数を一定にしてくれる。その一方でどこか変わり映えのない景色に飽きを感じてしまっていたのだ。そこに雨というフィルターを通すことで判で押したような風景に対する目線を変えることができるみたいだった。
フードをかぶって歩くと首が丸まってしまい、どうしても下を見つめて歩いてしまう。だから私は雨のフィルターを通して日常を見つめ直すことができなかった。
雨は止んだものの、全く日は差していなかった。でも自分のことをまた一つ知れたおかげか、心なしか晴れやかな気持ちになれた。

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