「死にがいを求めて生きているの」朝井リョウ
生きがいだと思ってることが、死にがいになってる人がいるんでしょうね。
今「死にがい」と打とうとしたら「死苦い」と表示された。
なんだか生きがいがあるキラキラした人が本当は死んじゃうぐらい苦しい状況なんじゃないって暗に表してるように感じた。
雄介みたいに何者かにならなきゃやってられない人。
わたしも雄介みたいなところがあるから読んでてなんか自分が痛々しく感じた。
生きがいなんてなくていいじゃんって言ってる側も知らぬ間に生きがいによって生かされてる。
そのどっちもからの景色を見せてくれる朝井さんの文章にいつもワクワクするし、たまにいきなり痛いとこぶん殴ってきてゾッとする。
特に今10代とか20代前半の人は子供のときからすでにSNSがあったりYouTuberがいたり、私が子供のときより見た目への評価とかも厳しくなってるから、何かをしなきゃってより思いやすいのかな。
なん十年と毎日違う日を生きてきたのにSNSに投稿された画像と文字数でこういう人と他人から見られる。
息を吐くように投稿したとしても感情には絶対に追いつききれない。
投稿は絶対に過去。
投稿できなかった部分が誰かの世間の感情を動かすかも、バずるかもと思ってなんでもかんでも投稿しちゃう人がいるのかな。
わたしがちゃんとSNSを始めたのは大学生のときだったから、こんなもの自分を補足する一部にすぎない、投稿できてない20年分があるからって思えるけど、小学生ぐらいからこれがあったらどうだろう。
うまくできてたかは分からないな。
ただただ読みやすくて面白いんですけど、わたしの生きがいとは?死にがいになってね?とかいろいろ考えてみるのも面白いです。
わたしもたいがい生きるのヘタだけど毎日なんとかやってきたい。