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#4 肩書きのない、なんでも屋さんという働き方

こんちゃっす。マリエです。東京から青森に移住し、雪ふる青森からお届けいたします。
今回は、私の働き方について。

その名も、スーパー業務委託天使

すみません、ほんとふざけて。あっちゃんからいただいた言葉を拝借いたします。以前の記事で少し触れましたが、私は長らく周りの空気を読む優等生気質の生き方をしていました。

人に嫌われないように、常識に沿って、求められる期待に沿って…そんな風に生きてた。会社員だったので上司から好かれるように、お客様に愛想よく、ニコニコ〜
しかし、結局いつまで経っても「自分に何が向いているのか」がわからず、なんとなく器用になんでもこなせるけど、とくに特徴のない人間に。仕事はできるので会社では出世頭として扱っていただいていたが、どうしても自分の生き方にピンとこなかった。

仕事も恋人もなくなる29歳。自分とひたすら向き合う

29歳のときに、一旦すべてをリセットする機会があり(詳細はまたいずれ)、もうこうなりゃ自分をいろいろ開放しちゃえ!と、勢いのままに会社に雇われる働き方をやめてフリーランスへ転身。でも実際問題、何をして生きていくのよ、と。
当時は傷心モードでしたので、広い社会へ出ていく気概がなく、とにかく誰にも会わずに家でできる仕事を…と思って、未経験のWEBライターのお仕事をしました。

その頃、インターネット上で仕事の受発注ができるプラットフォームサービスの勢いが出はじめた時期で、それらのサービスを活用しながら、経験のないWEBライターのお仕事をとにかく片っ端からやりまくった。もう1円でもお金になるものは何でもやった

最初はどんなに書いても数百円のお仕事しかなくて、3時間かけて書いたのに500円か〜〜(時給にしたら160円とか?ぎょえ〜!)と散々でしたが、実績を積み段々とコツをつかみ、人間やればなるようになるもので、相性のいい企業様とやりとりをすることで、なんとかサラリーマン時代の手取りと同額を手に入れることができるようになった。(しかしその後、フリーランスあるあるの健康保険料や税金で泣くことになる)

(マリエの小言)
※マッチングアプリネタについては別途記事を書きますが、婚活マッチングアプリをして色んな人と会っていた時期があります。
マッチングアプリで出会った一人が「副業やりたくてライター講座とか受けたけど、全然いい仕事ないんだよね〜どうやって仕事とってるの?」
って聞いてきたので
「本当にやりたいんなら0円の記事でもやる勢いでゼロから実績積んで、それを積み重ねていけば有料の講座受けなくてもなんとか食っていけるレベルにはなると思いますよ」
と伝えたけど、正直相手には全然通じてなかった。

(マリエの小言)
フリーランス駆け出しのころは「まず月15万円を稼げるようになる!」と目標にしていたが、マッチングアプリで会った人に「その目標低すぎない?」って笑われることも。でも、会社員やめて何も持ってない体一つで月15万円の利益出すって私にはめっちゃむずかしいんですけど!?出勤すれば自動で給与が入ってくる会社員とはちがうんやでぇ〜!と唸っていた

不安定なフリーランスはとにかく武器を増やしたい

文字だけで一応食っていける(ギリギリだけど)という状態になったものの、いつどの仕事がなくなるかわからないし、いつ私が文字を書きたくなくなるかわからない(?)から、とにかくもう一個仕事を増やそう!と思って飛び込んだのが、ケータリングの世界でした。

これが幸也飯のケータリングだ!

Instagramでフォローしていた料理家のお兄ちゃん(寺井幸也さん @yukiya.terai)がアシスタントを募集していたので勇気を出して応募!飲食の仕事は正社員として店舗運営もマーケティングも携わったことがあるので、自炊が好きな私は料理を自分の武器にできるかも、、と思ってのスタートでした。

体調を崩したら終わり、体が資本のフリーランス

個人事業主ですので、もちろん有給とか公休とかそんな概念はない。働けば稼げるし働かなければ稼げない、とてもシンプルな仕組み。休んだら休んだ分だけ収入に響くから、とにかく動けるうちは動きたい。

人間は不思議なもので「ぜったいに休めない!!!」という状況になると、本当に気合いで細胞が反応し(?)て、なんとか体調を崩さずに凌げる。そして、きちんと大事な仕事が終わったタイミングで体調を崩す。
体調は気合でなんとかなるもんなんだ(ホントかよ)と、フリーランスになって学びました。

新しい世界に飛び込むのは勇気がいるけれど、やっぱり知らない世界を知るのは楽しく、個性あふれる幸也さんの横であらゆる価値観に触れ、「働く」という意味をますます考えるようになった。

お弁当をめっちゃ作るの図

働けるだけとにかく働く、次は人事の仕事に

もはや時系列の記憶があいまいなのですが、、仕事が不安定なフリーランスの私はとにかくできることはなんでもやりたい。ということで、人事で新卒採用をやっていた経験から、RPO(採用代行)のお仕事をいただけるように。

当時、いろんな場で「仕事何やってるの?」と聞かれたら「フリーランスです仕事困ってます何でもやってます!」くらいの勢いで答えて、それをきっかけに紹介でお仕事をいただいた、、何でも言ってみるって大事だなぁと学びました。

私は本当に自分の職歴が幅広すぎて(新卒で入社した会社が当時11社とかあるホールディングス企業で、ジョブローテーションで色々な職種を経験させてもらった。。)、どれもこれもちょこっと囓ってるという微妙な経歴。本当に微妙。
しかし、それが功を奏してか(どうかしら)今のところなんとか食いっぱぐれず生きてこれてよかったなぁと感慨に耽ります。(?

こうして複数の仕事をやりながら、時期によってメインのボリュームを変えつつ幅広い業種・ジャンルの方とお仕事をさせていただきました。

これまでの仕事における恐怖やトラブル(!)については、別記事でまとめる予定です。どうぞおたのしみに。

会社の立ち上げを担う怒涛の2年

そのうちご縁あって、寺井幸也さんのケータリング会社の新規立ち上げに参画させていただいた。会社設立・運営に関するすべてを担当。楽しくもあり大変でもあり、とにかく怒涛の日々だった。(あまりに怒涛すぎてもはや記憶があまりない、、

青森への門出をお祝いしてくださった@マンダリンオリエンタル東京

大型ケータリングの調理やセッティング、配送から広告撮影、イベント登壇やインタビュー撮影、企業とのタイアップ企画やオンラインサロンの運営、お料理教室やYouTube、会社の労務や法務、経理や予約システムの設計、仕入れ先や配送会社の選定やメニュー撮影、テナント出店や販売計画書の作成、工事手配やなんかもう記憶がないけどとにかく全部やった気がする。大変修行になりました。

いつまでも「何の人かわからない私」は、それでいいと思う

今も変わらず、わかりやすい肩書きがない私は、お友達のあっちゃんが命名してくれた「シュツルマイザー」という意味のない造語を名乗ってる。(スーパー業務委託天使でもええねんけど、ええ)

何の人かはわからないけれど、これといってカチッと決めたいとも思わないし、ふわっとしてるのもそれはそれで余白があってええんかなと(なぜ関西弁
なのでもうしばらくは、何でもないし何でも屋だよってことでやっていこうと思います。いつか「変なの名乗ってたな〜」って恥ずかしくなる日がくるかなw

なんか、初めて自分の働き方についてまとめたかも。これで少しはご説明になっただろうか…長くなりましたので今回はここまで。読んでいただいた方がいらっしゃましたら、ありがとうございました!


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