人生をリタイアする権利を
今日は気分が非常に落ち込む。
理由は明白で、「この世はあまりにも身勝手」だから。
現在、休職中の私だが正直元の仕事に戻れる気が全くしない。
例え部署異動になってやれる気が全くしないのだ。
なので、求人票を見ていたら比較的自分の得意なスキルを活かせられるそうな求人を発見。
そして、応募してみたら無事に内定を貰えた。
しかし、気になる点が二つある。
一つは勤務地が地元でない事。
今住んでいる所から600kmも離れている。
そして、もう一つは売上の数字を追われるとの事。
技術職だが、営業的な側面もあると。
私は以前営業をやってみてそこで心を壊した。
なので、営業という言葉に非常に拒否反応がある。
金曜日までに入社するか返事をしないといけないのだが、この二つが気になるので断ろうと思っている。
この出来事に
「前に進む行動できて良かった」と最初は思っていた。
しかし、思わぬ落とし穴があった。
内定を貰った分野は趣味的な要素の強い業界で、自分はずっとその趣味を細々と続けている。(ニッチな業界なので詳細は控えます)
ただ昔ほど情熱は無く、たまーに行う程度。
でも、働くとなったら情熱も蘇るかなと思っていた。
しかし、実際は違った。働く上事を想像したら不安がどんどん増していき、自分には業務を到底遂行できそうにない様に感じてしまった。
これで自己否定がより増してしまった。
その業界にはずっと触れてきたし、資格もある。曲がりなりにも知識や技術はある方だろう。
しかし、いざその業界で働くとなると恐ろしくなってしまった。
そして、ずっと携わってきたその業界ですら働く自信がないのなら、「果たして自分には何が出来るのか。何もできないに決まっている。」
こう考えてしまった。
ここで、気分の落ち込みが激しくなった。
自分は何も利益を生むことができない。
ただ、食料を消費してク○を出す厄介者なのだと思わずにはいられない。
今、私は何も成し遂げたい事が無い。
夢も希望も、努力を行う意志も無い。何も無い。
こんな私がこの世にいる意味が分からない。
消えてしまいたい。
でも、苦しいのは嫌なので自死はしない。そこでも勇気が出ない臆病者だ。
思えばこの世には望んで出てきた訳ではない。
勝手に放り出されたのだ。
勝手に放り出されて競争社会を生き抜くように教育される。
勤労の義務だとかいう無理ゲーを押し付けられる。
望んで現世に出てきた訳じゃない。
なのに、苦しまず人生をリタイアする選択肢は用意されていない。
なんなんだ。一体なんなんだ。この世界の運営者は。
考えれば考える程狂っているとしか思えない。
なので、私は安楽死の整備を望む。
更には、こんな腐った世の中に我が子を参加させるなんて申し訳なさ過ぎるので反出生主義を貫き続けるのだ。
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