流れ星残り火のしるべ

―――リリリリリリリリ。けたたましいアラームの音が私の部屋を埋めつくす。
いつものことだ。すぐ手の届く範囲にある携帯を傾け、画面を反応させる。朝の日差しを浴びる前に携帯のブルーライトで目を萎ませる。
――06時20分
取っ掛かりのない液晶はありありと無彩色な数字を表示している。普段ならこのまま微睡に身をゆだねてしまうが、あいにく季節は夏。汗で張り付くシャツを今すぐにでも脱いでしまおう。
 階段を降り、洗面台で、生気を感じない水に顔をさらす。私の体温よりも少し冷たいはずなのに体温のほうがよっぽど冷たく感じた。顔を拭き、台所に向かうと机には納豆が置いてあるのが見える。朝日が差せば目が覚めるようにいつも同じ場所においてある。
あくびなのかため息なのかわからない息をのみこみ、私も納豆に倣ってぬるくなったみそ汁を温めなおす間に炊飯器からお米をよそる。しゃもじをシンクに滑り込ませると、席につき手を合わせて中途半端に口を開けそのままご飯を機械的に流し込む。どうせ味わったって味なんてわからない。まったく憂鬱な朝だ。
あとは事務的に歯を磨き、制服に着替えると学校に出発する時間になった。
「行ってきます」
しんと静まり返る玄関に鍵を閉めて、いつもの通学路を歩く。
 空は鬱陶しいくらい晴れていて、蝉の声は四方八方からするだけ。それだけのことが、ただ心を沈める。道は交差点の角を曲がりバス停も通り過ぎて、遠くに学校が見える。その先の青くなった山を見て、私は足を止めてしまった。
いつもと変わらない風景を、いつもと変わらない私が歩く。きっといつまでも変わらずに、それが素晴らしいかのように。きっとどこへ行っても淀みなく。
 登校する生徒たちが私にかまわず、学校へ進んでいく。それを見送り校門から一直線に伸びたこの道で、私の足は動かない。
通り抜ける風は私の髪を逆立て、私大きく息を吸った。青い香りがする、夏草の逞しいにおいだ。

 「決めた。」
 いっきに喉までせりあがった言葉を、私はちいさくつぶやいた。
 踵を返し、家に戻る。幸い家まではそこまで遠くない。風が背を押すように足は進んだ。家に着くや否や大雑把にドアを開け、階段を上がる。大きなバッグに着替えと財布、日用品を詰められるだけ詰めた。バッグが私の憂鬱を肩代わりするかのようにずっしりと重くなった。バックを引っさげ家を出る。
 さっきの交差点を曲がりバス停のある直線に出て、ベンチに腰を下ろす。想像通り学生は一人としていなくなっていた。一息つくにはちょうどいい。
息を吐くたび、心臓の鼓動が早くなるのを感じる。それは体の疲労からではない。
 私は初めて道を踏み外す。これといって何か大義があるわけじゃない、平凡な生活に疲弊したわけでもない。そして非日常にあこがれているわけでもなかった。うまく言えないけれど、形あるものは滅びていくのが必定のように。それでも、波の満ち引きに終わりがないように。必死に悠久が覆いかぶさった人生あるいは、いつか訪れる必然に成すすべなく飲み込まれ続けるなんて、そんなのは嫌だ。
 正しくなくても自分にしがみついていたい、世間から逸脱して人の目に醜く映ろうとも、埃みたいに矮小で価値がなかったとしても。歪み、曲がった道だったとしても、どんなものでも遠くから見ればきれいに見えるだろうから、それでいいんだ。そう考えていた。
 今思えば、あの時の気持ちは本当だったのかはわからない。わからなくてもいい。


 だってこれは、逃避行だ。きっと人生で一度きりの
――夏の逃避行。



バス停にて

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